96 女王の襟首
謎の褐色幼女を連れた少女とアーサーは、オアシスのほとりの小屋に集合していた。もちろん蟲たちも同所に集められている。
「あるじさまぁ……」
「うん、よしよし。泣き止んでえらいね」
褐色の幼女は少女の膝の上にちょこんと収まり、頭を撫でられながら喜々とした表情を浮かべていた。
先程までは滝のように涙を流していた彼女も、少女の掌に撫でられた途端に笑顔を取り戻していた。なんなら今では、自分の方から少女の体に頭を擦り付けている。
その様子からは、巣で寄り合う親鳥と雛鳥のような暖かみが感じられる。
しかし、それを見守る蟲たちの胸中にあるのは、ひたすらに困惑の感情のみであった。
この褐色の幼女、ひどく少女に懐いている上に、なんと村長によればこの村の住民ではないというのだ。
ならば彼女は一体何処からやって来たというのだろうか。その外見は幼女そのものなのだが、しかし肉体から湧き出ている魔力の量は常人のそれではないのだ。
それに、褐色の幼女を優しく撫でる少女の表情に、ひとひらの母性が宿っているようにも見えて……。それが蟲たちの困惑を余計に加速させていた。
それはどう考えても、十三歳の少女がしていいような顔ではなかったのだ。
いや、死の樹海という魔境を生き抜いてきた彼女だからこそ出来る顔なのだろうか。彼女だからこそ出来る、いと優しき庇護者の顔なのだろうか。
「へえ~なるほど、まさかこの子がねぇ……」
困惑する蟲たちの中で、比較的冷静なのは百足だ。彼は鑑定眼の能力によって、褐色の幼女の正体を既に見抜いているのである。
鑑定眼はなにも、物体の本質を見透かすだけの能力ではない。生物に対して使用することで、その者の力量を測ることだって可能なのだ。もちろん年齢や性別、種族だって手に取るように分かる。
百足の鑑定眼には、褐色の幼女はこう映ったのである。『種族:砂竜』と。そう、この褐色の幼女は百足たちと同じ、人間に化けた魔獣だったのだ。
そして恐らく、少女はそのことを既に見透かしているのだろう。彼女の持つ凄まじい直感が、それがなくとも磨かれた視覚や嗅覚が、魔獣特有の雰囲気を探り当てられていない筈がない。
それでも少女は、褐色の幼女のことを懐に入れた。つまりそれは、褐色の幼女が一切の敵意も悪意も抱いていないことを意味している。
まあそんなこと、無邪気に甘える彼女の様子を見ていれば、否が応でも察せられるが。
「あるじさま、あるじさま! わたしなまえがほしいです!」
「でもいいの? 名前をもらうってことは……」
そしてこの褐色の幼女、先程からずっとずっと、名前が欲しいと少女に訴えている。
しかしよいのだろうか。魔獣が名を与えられるということはつまり、名付けの主への従属を意味するというのに。
いいや、それも構わないのだ。下僕となることすら厭わないのだ。むしろそれを望んでいるのだ。この褐色の幼女――もといエリマキ砂竜は、少女によって束縛の鎖から救済されたのだから。
「いいえかまいません。おんふかきあるじさまに、このみをささげたいのです!」
きゅっと目を細めたエリマキ砂竜が、額を少女の胸にぐりぐりと押し当てる。そこにあるのは、ひたすらにいたいけな純情だ。
竜とは極度の個人主義をとる種族。彼らの間では力こそが絶対であり、自分を負かした強者にならば隷属すらも厭わない。少女の師匠である毒竜ヒドラにせよ、その絶大なる力を持ってして多くの配下を従えていた。
だが竜には実力の他にももう一つ、命と同様に重んじる事柄がある。それが恩だ。
彼らは力を重んじるからこそ、戦いに明け暮れるからこそ、一筋の光明、恩義を何よりも大切にする。
ただ他者を屠ることだけを楽しむ者達ならば、それは蛮族と変わらない。心の柱として御恩と奉公を据えることで、竜たちは己を律しているのだ。
エリマキ砂竜はずっとずっと、砂賊共の魔法によって束縛されていた。いつからそうだったのか、それすらも分からなくなる程の長い年月の間を。
気付いた時には体中に穢れた何かが絡み付いていて、それらが壊せ、殺せと耳元で囁いてくるのだ。そうして悍ましい誘いが囁かれる度に、破壊衝動に抗えずに何度も何度もドラゴンブレスを撃った。
苦しかった。意思に反して破壊を強制させる日々は。一体どれだけの村を、一体どれだけの人間を、今まで葬ってきたことか。弱者を蹂躙することは、自分たち竜にとって最も恥ずべきことであるというのに。
しかし、そんな地獄から少女が救い出してくれた。
白銀の矢が向かってきた時、エリマキ砂竜はやっと死ぬことが出来ると喜んだ。もう誰も傷付けなくて済むのだと、安らかな白銀の光を眺めながら心から安堵した。
だが、どれだけ待っても痛みが訪れることはなく……代わりに肉体には開放感が満ちた。気付けば自分を束縛していた忌々しい鎖が消えていたのだ。
ただひたすらに感謝した。眠りに落ちる寸前に見えた、あの銀髪の少女の優しい微笑みに。
だから、だからこそ、エリマキ砂竜は誓った。この身、この心、この命、全てを捧げて、一生を捧げて、必ず彼女に恩返しをすると。
これが褐色の幼女、もといエリマキ砂竜の胸中に秘められた想いの全貌である。
実は彼女は昨日まで、人間に変化することが出来なかった。人語だって全く話せなかったのだ。
しかし、少女に仕えたいという願望だけを頼りに死ぬ寸前まで魔力を絞り出し、彼女は一夜でそれらを会得してしまった。
その偉業は、決して才能だとか、天の憐れみだとかに起因するものではない。それはエリマキ砂竜の重い想いが成し遂げた忠義の結晶である。
そして、そんなエリマキ砂竜の忠義の心を、少女は既に見抜いている。
エリマキ砂竜の黒曜石のような瞳を見れば分かるのだ。それは少女が人間の世界へと踏み出した時と同じ、覚悟の込められた瞳だった。
歩み寄ってきてくれた彼女の覚悟に、応えないわけにはいかないだろう。だから少女は決めた。
「いいよ。貴方に名前をあげる」
「わぁ……! ありがとうございます、あるじさま!」
少女の優しい瞳に射抜かれたエリマキ砂竜は、とても幸せそうな顔をしている。少女の銀髪も、銀色の瞳も、桜色の肌も、その全てが彼女にとって愛おしかった。
そしてエリマキ砂竜はじっと待っている。少女の口から自分の名前が告げられるその時を。
「貴方の名前はエリザベス。どうかな、受け入れてくれる?」
「もちろんです、あるじさま! わたしはきょうからエリザベスです!」
少女が名前を与えて、そしてエリマキ砂竜がそれを受け入れたその途端。二人の額を橋渡すように光の糸が生まれた。契約魔法の成立である。
今ここに少女の三匹目の下僕、エリマキ砂竜のエリザベスが誕生した。彼女はきっと末永く、少女のことを支えてくれることだろう。
「わたし、エリザベスはえいえんのちゅうせつをちかいます! ……大地を統べる竜王であり我が父である、アダマンタイトの名の下に!」
エリマキ砂竜あらため、エリザベスが誓いの言葉を口にする。幼い彼女ではあるが、その言葉に込められた忠義の心は、一切の混ざり気の無い本物だ。
しかし何故だか、最後の一行だけがやけにはっきりと聞き取れた。まるでその部分だけ事前に練習させられていたかのような……。
「ちょっと待って! 今なんて言った!?」
するとその時、今まで押し黙っていた蜘蛛が突然声を上げた。常に冷静沈着な彼にしては珍しく、かなりの剣幕である。少女もエリザベスも、思わずびくりと体を跳ねさせていた。
だが、蜘蛛にも悪気があったわけではないのだ。なにせエリザベスの発した『大地を統べる王竜であり我が父であるアダマンタイト』という言葉、これがあまりにも衝撃的過ぎたのだから。
「エリザベス、君ってまさか大地竜王の娘なのか!?」
体はまだ小さいけれど、その身に秘める力と純情はそれに見合わない程に大きい。そんな『ロリ巨竜』概念を、辰年である今年は流行らせていきたいですね。