最悪な公爵令嬢だったはずなのに、いつの間にか壁をすり抜ける天才になっていた
俺の婚約者であるベロニカ・アルドンは糞を煮詰めた様な最悪な公爵令嬢だ。
平民のことをゴミだと本気で思っており、侍従にはすぐに暴力を振るい、目下の者にはありとあらゆる罵詈雑言を浴びせる。かといって目上の者を敬っているわけでもなく、王族である俺の悪口を吹聴して回っているのだとか。まあとにかく最低な奴だ。
本当はすぐにでも婚約破棄をしてやりたいが、アルドン公爵家の支えがあって王位継承権一位の座に位置している俺にそんな力はない。
とにかく今は耐えて、王となった暁には婚約破棄でも国外追放でも好きなようにしてやろう。
そう思っていたある日の事だった。
「は?ベロニカが数ヶ月前に商会を立ち上げた?」
「はい、コーネリウス王子。どうも『化粧水』という物を販売しているようです」
従者のアルベルトが立ったまま背筋をピシャリと伸ばして俺にそう報告した。
ここは公共の場ではないのだからソファに座って休めばいいのに……まあこういう融通のきかないところもアルベルトらしいと言えばらしいのだが。
俺はソファにゆったりと座ったまま、アルベルトが淹れてくれた紅茶を一口すする。少し苦めの風味が口の中に広がる。
「まあどうせ気まぐれな道楽だろう。すぐに飽きて止めるに違いない」
ベロニカはそういうやつだ。行動を気にする方が疲れる。気にしない気にしない。
「私も初めはそう考えていたのですが……」
アルベルトはもごもごと言いにくそうに視線をそらす。
「どうした?」
「……ベロニカ商会は飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長しており、現在王国一のスペリア商会と肩を並べるほどだとか」
「ゴホッゴホッゴッホ!」
スペリア商会といえば、我が国王でも無下な扱いはできない由緒正しき商会ではないか!?ベロニカはたった数ヶ月でそれに匹敵する商会を立ち上げたと言うのか!?
「コーネリウス王子、大丈夫ですか!?」
「ゴホッ、大丈夫だ。気管でも紅茶を味わいたかったのだ」
「はぁ、そうですか」
危なかった。危うく『紅茶で溺死した王子』として後世に名を刻むところだった。
不名誉な死にかたをした者の末路は悲惨だ。たいした業績もないのに教科書のコラムで取り上げられ、生徒達になめられたあだ名をつけられる。今回の場合、あだ名はたぶん『溺死王子』いや、コーネリウスだけに『紅茶ん』かもしれない。
……なんて恐ろしいことだ。想像するだけでも冷や汗が止まらない。もしやベロニカはこれを狙っていたのか!?
「ちなみに私も『化粧水』愛用しております」
アルベルトはそう言うと、自慢げに自分の頬をゆっくりとなぞった。……ナルシストっぽくて、少し背筋がゾワゾワする。見なかったことにしよう。
「コーネリウス王子、実はこれだけではないのです」
「どういうことだ?」
「ベロニカ様は先日、錬金術協会から今年一番の発見をした者に送られるラーゲルー賞を授与されたのです」
「な、なんだと!?あのバカで有名なベロニカが!?」
ベロニカはバカだ。どんな者でも天才にすると言われたハミルトン講師が裸足で逃げ出すくらいにバカだ。
そんなベロニカがあのラーゲルー賞を授与するなんて天地がひっくり返ってもあり得ない。
「なんでも、好きなタイミングで、ある物質を特定の別の物質に変える方法を編み出したらしいです。限定的な物ではあるらしいのですが。今錬金術界隈でベロニカ様の名前を知らない者はいないのだとか」
「……そうか。おそらく誰かの功績を無理やり奪ったのだろう。そのうち化けの皮が剥がれるさ。好きにさせておけ」
目立つのが好きなあいつのことだ。どうせそのうち大衆の前でボロを出すに違いない。
「……それが昨日、王都商会親睦パーティーの場で、スペリア商会の者に内容を詰問されたらしく」
「早速ボロを出したというわけか。全く相変わらずだな」
「いえ、内容について完璧に答えられたそうです。それどころか、提出論文には書かれてなかった失敗談まで詳細に語られたと」
「な、なんだと……」
……それは本当にベロニカなのか?俺の知っているベロニカとは何もかも違う。
そういえば、人間に姿を変える魔人がいると教わったことがある。もしや今のベロニカは魔人なのか!?だとすれば目立ちすぎな気もするが―
「……すこし奇妙なことだな。見張りでもつけとけ」
「はい、私もそう思い見張っていたのですが……」
「さすがアルベルトだ!それでどうだった?」
「それが、その、驚かれるかも知れないのですが……」
「今日はもう一生分驚いた後だ。今さら驚くこともないだろう」
「それはそうですが……」
アルベルトは少しの間発言をためらっていたが、観念したのか大きくため息をついて言葉を続けた。
「……ベロニカ様は壁をすり抜けていらっしゃいました」
「なるほど壁をすり抜けてた、と。……ってはあぁぁ!!??」
アルベルトは「ほらみろ」と言わんばかりの表情でこちらを見てくる。
いや、壁をすり抜けるとは思わないじゃん……もう人間じゃないじゃん……というか魔人ですらないじゃん……下界に迷いこんだ神様の動きじゃん……俺の婚約者怖いよ……
「……アルベルトの事は信用しているが、鵜呑みにすることは出来ない内容だな」
「それはそうでしょう。そこでぜひ見張りをコーネリウス王子にしていただきたいと思っておりまして」
なるほど。俺は従者であり幼なじみのアルベルトのことを信用しているが、世間的に従者の発言などたかが知れている。そこで俺がことの真偽を確かめに行き、それを適切な機関に報告するというのは理にかなっている。
理にかなっているのだが……
やりたくないなあ……
だって見張りとか地味だし、疲れるし、得られる成果はパッとしないし……本当に俺じゃなきゃだめ?ダメですかそうですか……
「致し方ない。俺が直接この目で確かめるとしようか」
はぁ、明日から忙しくなりそうだ……
*****
服装良し!髪の毛の色良し!言葉遣いも良しでござる!
俺は通りの店の窓ガラスで自分の変装を再度確認した。金髪から青色に変えた髪色、袴と呼ばれる歩きにくい着物、そしてこのしゃべり方でござる。誰がこの姿を見てコーネリウス王子だと思うでござろうか、いやござらない!
さて、アルベルトの報告によればそろそろこの通りにターゲットが来るでござるのだが……いた!何も知らないベロニカ発見でござる!
このままばれないように後をつければミッションコンプリートでござる。まあ俺の変装がばれたことなど一ミリもないので余裕でござるな!
……あれ?なんかベロニカこっち来てない?
「コーネリウス王子?こんなところで何されているんですか?」
なぜばれたでござる!?
「せっ、拙者は王子などではござらぬ!右ノ御座衛門でござる!」
「王子。平民はござる口調なんか使いません。それに青髪の武士もいません」
え!?そうでござ……そうなの!?聞いてた話と違う……
でも確かに思い返してみれば、今まで変装したときターゲットどころか平民からも距離を取られていたような……もしかして俺、ういていたのか!?
「ゴホン!たまたまござりたい気分だったのだ!それに今日は城下町を観察するためにお忍びで来ているだけだ!決して誰かを見張っているわけではないからな!」
「はあ、そうですか……」
ふぅ、なんとか誤魔化せたか……
しかしこれからどうしよう。正体がばれてしまっては尾行などもっての他だ。……そうだ!
「ベロニカ。君はこれから自分の商会に行くのだろう?急成長したベロニカ商会に興味があってな。良かったら連れていってくれないか?」
我ながら完璧な言い訳だ!
「なぜ私のスケジュールを把握されているのでしょうか……まあいいでしょう。一緒に行きましょうか」
ベロニカは少し困ったようにそう言うと、俺に背中を向けて歩き始めた。
その歩く姿勢は凛としていて、以前のベロニカとは雰囲気が違う。前を真っ直ぐに見ている青い瞳は、とても美しい。
よく考えれば言葉遣いも以前とぜんぜん違う。昔は「わたしぃ、やさいぃ、きらぁいぃー。やぁや!」とかいって、気持ち悪い猫なで声をよくしてたものだが、今日はいたって普通だ。むしろ冷静すぎる。
……これは本当に魔人に乗っ取られたかもしれん。
そんなことを考えていると、何やら人の行列が見え始めた。しかも、目を凝らしても先頭が全く見えない。一体どれだけ長いのだろうか。
「今日は何か催し物でもあるのか?」
「いえ、ここの人たちは全員我が商会目当てのお客様ですよ」
「ベロニカ商会はテーマパークなのか!?」
「……商会ですけど?」
そんなバカを見るような目でこっちを見ないでくれよ。
しょうがないじゃん!だってただの商会にこんなに並んでいるとは思えないじゃん!
「もしかして俺たちもこの行列に並ぶのか!?」
「いえ、さすがに時間がかかるので裏口から参りましょう」
ベロニカはこちらですと手で指し示す。そこには……ただ壁があるだけだった。
「面白い冗談だ。さて裏口はどこだ?」
「いえ、冗談ではありません。ではお先に失礼」
ベロニカはそう言うと壁に向かって躊躇無く歩き始める。
「お、おい!危ないぞ!」
一体ベロニカには何が見えているのだろうか。薬でもやっているのか?もしかして化粧水とは隠語で薬物のことを指すのでは無いか!?
……ってあれベロニカはどこに行った?壁にぶつかる瞬間どこかにすうっと消えて行ってしまったように見えた……もしかしてこれが壁抜けなのか!?
な、なんてことだ。話に聞いたときも面食らったが、実際に目の前で見てみるともう何も――言えん。胃がいたい――胃炎。
「何ニヤついてるんですか?早く来てください」
「おわぁ!」
壁からにょっきりとベロニカの生首が生えていて、それがこちらを見てしゃべっている!?ど、どうなっているんだ!?
「先行きますからね?おいて行かれても知りませんよ?」
「ど、どうなっているんだ!?」
「ただのバグですよ。ほら早く行きますよ」
ベロニカはそう言って再び壁の中へ消えていった。
……きっと悪い夢だ。そうに違いない。ほっぺたをつねっても効果がないのは、きっと覚めないタイプの夢なのだ。
ええい!どうとでもなれ!
俺は目を閉じて壁に向かって走る。しかしいつまで走っても壁にぶつかる感触はない。もうとっくに壁までの距離など走りきっただろうに。
俺はおそるおそる目を開ける。
そこには研究所のような空間が広がっていた。
たくさんの瓶とそのなかに詰められた液体やゲル状の物質。普通のポーションから貴重な聖水まで、見たことがある物もあったが、基本的にはわからないものだらけだった。
「これは一体?」
「これらは私の商会の商品『化粧水』です。良かったら使ってみますか?」
俺が薬品類を見ていると、ベロニカが隣に来て、瓶に入った透明な液体を差し出してくる。
化粧というからには化けるために使うのだろうが……一体何に化けようか。ドラゴン?いやいやこの部屋でなったら困るな。ここはユニコーンにでもなってみるか!
ゴクッ
「ま、まずい!ぜんぜん美味しくないではないか!」
も、もしやベロニカが毒を盛ったのか!?ゆ、油断した!
「……コーネリウス王子……化粧水は飲み物ではなく塗る物ですよ。そんなにお腹が減っているなら、後で王子の好きな甘い紅茶入れますから」
……お、おのれベロニカ。謀ったな!?
「そ、そんなこと分かっておったわ!」
俺はそういって化粧品を顔に塗りたくる。ユニコーンになれ!ユニコーンになれ!
……あれ?
「ユニコーンにならないんだけど」
「は?ユニコーン?」
「え?これ化粧水でしょ?何かに化けれるんじゃないの?」
「……いえ、化粧水は肌の状態を良好にし、自分自身を若く見せるためのものです」
「なっ!」
だからあんなに女性客が多かったのか!
「っ王子!後ろ!」
目の前のベロニカが急に慌てふためく。
しかしこんな引っかけに引っ掛かる俺ではない。昔、ベロニカに「あっちにドラゴン!」と言われ、信じて振り向いた途端川に落とされたの、今でも忘れてないぞ!
「ふっ、そんな引っ掛」
ガツッ
視界が急に暗くなる。薄れ行く意識の端で、ベロニカがドサッと地面に倒れる音が聞こえた。
ベロニカを助け……なくて……は……
*****
「……リウス王子、コーネリウス王子!」
目が覚めるとそこは牢屋の中だった。
目の前にはベロニカが心配そうな顔でこちらを見ている。
「ベロニカ!怪我はないか!?」
「だ、大丈夫です!」
俺の勢いに驚いたのか、ベロニカの声が少し裏返る。
確かにベロニカの服はどこも汚れていない。乱暴をされた形跡どころか、かなり丁寧に運ばれてきたのが見てとれる。
俺は胸をホッとなで下ろした。
「俺たちはさらわれたのか」
「おそらく」
全くもって油断していた。普段ならアルベルトが俺を護衛してくれているのだが、今回二人行動は目立つということで一緒に来ていないのだ。
「ベロニカ、犯人の顔は見たか?」
「残念ながら、顔を布でご丁寧に隠されてました。こんなイベントあったかな……」
ベロニカは後半言葉をしぼめながら、何やら思い出そうとしている。
「どうしたものか。俺は変装していたから、たぶん彼らの目的はベロニカだろう。身代金目当ての犯行だとみて間違いなさそうだ。安心しろ。俺がいる限りお前に傷一つつけることはゆるさんからな」
「コーネリウス王子……」
「足震えていますよ?」
こ、これは武者震いだから。勇敢な証だから!だからそんなに足を凝視しないで!!
「……本当に身代金目当てでしょうか?」
ベロニカは隣で考え込んでいた。
ベロニカが考え込む光景なんて生まれて初めてみた。こうして客観的に見てみると、ベロニカはやはり美しい顔立ちをしている。性格が糞でなければ、誰もが羨む婚約相手であることは間違いないだろう。……糞でなければだが。
「少し時期は早いですが、第一章ラスボスの仕業かもしれませんね……」
「ラスボス?なんの話だ?」
「ああいえ、こちらの話です。まずはこの牢獄から抜け出しましょうか」
「……ベロニカ、そんなことできるわけないだろ。パッと見、この牢屋は我が王城の地下で使っているのと同じだ。これが内側から開いたら大事件だぞ?」
「コーネリウス王子、この世界の牢屋は必ず内側から解錠できるようになっているんですよ。じゃないとストーリー進行ができなくなっちゃいますからね」
ベロニカはそういって鉄格子にスタスタと近づいていく。
牢屋が全て内側から解錠可能だと?いやそんなことあるわけないだろ。もしそうだったら犯罪者は脱獄し放題で、国はすぐに犯罪者の巣窟になってしまうだろう。しかし我が国の治安はそこそこの物だ。内側から解錠なんてできっこない……
ガチャリ
いや、できるんかい!!
「さあ行きましょうか」
「お、おう。なんかつっこむのも馬鹿らしくなってきた……」
ベロニカは開けた格子から外に出て、まるで道でも知っているかのようにスタスタと歩く。
「えらくハッキリ歩くな。この場所を知っているのか?」
俺はベロニカに付いていきながらそう聞いた。
「おそらく、ここは王城の秘密地下牢獄でしょう」
「王城の秘密地下牢獄!?」
そんなのがあったのか!?
「このまま道を真っ直ぐ行けば出口ですが……そう簡単には行かなそうですね」
ベロニカは道の先を見て少し声のトーンを落とす。
道の先には背の高い男が一人立っていた。
「おぉ!アルベルト!来てくれたのか!」
俺はアルベルトに手を振り、駆け寄る。いや、駆け寄ろうとしたが、ベロニカに服の袖を強くつかまれる。
「どうしたベロニカ?」
「コーネリウス王子、あの男は魔人です」
ゆっくりと、そしてはっきりとベロニカはそう言った。
彼女の青い目は、真っ直ぐに俺を捉えていた。
俺は目が離せなかった。
「コーネリウス王子!先ほど調べがつきました!そこにいるベロニカ様は魔人です!本当のベロニカ様の遺体が先ほど発見されたのです!」
道の先にいるアルベルトが大きな声を出す。その声で俺は我に返り、青い瞳から目をそらす。
「その女は危険です!今すぐこっちに来てください!」
アルベルトが再び叫ぶ。
アルベルトが正しいかベロニカが正しいかなんて悩む必要はない。傍若無人なベロニカと違ってアルベルトは幼少期から俺を支えてくれた。答えは出ているはずだ。
……なのに、足が動かない。
さっき見た、見惚れた、ベロニカの瞳が、脳裏によぎって離れない。
「アルベルト、一つ教えてくれ」
「今ですか!?後でなんでも答えますから!早くその女から離れてください!」
「今じゃないとダメなんだ!」
俺がそう言うと、アルベルトは少し戸惑ったような顔をする。
「……わかりました。答えたらすぐに離れてくださいね!」
「約束するよ――俺の好きな紅茶の味は?」
アルベルトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに満面の笑みを浮かべてこう言った。
「もちろん、少し苦めのアールグレイです!昨日も私が淹れたではないですか!ほら、早くこちらに!」
「そうか……残念だよ」
「なっ、何をお戯れを!いつもそう言われているではないですか!」
「あれは外部の人間にカッコつけるために言ってるだけだよ。……本当は、砂糖で甘くしたミルクティーが大好きなんて、恥ずかしいだろ?」
少し離れた位置にいるはずなのに、アルベルトの顔がみるみる紅くなっていくのがわかる。
「ベロニカは知ってた。もちろんアルベルトも知ってる。つまり知らないお前は魔人だ。……すぐ気付けなくてごめんよアルベルト」
道の先のアルベルト、いや魔人は、俺の宣言を聞いて大きくタメ息をついた。
「はぁーあ。せっかく王族の絶望の魂を集めれるチャンスだったのになぁ。なんて美しくない展開なんだ……。仕方ない殺そうか」
その瞬間魔人の雰囲気が変わる。アルベルトの優しい緑の目が真っ赤な猫目変化する。頭からは二本の鋭く尖った角がニョキニョキと生え始めた。口は耳元まで裂け始め、二本の牙が鋭く延びる。
変形が完了する頃には、アルベルトの面影は残っていなかった。
そこにいたのはアルベルトの皮を被った何かだった。
「ベロニカ!逃げろ!」
俺はとっさにベロニカの手をほどき、彼女を魔人から遠くなるよう突き飛ばす。
昔習った伝承によると、魔人を倒すには教会で祝福された聖水をかける必要がある。が、今はそんなものどこにもない。
つまり……残念なことにあいつは倒せない。
でもこのままでは二人とも犬死だ。せめて時間を稼いで、ベロニカだけでも逃がさなくては!
「逃げれるわけないじゃん。やめてよ、そんな美しくないことするの」
瞬間、目の前に魔人。拳が腹部に迫る。ガードが間に合わない。警戒の鼓動がガンガン聞こえる。
「ガハッ」
気がついたら俺は宙を舞っていた。背中に走る衝撃。口の中を支配する血の味。耳に心臓があるかのような鼓動。
強いなんてもんじゃない。土俵が違う。例え俺が両手一杯に弱点の聖水を持っていても勝てっこない。全部よけられて一撃でやられる未来しか見えない。
「ウッ」
地面に伏したまま何とか顔だけ動かすと、魔人はベロニカの方を向いていた。
……ベロニカを助けなければ!
でもそんな心にあらがうかのように、体がピクリとも動かない。
なんてなさけない!動け俺の体!動けよ!
「さて次はお前だね」
「……実際に見ると想像以上。やっぱり私じゃ全クリは厳しそう。主人公達にはレベルアップを頑張ってもらわなくちゃ」
「無視ぃ!?この状況で!?慌てふためくよりは美しいけどさぁ!」
魔人が驚きの大きな声を出すと、ベロニカはゆっくりと顔を上げてこう言った。
「変われ」
途端、俺の体がスッと軽くなる。まるで治癒のポーションを飲まされたような、そんな痛みの抜け方だ。
「ウギャァー!肌が!焼ける!お前何をした!!」
そんな俺とは裏腹に、魔人はベロニカの前で地面をのたうち回っている。よく見ると特に顔がただれている。と言うか顔がとけている。
「人間にとっては良薬、魔人にとっては猛毒の聖水です」
「いつ……の間に……」
魔人が息も絶え絶えになりながらそう言う。
ベロニカは体が溶け始めている魔人の周りを動きながら続ける。
「魔人なのに美しさを重んじるあなたなら、確実に塗り込んでくれると信じていました」
「まさか化粧水か……」
バタリと魔人は地面に倒れ、頭から足まで、どろっとした、肌の色が付いた液体へと成り果てていった。
「私が作った化粧水はいつでも聖水に変えられるんです。ラーゲルー賞の論文を応用すればあなたでもできますよ。……聞こえてないか」
ベロニカはぽつりとそう言う。
魔人が死んだ。ベロニカが殺した。
壁をすり抜ける俺の婚約者は、魔人すら手玉に取る天才だった。
心臓が早鐘を打つ。聖水のおかけで傷は完全に完治しているのにもかかわらず、魔人と対峙したときよりも、今ベロニカを見ている方が息が苦しい。ベロニカの飄々としたその顔が、何故か直視できない。
……あぁ、そうか。
これが恋に落ちるというやつなのだろうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます!少しでも面白いと思ってくださったら、ブックマークと下の☆で評価をしてくださると嬉しいです!
応援宜しくお願いいたします!




