76 初めての迷子
門をくぐり、砂漠の村の中へと足を踏み入れた少女たち。
だがしかし初めて訪れる人間の村である故、どうもさっぱり勝手がわからない。それに『人間の村』という目的地はあれど、そこに辿り着いた後にどのような行動をとるかまでは明確に決めていなかった。
そのため目的を失った少女はオロオロと村の中を彷徨い続け、遂にはその中央に位置するオアシスのほとりにまで辿り着いてしまったのであった。
「これが人間のむら……おそろしい……!」
成程、完璧に理解した。そう言わんばかりのしたり顔で少女は呟いた。
この村には、泥レンガ製の四角形の住居が無秩序に建ち並んでいる。そのため、その隙間に張り巡らされた路地の入り組み様は、まるで迷宮ラビリンスの如し。
それに見事に嵌められてしまった少女は、なんとこのオアシスに辿り着くまでに、おおよそ三時間程村の中を彷徨い続けていたのである。
いやそれを言うなら、少女の故郷である死の樹海の方が、よっぽど迷宮じみていて危険だと思うのだが……。
おそらく無機質な白色の壁が立ち並ぶこの村の景色が、少女の方向感覚を狂わせてしまったのだろう。自然の造り出す複雑怪奇な迷宮には慣れていても、人工的な景色には全くもって不慣れなのである。
そして少女は身をもって体験した人間の村の恐ろしさを、今しっかりと胸に刻んだ。『人間のむらは迷路と同じ。すごく危険。注意が必要』と。
「あれ? みんなは?」
そして、少女はようやく気が付いたらしい。自分の周囲に、蟲たちの姿が全く見当たらないことに。
実は道に迷った少女は混乱のあまり、無意識の内に家屋の屋根に飛び移ったり、急に路地裏に入っていったりと、意味不明な挙動を繰り返していた。
それについて来れなかった蟲たちとは当然、とっくの昔にはぐれてしまっているのである。
そうつまり、少女は只今絶賛迷子中なのであった。
「これって多分さぁ……」
「ええ蜘蛛、私達二人は完全に迷っているわ」
そして、迷子なのは少女だけではなかった。
こちらは蛇と蜘蛛のペア。この二人は見失ってしまった少女を探している内に、なんと一緒にいたはずの百足とアーサーともはぐれてしまっていた。
そして、立ち往生な今の状況に至る。
しかも少女のように村の中央のオアシスに辿り着くようなこともなく、未だに迷路のような路地の中を彷徨い続けているのだから救えない。
家屋と家屋の合間にある狭くて暗い路地。そこで歩みを止めた蛇と蜘蛛は大きな溜め息を吐いた。
「ねえ蜘蛛、どうしましょう私たち」
「うーん、ちょっと待ってね。隠蔽の魔法で目立たないようにしてから、空に浮いて探してみるよ」
はぐれた少女や百足、アーサーたちのことが心配だ。特に少女の方は、いつも想像を遥かに超えた想定外を引き起こしてくるものだから、人一倍心配だ。
仮にも少女は樹海の主。やろうと思えば国すら滅ぼすことも可能な力をその身に秘めているのだ。強大な力を宿している分、きっちりと監督してあげないといけない。
そこで蜘蛛は村を偵察した時のように、空に浮かぶことで上空から少女たちを捜索することにしたらしい。
村民たちから目立ってしまわないように、周囲の生物の意識を自分から逸らす魔法を使う。
これは幾つかある魔法属性の中でも、『闇邪』という括りに属する魔法だ。この闇邪属性に属する魔法は威力と効力が凄まじい代わりに、細やかな出力の調節が求められる。
まあそんなもの、蜘蛛にとっては勿論お手の物であるのだが。
そうして蜘蛛は呪文を詠唱しようとするが、その時であった。
「おや? 先程の旅の方々ではありませんか」
路地に面していた家屋の裏口がパタリと開き、その中から先程村の門の所で会った守衛の男が声をかけてきた。
蛇と蜘蛛が歩みを止めて話し込んでいた場所は、どうやら丁度村の診療所の裏手だったようである。
そう、その診療所とは、先程蟲たちの美貌にやられて倒れた若い守衛が運び込まれた場所だ。
倒れた若い守衛に付き添って診療所に滞在していたもう片方の守衛が、その裏手で迷っていた蛇と蜘蛛を見つけて声をかけてくれたのだ。
迷っているなら、ひとまず中に入って休んでいったらどうだ。そう言った守衛の男の厚意に甘えて、蛇と蜘蛛は診療所の中でしばしの休息を取ることにした。
確かに人探しをするのならば、冷えた頭で取り組む方がいい。休憩も悪くはないだろう。
そして木の椅子に腰掛けた彼女たちは、守衛の男とお喋りに興じていたのだった。
「倒れたあの若い子は無事だったのかしら?」
「ええ、それはもちろん。今は眠っていますがね。それよりも、あの時こいつに回復の魔法をかけてくださったのは……あなた様なのでしょうか?」
純白のベットに寝かされた若い守衛を指差しながら、もう一人の方の熟練の守衛がそう言った。
熟練の守衛――少し長めの茶髪と、整えられた茶髭が目立つ彼は見抜いていたのだ。若い守衛が倒れた時に、蛇が咄嗟に彼に回復の魔法を施していたことを。
「あら、気付いていたのね。貴方には光聖魔法の心得があるのかしら?」
「ええ、少しだけですが。ここの村長は優秀な魔術師でして、適正のある者は魔法を仕込まれているんです」
肉体を癒す回復の魔法は数多くあるが、そのほとんどは清らかなる『光聖』の属性に属している。少女の使う毒疫属性の回復魔法『グレイスフェイス』のような例外は存在しているが。
蛇は太陽神の加護により、火炎と光聖の属性に高い適正を持つ。そんな彼女の扱う回復の魔法に気が付いたということは、この守衛の男も光聖属性に適正があるのだろう。
「しかし羨ましいですな、回復の魔法を扱えるなんて。光聖魔法の中でも最難関なのに……もしや誰かに師事していらっしゃったのですか?」
「いいえ、独学よ。まあ、私がそれを言うのはズルいかもしれないけれどね」
同じ光の魔法使い同士で気が合ったのか、蛇と守衛の男の会話はそこそこに弾んでいるようだ。
だが、それを横目で見ながら無言を貫いてる蜘蛛には別の気になることがあるのだった。
「……ねぇ、話を遮ってごめんだけどさ、この状況は一体何なのさ?」
思わず守衛の男にそう尋ねてしまった蜘蛛の眼に映っていたもの。それは診療所の十つある病床を全て埋め尽くす、満員の患者たちの姿だった。