84 絶望の蒼い炎
「おっ、おいっ!? 待ちやがれ砂竜ども!!」
ドシドシと大きな足音を立てながら、散るように逃げ去っていく砂竜たち。そんな光景を目にした砂賊たちは口々にそう叫んだ。
特に酷い焦り様を呈しているのは、砂竜に騎乗していた幹部級の砂賊たちである。砂竜の背から振り落とされた奴らは、地面に強打した頭部や背中に走る激痛に唸っている。
今まで自分たちの命令に素直に従っていた砂竜たちが、いきなり狂乱して手綱を振り払ってきたのだ。奴らの焦り様は相当なものである。
「どうするんだ!? おい、これからどうするんだ!?」
三百人の砂賊の軍勢の中に、次第に動揺が広がっていく。
百足の生み出した三十体のドラゴンゴーレムを目にしても、砂賊たちが撤退ではなく様子見を選んでいた理由。それは他でもなく、自分たちも竜を従えているという心の余裕があったからである。
しかし砂竜が逃亡した今、その余裕は綺麗さっぱり消え去った。残ったのは、三十体のドラゴンゴーレムを相手にしなければいけないという圧倒的な不利状況のみである。
「静まれぃッ!!」
しかしその時、辺り一帯に獣のような野太い声が響き渡った。
その一喝に、騒々しかった砂賊たちが水を打ったかのように静まり返る。そしてその全員が鶴の一声の主に視線を向けた。
その視線の先に立っていたのは一人の男であった。冒険者から略奪した上等な白い長杖を携えて、腕を組んで仁王立ちしている男だ。
傲岸不遜なその男こそ、魔毒の砂賊団の頭目である指名手配人アルバンスである。
この砂漠にて十年間以上もの間、幾度も略奪行為を繰り返し、百人以上の無辜の命を奪ってきた張本人。パクス・ロマエ帝国でも五本の指に入る極悪人である。
「砂竜どもが逃げたとて狼狽えるな! 元々あの蜥蜴共は試験的な戦力だ、アテにするな!」
砂賊全員の注目をその身に受けたまま、アルバンスは声を轟かせる。
過去に傭兵として戦場を経験しているアルバンスは、混乱に陥った兵を落ち着かせる方法をよく知っている。
雑兵というのは大した状況判断能力も持ち合わせていないくせに、すぐ悲観的になる厄介な存在だ。
だから今のように、上の立場にいる司令官があたかも無問題であるかのように演説をしてやるのだ。全てを鵜呑みにする雑兵共は、それだけであっという間にポジティブになる。
「そして見ろ、あのドラゴンゴーレムどもを! 間者の報告にあった『ゴーレムに変形する塀』というやつだろう! どうせハリボテだ! 脅しに屈するな!」
アルバンスはスラスラと頼もしい言葉を並べていく。
街の衛兵団が討伐に来た時も、奴はこうして部下を鼓舞することで勝利をもぎ取ってきた。アルバンスは自分の統率能力に絶対的な自信を持っているのだった。
「頭目がああ言っているんだ! 間違いねぇ! 俺たち勝てるぞ!」
アルバンスの演説に追随するように、幹部たちが同調して声を上げる。
頭目であるアルバンスが皆を鼓舞して、さらには幹部たちがそれに同調して……そうして煽動の波は砂賊たちの間に広がっていくのだ。
そして自信と希望を取り戻した砂賊の軍勢に、再び士気が湧き上がり始める。中には雄叫びを上げたり、己の武器を振り上げたりと、勝利を確信したかのような行動に出る者すらいた。
「お前たちよく聞け! 俺が直々に先陣を切る! あの村を滅ぼし、オアシスと女を手に入れるぞ!」
アルバンスのその言葉に、砂賊の士気は最高潮に達する。その勢いのままに、アルバンスは白杖を頭上に掲げて駆けだした。それに続いて、無数の砂賊たちが一斉に村を目掛けて走り始める。
わらわら、わらわらと動き出した砂賊共の立てる足音は、砂竜のそれにも負けず劣らず強烈に大地を揺らしていた。
アルバンスは確信していた。この戦の勝利を。
そして奴の思考は既に、村を滅ぼした後のことに向けられていた。
村にある大きなオアシスを手に入れれば、略奪活動により一層の安定感が生まれる。
それに賢帝の勅令によって築かれたあの村には、他の村とは違って若い女が大勢住んでいる。略奪の後にはお待ちかねの陵辱の時間だ。
水と女。長い間渇いて飢えたままだったこの二つの欲求を同時に満たすことができる。あの村を襲うことは、砂賊たちにとってメリットでしかないのだ。
これからもどんどん勢力を拡大して、他者から奪う生き方を一生貫き通してやる。アルバンスはそう心の中でほくそ笑んでいた。
「全てを溶かし尽くす魔毒の矢よ、放たれよ! 『ポイズンバレット』!」
アルバンスは一番槍を投じてやろうという気概で、杖を構えて呪文を唱える。杖の先端に埋め込まれた魔石が一瞬光を放ち、魔法陣が浮かび上がった。
そして射出された。毒液を撒き散らしながら飛ぶ、毒の魔法によって生み出された魔毒の矢、ポイズンバレットが。
その魔毒の矢はドラゴンゴーレムの中の一体を目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。アルバンスの頭の中には魔毒の矢がドラゴンゴーレムの頭を砕き散らす、一秒後の光景が思い描かれていた。
勝った。その瞬間にアルバンスは脳内でそう呟いた。
「……うざったらしいわね、灰になりなさい」
だが、次の瞬間に奴の目に飛び込んできたのは、魔毒の矢がドラゴンゴーレムの頭部を見事に砕く光景ではなかった。
アルバンスの目に映ったのは、壁のように湧き上がってきた蒼い炎が、部下の半分を一瞬で灰にする光景であった。
「やはり汚物の処理には炎が一番ね」
そしてその蒼い炎の壁の向こう側から、ゆっくりと現れた。大理石のような純白の髪と肌を持つ、この世の者とは思えない絶世の美女が。蒼い炎を全身に纏った美しき悪魔が。
その白い悪魔――蛇は、掌に浮かべた蒼炎の放つ青白い光に照らされて、宵闇の中に一人ぽっかりと浮かび上がっていた。
そして彼女はこう言う。
「さあ、ゴミをお片付けする時間よ」