98 人間が発情ドラゴンに勝てるわけない
砂漠の村での宴の夜から一夜が明けた。現在は少女たちが樹海を旅立ってから五日目かつ、この砂漠の村に辿り着いてから数えて三日目の朝だ。
砂賊の襲撃にエリザベスとの出会いなどと色々あったのに、日数を数えてみればまだそれだけしか経っていない。驚きである。
いつの間にか村の広場から屋台やテーブルはすっかり片付けられて、砂漠の村には日常が戻ってきていた。砂賊の襲撃からまだ一日しか経っていないというのに、大層逞しいものである。
そして少女たちはというと、未だにこの村に留まっていた。というのも、この村は何だか居心地が良いのである。
初めて訪れた人間の村であるという思い入れがあるからだろうか、それとも村人たちが温かく接してくれるからだろうか。もう少しだけ、この村で過ごしていたいと思ってしまうのだ。
それに少女も蟲たちも、既にこの村にすっかり適応してしまっている。
その例として、百足は村のゴーレム技師と塀の補強に取り組んでいるし、蜘蛛は村長の家で魔法談義に明け暮れているし、蛇は村の貴婦人たちとお茶会に洒落込んでいる。
姿は人間、されど中身は魔獣な蟲たち。そんな彼らでも問題無く村人たちと親交を深めることが出来ているのだ。きっと彼らの中では、種族間の垣根など些細なものであるのだろう。なにせ人間である少女のことを、赤ん坊の頃から育ててきたくらいなのだから。
「あるじさま! おおきなみずたまりです!」
「そうだねエリザベス。それはオアシスって言うんだよ」
そして少女はというと、エリマキ砂竜のエリザベスと一緒に砂漠の村の探検をしていた。ちなみに二人には、お目付け役としてアーサーも付いている。
今はオアシスのほとりをぐるりと周るルートを辿ってお散歩をしている最中。少女とエリザベスは手を繋いで、同じ歩幅でゆっくりと歩いていた。アーサーはその少し後ろからついてきている。
少女とアーサーは蟲たちから、エリザベスから自然な会話の流れで情報を聞き出して欲しいと言付けられている。
魔獣を縛る鎖の魔法の直接の被害者であり、そして大地竜王の娘である彼女ならば、有用な情報を沢山持っているだろうと彼らは睨んでいるのだ。
しかしそんな策を弄せずとも、エリザベスは自分の方から色々なことを喋ってくれている。きっと少女と話をするのが楽しくて仕方がないからだろう。
ニコニコしながら、時には少女のワンピースの裾にぎゅっとしがみつきながら、エリザベスは次々と話を投げ掛けてくる。少女の方もうんうんと逐一相槌を打って、エリザベスの話を興味深そうに聞いていた。
ちなみにその会話を全て記録するように命じられているアーサーは、高速で繰り広げられる二人の会話をメモするのに四苦八苦しているのであった。彼女のメモ帳は既に真っ黒である。
「あるじさま、きのみです!」
「うん、木の実だね」
「あるじさま、みずどりです!」
「うん、水鳥だね」
目に入ったもの全てを喜々として少女に伝えてくるエリザベスの笑顔は、とても幼く、それでいてとても可愛らしい。
そしてそんな彼女が少女と一緒に歩いていると、まるで母と子のような関係に見えてくるのだ。彼女たちの幼さを鑑みるに、本来は姉妹として見えて然るべきなのだろうが、それでも母親と子供のように見えてしまうのだから不思議だ。
「あるじさま、あおぞらです!」
「うん、青空だね。砂漠の青空は澄んでて綺麗」
それにエリザベスという存在は、少女にも少なからず影響を与えていた。
母性とまではいかなくとも、何か少女にも思うところがあったのだろう。少女の言葉遣いが以前よりも清らかで滑らかになったのだ。
きっと以前の少女ならば、青空の美しさを表現するのに『澄んでいる』なんて言葉は使わなかっただろう。
契約魔法は主と眷属の魂を強く紐づける。それはもう強く。そうして結び付いた少女とエリザベスは、互いに影響を与え合っているのだ。まるで響き合う二つの鐘のように。
「やあお嬢ちゃんたち、これでも食べなよ」
「あるじさま、ふしぎなかおりのするたべものです!」
「うん、飴玉だね」
すれ違った村人が、少女とエリザベスに一個づつ飴玉をくれた。薄い包装紙に包まれたささやかな飴だ。
エリザベスはこの飴玉から不思議な香りがすると言ったが、それも当然。この飴はニッキ飴だ。ニッキとは肉桂とも呼ばれる、樹皮から抽出される香辛料である。
この砂漠の村は西大陸と東大陸を結ぶ東西交易路の途上地点。そのため砂漠を移動するキャラバンの商人たちによって、このニッキ飴のような珍品がもたらされることもあるのだ。
「ありがと~」
ニッキ飴をくれた村人に向かって、エリザベスが手を振っている。もうすっかり彼女もこの村に馴染んでいるようである。
それもそうだ。エリマキ砂竜である彼女は、元来この砂漠の住民であるのだから。それに彼女の褐色の肌と黒髪、それに黒曜石のような瞳は、この赤褐色の砂漠にあって、まるで光景の一部であるかのように溶け込んでいる。
そんな彼女にあだ名を付けるとしたら、まさに『砂漠の姫君』あたりが妥当だろう。
そんなこんなで少女たちの散歩は続いていく。
たっぷりと太陽光を受けて光り輝くオアシスの水面は、砂漠という大地を象徴するかのような美しさと刺々しさを兼ね備えている。しかし、そのほとりを歩く少女とエリザベスはもっと美しい。その内に秘める力だってよりデンジャラスである。
なにせ毒の魔法を手足のように操る月神の愛し子に、熱光線をびゅんびゅん撃ってくる砂竜だ。この二人がいれば、大抵の都市は消し炭に出来ることだろう。
「あれ?」
そんな時であった。少女が何かを見つけたようで、不思議そうに声を上げたのである。
彼女の視線はエリザベスの背後へと向けられている。そこでは、細長い何かがゆらゆらと揺れていた。
まるで玩具に夢中になる飼い猫のように、少女はその揺れる謎の物体に吸い寄せられていった。ぴょんぴょんと跳ねるようにも動くこの謎の物体、見ているだけでも面白いのだ。
いや、やっぱり見ているだけでは満足できない。こんな面白い物体、触らずにはいられない。
そんな衝動に駆られた少女は、その細長い謎の物体をぎゅっと掴んでみた。その感触はまず温かく、次にざらざらとしている。そのざらつきはまるで……そう、細かい鱗のようだ。
「この触り心地……きもちいい」
少女はその不思議な触り心地に、あっという間に夢中になった。そしてこの謎の物体のことを、もっとじっくりと触ってみることにした。
鱗のふちをなぞって、じっくりじっくりと撫でていく。すると細かいヤスリのようなざらつきが指先に伝わってきて、それがとても心地いい。まさに至福と言ってもいい程の快感であった。
「あ、あ、あぁ……」
しかしそうして少女が謎の物体を撫で続けていると、何故かエリザベスの様子がおかしくなり始めた。途切れ途切れに小さな声を漏らしながら、全身を小刻みに震わせ始めたのだ。
そして彼女は恐る恐るといった様子でこんなことを言った。
「あ、あるじさま……わたしとしたいのですか……?」
その声に反応してエリザベスの方を見てみれば、ひどく紅潮した彼女の顔が目に入った。頬も、さらには額ですらも真っ赤に染めた彼女は、まるで発情期に入った獣のようである。その瞳は分泌された薄い涙の膜で潤み、可愛らしく、そしてちょっぴり不安げに揺れていた。
それと同時に、少女の撫でていた謎の物体の正体が判明した。ゆらゆらと動くそれは、なんとエリザベスの尻と繋がっていたのである。
それは尻尾であったのだ。エリザベスの肉体にかけられた変身の魔法が解け始めて、砂竜としての尻尾が表に出てきてしまっているのだ。
突然だが、砂竜の交尾について知っているだろうか。
彼らの交尾は竜種である分とても激しく、もはや殺し合いであると言ってもよい。砂竜の雄と雌が巡り合うとまず、彼らは全身全霊をかけて殴り合いを始める。互いに強い番の相手を求めているからだ。
そしてその殴り合いに一区切りがつき、なおかつ互いがまだ生きているのであれば、彼らは相手の尻尾に触れ合うことで正式な交尾の申し込みをする。
砂竜の尻尾というのは背後の敵を攻撃するための武器でもある。そのため尻尾に触れるこの行動には、交尾のために心を許して欲しいという、お願いのような意味があると言われている。
そう、尻尾の弄り合い。少女は知らず知らずの内にそれをエリザベスに施してしまったのだ。交尾の申し込みを意味するそれを。
そして少女に尻尾をねぶられたエリザベスは、本能で発情してしまったのである。
「あるじさまになら……このみさお、おしくはありません……!」
いつの間にか、エリザベスが変な方向に覚悟を決めてしまっている。
まずい、このままでは色々とまずい。彼女は主である少女に、体も、心も、命も、全てを捧げると誓っている。きっと喜んで貞操を差し出してしまうことだろう。
いや、それでもまだ希望はある。こういう時のストッパーとして、彼女たちにはアーサーが付けられている。まとも枠の彼女ならば、変な方向に暴走してしまいそうな少女たちを止めてくれる。
そう思ったのだが、アーサーの姿が見当たらない。どういうことだ。
答えは簡単。彼女は少女とエリザベスの会話を蟲たちに報告するために、一時的にこの場を離れているのだ。なんと間の悪いことだろう。
「あるじさま、あるじさま、どうかわたしにおなさけを……」
そうしている内にも、エリザベスはじわじわと距離を詰めてくる。本能を全開にした彼女の力は恐ろしい程に強く、後ずさろうとした少女はぐっと腕を掴まれて、地面に押し倒されてしまった。
本格的にまずい状況になってきた。鬼気迫る表情を浮かべているエリザベスに気圧されて、少女はひたすらに困惑するのみ。だから彼女は未だに、エリザベスのことを止めるとか諫めるとかいう思考に辿り着いていない。
「あるじさま……いただきます」
ひどく上気したエリザベスの顔が、少女の唇を目掛けて迫ってくる。とろけたようなエリザベスの表情に、少女は思わず生唾を飲み込んだ。
いくら少女であっても、発情した竜に迫られてはどうすることも出来ない。もはや彼女はエリザベスにされるがままだ。
危ない。少女の貞操が危うい。それに加えて、エリザベスはあろうことか白昼堂々、人の往来すらある村の散歩道で事をおっ始めようとしている。それはさすがに不味すぎる。終わってしまうぞ人生が。
「おやおや、随分な窮地であるようですね。飼い犬に手を噛まれるといった具合でしょうか、我が半身?」
だがしかし、エリザベスの唇が少女にゼロ距離接近しようとしたその時、異変が起こった。何処かから不思議な声が響いてきたのだ。
すると少女の背後から突如として真っ白な腕が現れて、流れるような所作でエリザベスの頬をそっと撫でていった。そして、それと同時に彼女の意識は無くなった。一瞬の出来事である。
脱力して倒れ込んでくるエリザベスを、慌てて受け止めた少女。先程までの火照り様が嘘のように、エリザベスは穏やかに寝息を立てている。
突然の出来事に少女はしばらく呆然としていたが、やがて彼女の耳には再びあの声が響いてきた。
「女たらしなのは結構ですが、さすがに早過ぎますよ我が半身」
遠い所からこちらを眺めて微笑む月の女神の姿が、その時の少女には確かに感じられたのだった。
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