オメガの秘め事
第二性の検査結果は口外しないように、とあらかじめ学校から説明される。
けれど、この国の大多数はベータである。
その為、ベータという、ごく普通の検査結果を口外したところで、誰も何とも思わないし、推定ベータが確定ベータになったところで特に不利益は生じない。
日本全国どこの中学でも、三年生に進級するとすぐに検査が行われる。県立第二中学校でもつい先日、第二性の検査が行われたばかりだった。
「ねぇ、どうだった?」
「それがさぁ、実はね……ふふっ。ベータに決まってんじゃん!」
「だよねぇ~」
これが検査結果返却後に交わされる、ごく一般的な会話である。口外するなと言われても、何も影響が無いのだから、皆、普通に口外するし、それを悪いとも思わない。
そのクラスに検査結果が返されたのは、帰りのホームルームでのこと。既に解散の号令は済んでおり、早い生徒はもう教室を出ている。生徒の姿はまばらになりつつある中、いつもなら、上城翠はすぐに部活に向かうのだが、この日はまだ席に座ったままでいた。印刷面を裏にして机に伏せた紙の端を、そっと指で摘み上げ、目をすがめ、下から覗き込むようにしてもう一度結果の記号を確認する。
検査結果 : Ω ――オメガ――
ガシッ、と背後から肩に腕を回され、背中にのしかかられた。
「よう翠、結果どうだった?」
声を掛けてきたのは下杉道明。家が近所の幼馴染で、同じクラス。部活はサッカー部で、バスケ部の翠とは別だった。
「……別に、どうもしない」
オメガだったと、告白はできない。それがきっかけで、道明との関係に傷が付くのは絶対に避けたかった。嘘にならない範囲で、言葉をぼやかした。
「ふぅーん? あのさ、俺、アルファだった」
一方的に告げられた言葉への驚きは無く、あるのはただ納得だった。
「訊いてねぇーのに勝手に教えてくるなよ。でも、まぁ、良かったな」
「良かったかどうかは知んないけど、そんだけ? 他には? 何かこう、もうちょっと、他にさ、ほら、何か言うことあんじゃねぇの?」
「……いや、だって道明、見るからにアルファじゃん」
背丈、筋肉、運動神経、頭脳、顔、そして何故か声まで良いという、何から何までアルファ。30人が5クラス、約150人いる学年の中で、あらゆる事柄が突出している推定アルファは2名いたが、1名はここで確定アルファとなった。
それに対し、翠は平々凡々、ごく普通のベータのはずだった、つもりだった、そうとしか考えられなかった、それなのに……。
考えていても仕方ない。気持ちを切り替えることにした。
「よし、部活行こ」
「何言ってんの。つか翠、さっき何聞いてたの。修繕業者が急に来ることになったからって、今日体育館は使えねえよ。雨が降っててグラウンドも使えないからサッカー部も休み。つーことで早く帰ろうぜ」
翠としては、部活でたっぷり汗をかいて気を紛らわせたかった。180度切り替えたはずの気持ちが、更に180度回転して元に戻ってしまった。
「翠?」
道明が心配そうに翠を見つめている。
「あぁ、ごめん。呆けてた。うん、帰ろう」
へらりと笑って誤魔化して、伏せたままの紙をぐしゃっと鞄に突っ込んで席を立つ。
いつもの調子で道明が肩を組んできた。
心臓がドキッと跳ねる。オメガは男であっても妊娠することができる。そして、オメガは発情期にアルファを誘惑するフェロモンを出す。道明はアルファで、自分はオメガ。だから、道明の子供を産むことだって……。翠は自分の考えに顔が火照った。
道明のイケメンぶりと秀才ぶり、それから性格までいい完璧ぶりから、翠には道明との間に壁を感じていた。そこにまさか第二性という壁までもが生じるとは思わなかった。もしオメガだとバレれば、さすがの道明も自分と距離を置くようになるかもしれない。
帰り道を歩きながら、翠は道明の話はそっちのけでそんなことを考えていた。本当は他にも考えなければならないことがたくさんある。道明といつものように遊んでなどいられない。こっちの気も知らず、道明は暢気に笑っている。眩しいくらいの笑顔に、翠はまた顔が熱くなって目を背ける。それからまた今後のことについて考えた。
道明には絶対にオメガであることは隠そう。少なくとも中学校生活の最後の一年間くらいは隠し通せるはずだ。高校、大学と進学すれば、おのずとオメガは進路が限られてくるから、隠すのも限界が来るかも知れないが。
そのためにはまず、帰宅したらすぐに親に報告して、医者にかからなければならない。オメガであるなら、今後の生活には抑制剤が手放せなくなるだろう。一年後か二年後か、それとも明日にでも来るかもしれない発情期……それまでに抑制剤を手に入れなければ、フェロモンが出てオメガであることがバレてしまう。
「なあ、さっきから聞いてんのか?」
道明が語気を強めて言った。翠ははっとして答えた。
「ごめん、ちょっと考え事してて。ほら……進路のこととか」
「だったら俺に相談しろよ」
「やだよ。悩んでない奴に言ったって惨めなだけだもん」
「水くさいこと言うなよ。俺がお前の進路を馬鹿にしたりするわけないだろ」
「分かってるけど……」
道明は人を馬鹿にするような人間じゃない。それは誰よりもよく分かっている。でも、道明も人間だ。それに、アルファだ。だから、オメガであることは、言えない。
「じゃ、またな」
別れ道で道明が言う。
「うん、また明日ね」
翠はそう言って、一人の帰路を進んだ。
これからのことを考える。まずは親に検査結果を伝えなくてはならない。それだけでも心理的ハードルが高かった。嘘か本当かは知らないが、子供がオメガだと分かり、捨ててしまう親もいるという。さすがに自分の親はそんなことをしないだろうが、どちらにしろ心配をかけてしまうだろう。まだまだオメガへの差別意識は根強い。
翠は親に対して申し訳ない気持ちになった。
家に着く。「ただいま」と翠が言えば、母親がいつものように「おかえりなさい」とやさしく返してくれた。翠は鞄の中でくしゃくしゃになった検査表を取りだした。
翌朝、翠は道明と一緒に通学路を歩いていた。翠の鞄の中には昨日病院で貰った抑制剤が入っている。一緒に病院に行ってくれた母は、自分の健康状態を気にして医者を質問攻めにしていた。こんな母がオメガと知ったくらいで自分を嫌悪するわけがないことは分かっていたが、やはり心配性ところがあるから、それが申し訳なかった。父は母ほど取り乱した様子はなかったが、やはり自分を心配してくれた。ベータには分からない体調の変化と、薄暗い将来を……。
「将来の悩みは解決しましたか?」
道明があえて他人行儀で訊いてくる。
「そんな簡単に解決できないよ」
「じゃあ、先生に教えなさい」
「いつ先生になったんだよ」
道明は相変わらずおちゃらけている。でも、その横顔はいつにもましてカッコよく、美しく見えた。
「ん?」道明が急に立ち止まった。「なんか今、変な匂いがしたな」
翠の心臓がドキリと脈打った。冷や汗が額をつたう。
「何の匂いだろう?」
道明が鼻をクンクンと鳴らしながら辺りを見回す。翠はパニックになり、とにかくその場を駆け出した。
「おおい、どうしたんだよ。待てよ」
道明が慌てて追いかけてくる。
「ちょっと用事思い出しちゃった」
翠はそう嘘を吐いて、とにかく学校めがけて走った。
学校に着くと、翠はすぐにトイレに入り、抑制剤を口に放り込んで水筒のお茶で飲み下した。これで抑制剤が体内に蓄積したフェロモンをすべて分解してくれるはずだ。一度飲めば、三日間は飲む必要がない。
アルファはフェロモンを吸うと発情し、理性を失ってオメガに襲いかかる。さっきは道明が吸ったフェロモンの量が少なかったから良かったが、もしあれ以上一緒にいたら、どうなっていたか分からない。
翠は薬が効くまでの三十分間、ずっとトイレの個室で息をひそめていた。
教室に行くと、一限の授業が始まるぎりぎり前だった。ほっとして自分の席に着く。なんとなく道明の席を見ると、心配そうにこっちを見る道明と目が合った。いつもなら笑い返しでもするのに、その日はドキリとして急いで目を逸らしてしまった。
急にフェロモンが出だしたのは、道明を意識するようになったからではないだろうか。医者から言われたことを思い出す。通常、フェロモンは三週間かけてオメガの体内に蓄積する。その後、発情期に入り、蓄積されたフェロモンが一週間放出され続ける。ただし、誘惑したいアルファが近くにいる場合は、放出される周期が早まるらしい。ということは、自分は、道明のことが……。
そのとき、国語の教師が教室に入ってきた。翠は急いで教科書を机に広げた。
翠がオメガと知ってから一週間が過ぎた。抑制剤のおかげで、道明が「変な匂い」に気づくことはなかった。これで道明にオメガだとバレる心配は無くなった。
だが、他に気になることができた。道明と同じサッカー部に所属していて、翠と同じ三年の宮園功という男子生徒と、道明が妙に仲良くなっていると思うようになった。
翠はバスケ部だったのでよく知らないが、宮園は自分以上にぱっとしない人間だと思っていた。成績も上位に入っているのを見たことがないし、サッカーもそれほど上手いわけではないらしい。顔はよく見ると意外に整っているが、あまりにも地味なので、女子生徒から噂されているのを聞いたことがない。道明のことが好きだと噂される女子の名前なら飽きるほど耳に入ってくるが、そんな道明と宮園は対照的な存在に思えた。
それなのに、道明は翠と一緒じゃないときは、何かと宮園と話していることが多かった。
その日の部活終わり、翠は一緒に帰るためにグラウンドにいる道明を迎えに行った。道明は宮園と楽しそうに話していた。
「じゃ、帰るわ」と、翠を見た道明は宮園に言い、また何か言葉を交わしてからこちらに来た。翠は嫉妬がこもった目で宮園を睨んでいた。
「よし、帰ろうぜ」
道明がいつもの調子で翠の肩に腕を回し、寄りかかってきた。翠はこうして道明と密着できるのが嬉しくて、会う度にやってくれればいいのにと思っていた。だが、この日は素直に喜べなかった。
道明と並んで歩きながら、翠は意を決して尋ねた。
「なんで宮園と仲良くするようになったの?」
道明はこちらを見て言った。
「悪い?」
その言葉はナイフのように鋭利で、冷ややかだった。道明の美しさが、そのまま残酷さに変わって見えた。
翠は刺された胸の痛みを堪えながら言った。
「なんで、そんなこと言うの?」
「あっ、いや、わりぃわりぃ」道明はいつもの笑顔に戻って「別にたいした理由は無いって」
「どんな理由?」
「えー、うーん……秘密」
道明の言葉がまた翠の胸を刺した。
「なんで言わないの? たいした理由じゃないなら言えるだろ」
「それはさ、ほら、翠だって自分の悩みを教えてくれないじゃん。そのお返し」
嘘だと思った。道明は何かを隠している。しかもその理由は「お返し」なんて軽いものじゃない。もしそうなら、道明があんな冷たい言葉を自分に吐きかけるわけがない。
翠は道明が隠していることを知りたくて堪らなかった。だが、こちらの秘密を打ち明ける気にもなれない。
「そう。じゃあ、いいや」と、翠は思ってもないことを言った。道明には、『そんなこと言わず翠の悩みを教えてくれよ』と言ってほしかった。
だが、現実は無情だった。道明は「そんなことよりさ」と、明らかに話を逸らした。やはり理由は「お返し」ではないらしい。道明と宮園の間には、何か特別な関係があるに違いない。
道明は何事も無かったかのように、いつものくだらない世間話を始めた。翠は終始上の空だった。
翌日、翠が学校の廊下を歩いていると、教室から男子生徒の話し声が聞こえた。
「なんで道明って、最近宮園とあんなに仲良いの?」
翠は思わず立ち止まり、噂話に聞き耳を立てた。
別の男子生徒が言う。
「ああ、それがさ、宮園の奴、オメガだったらしいんだよ」
翠は頭が真っ白になった。それから先の言葉が聞こえなくなり、教室のざわめも、そばを通り過ぎる生徒の足音も、何もかも聞こえなくなった。
「何ぼっーっとしてんだ、上城」
はっとすると、目の前には数学の教師が立っていた。
「もう授業始めるぞ」
「あっ、えっとその、すみません」
翠はとりあえず謝り、急いで教室に入った。
数学の授業が始まったが、授業内容はまったく頭に入ってこなかった。最近こんなことばかりだ。考えなければならないことが多すぎる。しかも、考えるのを待っていてくれないことばかりだ。
宮園はオメガらしい。それが道明と親しくなる理由であるとすれば、道明はもう、宮園と番になってしまったということだろう。
アルファはオメガが発するフェロモンを嗅ぐと、発情して凶暴化し、オメガの首筋に噛みつく。すると二人は番になり、オメガは他のアルファと性行為ができなくなる。もししようとすれば、吐き気などの拒絶反応が出るようになるらしい。
道明は宮園の首筋に噛みついたのだろうか。もし噛みつかれるのが自分だったらと考えると、翠は怖くなった。しかし、それが道明であるなら、怖くても痛くても良いとも思った。
その日の放課後、翠は道明を迎えに行かず、一人で帰った。仲睦まじい道明と宮園を見たくなかった。
一人で帰ったのは初めてかもしれない。正確には道明が風邪でもひいて休まない限り、小学生の頃からずっと二人で帰っていた。そんな当り前の日常もこれで終わる。そしたら、道明は宮園と帰るようになるのかもしれない。そのことを、道明は喜ぶだろうか。自分は一人ぼっちで、道明の隣には宮園がいる。
帰り道を歩く翠の頬に涙がつたった。
家に帰ると、両親には体調が悪いからと言い、夕飯は食べないことを伝えた。すぐに自分の部屋に入ってベッドに倒れ込む。目をつむれば、道明と宮園の情事が頭に浮かんできた。それを無理やり掻き消すが、また妄想が浮かんできて、またをそれを掻き消すという行為を繰り返しているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝、まだ気分が悪かったので、朝食も食べずに家を出た。玄関のドアを開けると、なぜか道明が立っていた。自分が出てくるのを待っていてくれたらしい。翠の心は一気に明るくなったが、すぐに複雑な心境になった。
「どうして……」
翠は思わず呟いた。道明にとって、もう自分は邪魔者のはずだ。
「どうしてって、こっちのセリフだよ。お前、昨日一人で帰っただろ。なんで俺を避けてんの?」
「べつに避けてないよ」
「避けてんじゃん、現に今も」
「避けてないって」
翠は道明の横を通り過ぎようとした。すると、道明は翠の腕を掴んだ。
「待てって」
道明に触れられ、翠は心臓が高鳴った。顔が熱くなる。
「ん? まただ」
突然、道明がそう言ってくんくんと鼻を鳴らした。どうやらフェロモンが出ているらしい。だが、抑制剤は昨日飲んだばかりだ。どうして。
考えている暇はない。翠は道明の手をふりほどいて離れようとするが、道明の方が力が強くてできなかった。
「だからなんで逃げようとするんだって。俺が悪い事したか? だったらそう言えって。……あれ、この匂い、翠の匂いか」
道明が突然手を離し、翠は尻餅をついた。
「ち、違う」
道明を見上げながら翠は言った。
道明がこちらを見下ろす。
「お前、オメガだろ?」
道明は鼻をつまみ、汚物を見るような目で言った。
ついにバレてしまった。しかも、道明が自分のフェロモンを拒絶するということは、宮園と番であるということが、これで証明された。
「違う! 俺はオメガじゃない!」
翠は自分の声で目が覚めた。ここは寝室のベッドの上。どうやら悪夢を見ていたらしい。
今の声が両親に聞かれていたかもしれないと考えると恥ずかしい。というか、心配をかけるから申し訳ない。
時計を見ると、まだ学校に行くには早い時間だったが、べつにすることもなく、朝食を食べる気分でもなかったので、いつもより早めに家を出ることにした。
制服に着替え、鞄を持って階段を降りる。玄関のドアを開けると、そこには、道明が立っていた。
「どうして……」と、翠は思わず呟く。
翠はさっき見た夢を思い出した。あの悪夢は、正夢なのだろうか。その予想を裏付けるように、道明は夢と同じセリフを言った。
「どうしてって、こっちのセリフだよ。お前、昨日一人で帰っただろ。なんで俺を避けてんの?」
このまま時が進めば、夢と同じ展開になるのではないだろうか。翠はあの、道明の蔑むような目を思い出してゾッとした。
ただ、夢と違ってこれは現実だ。抑制剤はたしかに飲んでいる。ということは、フェロモンが出てバレるということはあり得ないだろう。
翠は一度深呼吸をし、道明の隣に並んだ。
「ちょっと、用事があっただけだから」
翠は嘘を吐いた。
並んで歩きながら、道明が言う。
「だったら、そう言えばいいじゃん。なんにも言わずに勝手に帰るって冷たくね。お前らしくねーよ。やっぱおかしいって。なあ、そろそろ教えてくれよ。いったい何を隠してんの?」
翠は道明の質問に少し苛立ちを感じた。どうして他人の秘密をこれほどまでに暴こうとしてくるのか。こんなに無神経な人間だっただろうか。『お前らしくない』はこっちのセリフだ。
そう考えたが、道明の気持ちも分かる気がした。道明は自分を心配しているだけなのだ。両親と同じように。要するに自分の嘘の付き方が下手くそなのが悪いのだ。
翠はもう一度深呼吸した。このまま道明に下手な嘘を吐き続けたところで、いつかはバレる。だったら、今ここで、自分の意志でバラした方がいいのではないか。そうすれば嘘を吐き続けて、道明を騙し、心配をかける期間は減る。その方が双方のためだ。
翠は立ち止まった。心臓がバクバクと壊れそうなくらいに脈打っている。
「ん? どうした?」と、道明も立ち止まる。
「俺……」と、翠は道明を見る。「オメガだったんだ」
「……」
道明は何も言わなかった。その表情に変化はない。翠の脳裡に悪夢で見た道明の顔が浮かぶ。目をつむりたくなるが、じっと道明の顔を見つめ続けた。
ほんの数秒間が何倍もの時間に感じられた後、道明の顔はくしゃっと笑顔に変わり、沈黙が破られた。
「やっぱりな。そんなことだとだろうと思ってたんだよ」
道明は軽蔑の眼差しを向けなかった。それは悪夢の道明ではない、いつもの道明だった。こんなことなら、早く秘密を打ち明けておけばよかった。
「ごめん……今まで隠してて」と、翠は謝った。
「べつに謝ることじゃないって。というか、口外したらダメな決まりだし。むしろ無理して訊き出した俺の方が悪いよ。ごめんな」
「それが分かってんなら訊いてんじゃねーよ」
「だからごめんて」
二人はそう言って笑った。
「じゃ、約束は守ってもらうぞ」と、翠。
「え、約束って何?」
「俺が悩みを打ち明けたら、なんで宮園と仲が良いのか言うって言ってただろ」
「あー、そのことか……」
二人の間にまた沈黙が流れた。
翠はゴクンと唾を飲み込んだ。これで、道明と宮園が番であるかどうかが分かる……。
しばらくして、道明は口を開いた。
「これ、他の奴らには内緒だぞ。宮園な、お前と同じで、オメガだったんだよ。それが他のクラスの連中にバレて、はぶられるようになったんだ。それが可哀想だから、俺がいろいろ相談に乗ってやってたわけ。な、いくら翠でも、こんなこと簡単に教えられるわけないだろ? 宮園に許可も取ってないし。ただ、翠がオメガだってんなら話は別だ。俺よりも、翠の方がいい相談仲間になるだろうから」
「……それだけ?」
「それだけって、どういうこと?」
「いや、あの、」翠は顔が熱くなった。「その、番になったんじゃ」
「はぁ?」
道明が突然大声を出したので、翠はびくりとした。
「俺が? なんで?」
「いや、その、道明はアルファだし、俺も宮園がオメガだって噂を聞いてたから、てっきり……」
「俺と宮園が番だって噂が流れてるのか?」
「いや、そんな噂は流れてないけど」
「じゃあ、翠が勝手にそう思ってたわけだ」
「うん……」
道明はニヤッとイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「翠、ヘンタイだな」
「へ、へへへ、ヘンタイ!?」
「だってそうだろ? 翠は俺が宮園とあーんなことやこーんなことをしてるって妄想してたわけだろ?」
「そ、そんなわけ……ないだろ」
図星だった。自分でも分かるくらいに下手な嘘を吐いた後、道明が言った。
「番になんかなってねえよ。宮園はまだ発情期が来てないらしいんだ。でもいつ来るか分からないから、俺も周りに他の奴がいるときじゃないと宮園と話さないように気をつけてる。凶暴化して宮園を襲ったら大変だからな。アルファが凶暴化したら理性が働かなくなるらしいし、周りの奴らに止めてもらわないと」
「そうだったんだ」
宮園は道明と番ではなかった。それを知って、翠の心は嵐が去った後の空のように晴れやかな光が差した。
「ん? なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
道明に言われ、翠は自分の顔がにやついていることに気づき、急いで表情を消した。
「え、いや、あの、ほら、道明がオメガに差別意識が無いって分かったから、嬉しくて」
「んなもんあるわけねえじゃん」
今度の嘘は通じただろうか。そう思いながら、そっと道明の顔を見る。その顔は、いつものように美しく見えた。
これでまた、いつもの二人に戻ることができる。そう思ったとき、ふと、翠はあることに気づいた。
「道明って、周りに他の人がいるときにしか宮園と話さないんだろ?」
「ん、あー、そうだけど?」
「じゃあ、俺もダメじゃね。今、俺と道明って二人きりだけど」
「あっ、たしかに。言われてみればそうだな……」と、道明はしばらく考えて、「べつに仕方ないんじゃないか? 翠となら、二人きりでも」
道明はこちらを見ず、前を向きながらそう答えた。その横顔は、妙に赤くなっているように見えた。