88 ドラゴンブレス熱光線VS拳
「紫涎が……」
真っ二つに折れた紫涎を目にした少女の顔には、大量の冷や汗が浮かんでいた。
少女は自身の肉体が傷付いたとしても、回復の魔法で幾らでも治せる。たとえ腕や脚が消し飛ぼうと、腹に大穴を開けられたとしても、言ってしまえば問題無しなのだ。
しかし、紫涎は駄目だ。直せない。一度壊れた物体は、回復の魔法でも直せない。
「どうしよう……紫涎がっ……!」
取り返しのつかない致命傷を負ってしまった少女の愛武器、紫涎。二つに折れたそれを片手ずつに抱えて、少女はただ声を震わせている。
幼い少女はまだ、『直せないモノ』を直視することに慣れていない。
「落ち着け」
しかしそんな時、震える少女を制するように百足が声を発した。
だが百足だって紫涎に無関係ではない。というか、百足は紫涎の製作者だ。少女とは違って冷静さを保っている百足だが、彼は折れた紫涎を見ても何も感じていないのだろうか。
いや、それは違う。職人である百足は既に、一種の悟りを得ているのだ。どれだけ情熱と魂を込めて作った作品だとしても、それらは時にいとも容易く崩れ去ってしまうという諸行無常を、彼は悟っているのだ。
「壊れちまったものはどうにもならない。紫涎はここで天命を全うしたんだ」
百足は静かにそう言って、優しく少女の頭を撫でた。大事なものを失くす感覚を受け入れるのに、少女は少し時間を要するだろう。
そんな幼さ故のセンチメンタルと向き合う時間を、百足は守ってやりたいと思った。たとえここにいたのが蜘蛛でも蛇でも、きっと同じ判断をするだろう。
「ここは俺が時間を稼ぐ。アーサー、この子を頼んだ。」
「御意に、造物主」
百足は塀から飛び降りて、エリマキ砂竜の方へと向かっていった。
エリマキ砂竜の周囲は、再び火炎の魔力によって灼熱地獄へと変容していっている。エリマキ砂竜は既にドラゴンブレス熱光線の第二射の準備を済ませているようだ。
「ギャゴオオオオオス!!」
キイイイイインと空気を切り裂く鋭い音を響かせながら、熱光線が放たれる。大きく開かれたエリマキ砂竜の口から放出された熱光線は、一秒とかからずに百足の元に到達した。
「『シェム・ハ・メフォラシュ』」
しかし目前に迫った熱光線を前にしても、百足は至って冷静にゴーレムの魔法を唱えた。
そして地面から湧き出す無数のゴーレムたち。鹿に、猪に、狼に、猿に、人に、それに竜まで。多種多様な魔獣を模したゴーレムたちが、百足の前方に壁のように立ちはだかった。
しかもそのゴーレムたちは土の茶色ではなく、紅色に照り輝くボディーを有していた。それは擬似オリハルコンの輝きである。
擬似オリハルコン製のゴーレムたちが造り上げた壁は、熱光線を真上の方向へと逸らしてみせた。空高く打ち上げられた熱光線は、夜空に浮かぶ星々の仲間入りをしたかのように一瞬輝き、そして消えた。
「立派なエリマキだな! 俺にもよく見せてくれよ!」
百足はそう叫んでニヤリと笑い、再び駆け出した。走り出した百足の後には、紅く輝く無数のオリハルコン・ゴーレムたちが付き従って進んで行く。さながらゴーレムの大行進だ。
百足はその大行進の中の一体、馬のような形状をしたゴーレムに跨って砂漠を駆け抜けていく。馬に騎乗し、金髪を靡かせる彼の姿はまるで白馬の王子様である。ただし、馬はオリハルコンの紅色をしているのだが。
「グゴアアアアアアアアアア!!」
続いて、ドラゴンブレス熱光線の第三射。しかし百足は再びゴーレムの壁を構築し、先程と同じようにそれを真上に打ち上げる。
「……って、おいおいマジかよ!」
だが一つだけ、先程とは違うことがあった。熱光線と衝突したゴーレムの壁が、跡形も無くドロドロに溶解させられていたのだ。
恐らくは百足に一度攻撃を防御されたことを受けて、エリマキ砂竜が熱光線の威力を上げたのだろう。
「なかなかどうして化け物だな……このトンデモ野郎め!」
百足の言う通り、あのエリマキ砂竜、なかなかどうして化け物である。死の樹海でもこれ程の強者は中々お目にはかかれない。
エリマキによって可能となる超収束型のドラゴンブレス熱光線。あれは恐ろしい程の威力を持っている。少女は腕を失うだけで済んでいたが、もし普通の人間ならば、あの熱光線が近くを通過するだけで蒸発しているだろう。
だがそんな超危険な熱光線を、百足は避けるのではなくわざわざ丁寧に弾いている。それは彼の背後に村があるからだ。
もし熱光線が村に直撃すれば、家屋もそこに住む人間たちも、きっと跡形も無く消滅してしまうことだろう。
「とはいえ、次を防げるかどうか……」
エリマキ砂竜はまだ余力を残している。恐らく熱光線はまだ何発も撃てるのだろう。その全てを防ぎ切れる確証は百足には無かった。
「グゴギャアアアアア!!」
それでも百足はゴーレムの馬を走らせ続ける。『時間を稼ぐ』と少女に言ったのだ。ならばそれに殉ずるのみである。
紫涎を失って少女は混乱しているが、彼女は強い子だ。すぐに立ち上がってくる。百足にはその確証があった。
「よっしゃ、気合い入れていくぞ!」
百足は己に発破をかけると、砂の地面からさらなるゴーレムの軍勢を生み出した。
ゴーレムの大軍勢を引き連れて、百足はエリマキ砂竜を目指して進んでいく。擬似オリハルコンで作られたゴーレムたちの体が、夜空から降り注ぐ月光を反射して紅色に輝いていた。
「行かなきゃ……」
折れた紫涎を抱えて蹲っていた少女の、手の震えが止まった。エリマキ砂竜と対峙する百足の姿を見たからだ。
百足が戦っているというのに、ここで自分だけがうじうじと停滞しているわけにはいかない。紫涎が折れても、まだ腕があるのだから。
蜘蛛が言っていた。戦士とは、剣が折れても拳で戦い、拳が砕けても噛み付いて戦う者のことを指すのだと。
ならば腕の残っている自分はまだ戦えるはずだ。少女はそう心に決めた。
それに、あのエリマキ砂竜だって被害者だ。エリマキ砂竜の肉体に纏わり付いている魔力の鎖は、ギチギチと彼のことをきつく締め付けている。
エリマキ砂竜は容赦無く熱光線を放ってくるが、しかしその反面、彼の顔はずっと苦しそうに歪んでいる。これ以上はそんな顔、させたくはない。させてはいけない。
助けないと、救ってあげないと。この手で。この拳で。
「グゴギャアアアアア!!」
塀の上で立ち上がった少女に向けて、ドラゴンブレス熱光線が放たれる。空気を切り裂くレーザービームが、光の速さで少女に迫る。
だが少女の二つの瞳は、その光の刃をキッと睨み付けて離さなかった。
そして少女は突き出す。全てを撃ち抜く熱光線に向かって、あろうことか自らの掌を。ただしその掌には、溢れんばかりの白銀の魔力が宿っていた。夜空に浮かぶ月のように気高い白銀が。
その掌の中に白銀の月を握り締めて、少女は拳を固める。
「『竜咆』!!」
さらに白銀の拳へと竜の言霊を込めて、振りかぶって、そして――少女はドラゴンブレス熱光線を、夜空の遥か彼方へと殴り飛ばした。
少女の拳によって軌道を真上へと逸らされた熱光線は、夜空の彼方へと消えていく。だが一方の少女の拳には、一切の傷すらも無かった。大海を丸ごと持ってきたかのような大量の魔力が、白銀の鎧として彼女の拳を守護しているのだ。
白銀、それは月の色。白銀、それは優しい守護の顕れ。白銀、それは不浄を祓う聖なる輝き。
月の輝く夜にだけ、紫から白銀へと発色を変える少女の魔力。それに、少女の持つ美しい銀髪。その白銀は少女のことを守ってくれる。
そして、その時だった。どこからだろう、声が響いてきたのだ。
「力が欲しいですか?」