3.再現と影の剣撃2
「私の稽古相手になって」
「は?」
シィルミナの突然の言葉に、固まってしまうアシル。
差し伸べられた右手を握る寸前で少しの間止まる二人の時間……。
「いや、待て。俺なんか相手にならないだろ」
固まった後、アシルはシィルミナの手を握り、立ち上がる。
「何故、俺なんだ?他にいるだろ」
「そうかしら?」
繋がれた手が自然と離れる。
シィルミナはアシルの表情を伺いながら、首を傾げるように答えた。
「いつも周りにいる人たちとか誘えば喜んでやってくれるだろ」
「あ〜、あの取り巻きね……。申し訳ないけど、あの人たちじゃ無理だわ」
『はぁ、』というため息が聞こえそうな仕草で、シィルミナは視線を落とす。
「俺よりは相手になると思うけど?」
「そうかもしれない。でも、そもそもまともに剣を交えることができるとでも?」
「あ……………」
アシルは気づいてしまった。
人気者のシィルミナが相手ならば、それは真剣勝負にはならない。喜びだけが表に出て、まともな勝負とはならないことを。
「正直、興味がないわ。普通に振る舞うのも少し疲れるのよね」
「さらっと、酷いこと言ったな…………」
「絶対に手を抜かれる。どころか、私と一対一できることの喜びしか持たれないわ。それじゃ練習にならないのよ」
目を閉じて、腕を組むシィルミナ。
そのまま二人に無言の時間が訪れ、時計の長い針がひとつ動くほどの時間の後に閉じていた視線をアシルに向けた。
「でも、あなたならそんなことないでしょ?」
「どうだか……」
「さっき決闘して伝わってきた。手を抜かれない真剣な姿勢がね。だからあなたにお願いしようと決めたの」
「決闘は最初からそれが目的か」
今度はアシルの方が視線を落とす。
「違うわ。あれは頭にきたから、ねじ伏せようと思っただけ。本当は残りの三等剣士の人に頼むつもりだった」
「そうした方がいいと思うが」
「いいえ、あなたに決めたの。一度決めたからには覆すつもりはないわ。そもそも他の二人が了承してくれるとも限らないし。それに、あなたと剣を交えると何かがあると思うのよ。これは私の勘ね」
柔らかい、微笑むような視線をしているシィルミナだが、瞳には真っ直ぐな強い意志が感じられる。
「さっきの決闘からして、どう考えても俺がまともに戦えると思えないだろ」
アシルがそう言うと、シィルミナは再びアシルに向けて右手を差し出す。
そして力強く、自信満々に言うのだ。
「安心して、私があなたを強くしてあげる。それなら文句ないでしょ?」
その言葉に驚かされるアシル。
同時に動揺や不安、色々な感情が渦巻いた。
「いや……まぁ……」
不安げにアシルは答える。
「と言っても、負けたあなたに拒否権はないんじゃないかしら?」
「そう……だな……負けたから言うことを聞くって言ったしな」
男に二言はない。とでも言うように覚悟を決めてその右手に手を伸ばし、握手を交わす。
「決まりね。これからよろしく、アシル」
「こちらこそ、お手柔らかに頼むぜシーナ」
シィルミナはアシルの顔を見て微笑んだ。
「さぁ?それはあなたの努力次第よ」
ここで二人の話は決着。
というわけでもなかった。
アシルにはもう一つ、疑問に思っていることがあるらしい。
「ところで、思うんだけど」
「今度はなに?」
「そんなに強いのに、何故麻痺毒なんて食らったんだ?」
これはアシルの勘違いなのか、夕日の悪戯なのかは定かではないが、シィルミナの顔が少し赤くなったように見えた。
「あぁ、恥ずかしいからあまり言いたくないけれど…………、水よ」
「水?」
「飲み水。あれは、食堂に向かっているときだったわ」
時としては、お昼休み。
アシルが食堂にてメニューを見ていた頃の話である。
シィルミナは用事があるからと言って、他の人たちを先に食堂へ向かわせて、ひとりになる。
「わかってはいたけれど……、なかなか疲れるものね」
人気者のシィルミナ。周りには常に取り巻きが存在しているが、彼女としてはあまり良くは思っていないようだ。でも、貴族としての評判等々様々な事があるため、表では良く振る舞っている。
「あら?水が出ない」
廊下にて、ふと水を飲もうとしたシィルミナが水道の蛇口を捻るが、水は出てこない。
「食堂で飲めばいいわね」
故障と思ったシィルミナ。これから食堂へ向かうため、無理にここで水分補給する必要はないと考えた。
そうして、シィルミナが食堂へ向かおうとした瞬間――。
「壊れてるみたいだぜ。ほら、これやるよ」
背後から声がして振り向くと、水入りの金属容器が宙に浮いているのが、視界に入った。
自分に向かってくるそれを咄嗟に掴むと、背後を通り過ぎた人物の姿はなかった。
「あり……がとう?」
まさかそれが自分に対する罠だと思いもしなかったシィルミナは、その水を口に含む…………。
すると、
「ん゛っ!?!?かはっ!!」
瞬間に感じた身体から力が抜ける感覚。握っていた蓋の取れた水筒のような容器は地面に落下して、中身を撒き散らしながら暴れる。
なんとその水に、即効性の麻痺毒が入っていたのだ。
『不覚だったわ………』
心の中で焦りと後悔が生じるシィルミナ。
途端に物影から人影が近づく。
「かかったな」
「やら………れた……わね」
視界がゆらゆらと揺れており、立っているが、バランスとしては不安定。踏ん張りながらシィルミナは敵意のある人物に言葉を返す。
「でも、予想外だぜ。まさか麻痺毒を食らっても立っていられるとはな」
「くっ……」
意識が飛びそうになることもあるが、なんとか堪えて見せるシィルミナ。剣術の腕ではなく、精神的にも強さを持っているシィルミナ。
「そう睨まないでくれ。大人しく一緒に来てくれりゃいい」
どうにかこの状況から逃げ出そうとするシィルミナ。だが、両足がビリビリという感覚に襲われており、肺を動かすことすらも力を使うようで、息も荒くなっている。
『あ、シーナさん』
廊下の向こうの方から、声がした。
ここは入学生の多く存在する階層。そしてシィルミナの姿は学年では有名だ。シルエットだけで分かったのだろう。
「ちっ……面倒だな……」
男は生徒の姿を確認すると、顔を顰める。このままシィルミナを堂々と連れて行くと逃げることもできなくなり、何より麻痺毒が完全に効いていない状態であれば、抵抗されて時間が掛かってしまうだろう。
そこで、男は考えた。
「とりあえず校舎の外まで歩け。他のやつに悟られないようにな」
シィルミナの背後に立ち、廊下を進んでいくように促す。
「助けを呼ぼうもんなら、こいつがおめぇの背中に刺さることになるぜ」
彼女は背中に先端の尖った鋭いものを感じた。
「ということがあったのよ」
「ぷっっ!!」
堪らえようとしてできなかったのか、アシルは笑ってしまった。
「何がおかしいの?斬られたいの?」
シィルミナは腰の剣を抜こうとする。
「ごめん。シーナってなんか完璧超人なイメージだったからさ。そんなかわいいところあるんだなと思っただけ」
「かわ……いい……?」
今度は確信できるほど。
シィルミナの頬が真っ赤に染まった。
「か……帰るわ。また明日アシル」
その顔を隠すように、シィルミナはアシルに背を向けて歩いて行く。
「お、おう」
アシルはズボンの砂ぼこりを払う。
「急にどうしたんだ?」
こうしてアシルの学園生活一日目は終わろうとしていた。
昼休みの人物は拘束され、国防軍に連れて行かれたとのこと。
「あ、いたいた。おーーーい、アシル!」
アシルが校門に向かって歩いていると、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。
「ん?」
声のする方に顔をあげると、そこには向かってくるロイの姿があった。
「どこ行ってたんだよ。探したぜ。先に寮に帰っちまったかと……」
「すまない。少し散歩してた」
「なる……ほどな。まぁいいや」
ロイの動きが固まったようにアシルは思った。
「どうした?」
「いやなに、今日一日でお前の表情というか雰囲気が全然変わったから驚いただけだ」
「いいから、帰ろうぜ。学園生活、そして寮生活!!楽しんでいかなきゃ損だろ!!」
二人は寮へと向かった。
この学園生活に入学すると、寮として食事・個人部屋が与えられる。
国の各地から生徒が集まってきているからだ。
王国最大ということで、入学できれば待遇はこれ以上ないほどだ。希望を出せば基本的に答えてくれるという。
ロイと別れて、アシルは自室へと帰る。
そして――――、
「本当に何でも揃えてくれるんだな……」
アシルには、寝室ともう一つの部屋が用意されている。それは彼の希望が通った証なのだ。
寮へ来たのは昨夜。その時は寝室にベッドがあり、箪笥のような衣服を収納できる家具や机と椅子が置かれていた程度。
しかし、今は違う。
「やるか」
アシルは椅子に座り、その上に並べられた道具たちに視線を向ける。
その一つ一つに不備がないことを目視で確認すると、腕捲くりをする。
「魔法研究をっ!」
シィルミナにも表と裏の顔があるように……、
アシルにも表と裏が存在するのだった。