72 ゆめゆめ語らう砂漠の夜
「造物主、あと十二秒で焼き加減がレアに達します。そしてさらに二十秒加熱すれば、焼き加減はミディアムにまで到達するでしょう」
「了解だアーサー。じゃあその間をとって、ミディアムレアに仕上げるとするか」
砂竜との戦闘からしばしの時間が経ち、砂漠を夜の幕が覆った。
真昼に見せていた灼熱の大地っぷりはすっかり鳴りを潜め、その代わりにやって来たのは極寒であった。砂漠は太陽の膝元である分、逆に太陽が沈んだ後には一切の熱と光を失うのである。アーサーによれば放射冷却という現象であるらしい。
そして砂竜を追い払った少女たちは夜の闇の中で、楽しい楽しい食事の準備を始めていた。
今日の食材は戦利品である砂竜の尻尾。丸焼きにしていただきます。
丁寧に鱗を剥がして、薄皮をめくって、そして肉をぶっ叩いて柔らかくする。アーサーが提案したレシピを、職人兼料理人である百足が実行。この完璧なコンビネーションによって、砂竜の尻尾ステーキは着々と完成に近付いていた。
「造物主、こちらをどうぞ」
「おう、サンキューな」
そして焼き上がった肉に、仕上げとして岩塩を削って振りかける。この岩塩はアーサーが錬金術を行使して生み出したものだ。
無限知識と高速演算を誇る彼女にとって、魔力を対価とした無からの物質の錬成など、至って容易いことなのである。
パラパラと振りかけられる塩が、肉の表面に浮かんだ脂に溶けていく。それと同時に広がっていく芳醇な肉の香り。それが完成の合図であった。
「おーい、お前たち! ご飯ができたぞ!」
「さてと、『クリエイト・クレイ』!」
調理を終えた百足が、砂の地面に掌を触れさせて呪文を唱える。すると、砂の一粒一粒がまるで意思を持っているかのように蠢きだした。
そうして寄り集まった砂によって、白く輝く陶磁の皿が形成されていく。砂の物質としての組成を錬金術によって変性させることで、そこらに無限にあるような砂から、光り輝く高級な白磁の皿を生成しているのだ。
言うまでもなく、そこに用いられているのは極めて高等な技術。
砂を自律行動させるゴーレムの魔法と、物質の組成を分解・再構築する錬金術を同時に稼働させる。こんなことを常人がやろうとすれば、たちまち脳が弾けてジ・エンドである。
百足だからこそ為せる技だ。
そしてアーサーは流れ作業のように、その白磁の皿に出来上がった砂竜の尻尾ステーキを盛り付けていく。
そこから漂ってくる肉の香りに、少女は思わず生唾を飲んだ。
その後、アーサーが召喚した円卓に全員が着席し、いよいよ楽しい食事が始まった。
付け合わせは特には無いが、この食卓にはステーキの他にも、もう一つ贅沢品が並んでいる。それは水だ。
砂漠という土地においては、水は黄金をも凌ぐ価値を持つ。しかしここにはいるのだ。無限大に水を生み出すことのできる蜘蛛という魔術師が。
「『アクエリアス』」
百足の生み出した陶器のコップに掌を添えて、蜘蛛が創水の魔法を詠唱する。それと同時に、水色の魔法陣がコップの底に刻まれた。
なんとこれだけで、大気から魔力を取り込んで際限なく水を生み出す、魔法のコップの完成である。
蜘蛛は長い前髪を手ではらりと払うと、どんなもんだと口角を上げた。
一方、皿と同じく錬金術によって作り出された銀のナイフを手に取り、それを僅かにくいっと動かす少女。
すると彼女の目の前にあったステーキが、あっという間に十の肉片に切り分けられてしまった。
少女はその中の一つをフォークで突き刺すと、期待に満ちた顔でそれを口へと運ぶ。
「いただきます! ……うーん! おいしい!」
元気よく食前の挨拶を済ませた少女は、肉汁に満ちた肉片をさっそく口に放り、もごもごと咀嚼し始めた。
すると、期待通りの美味が彼女の口の中に広がっていく。
「あら絶品。流石は百足とアーサーね。料理の腕もやはり一流だわ」
砂竜の尻尾ステーキに舌鼓を打つ少女たち。蛇の言う通り、これは本物の絶品だ。
雑食である砂竜の肉とは雑味が多く、さらには生臭さも強い厄介な食材なのだ。それをここまで上品な味わいに仕上げてしまうとは。脱帽である。
「私と造物主の共作です。共同作業です。美味でないわけがないのです」
どうだ見たことか。そう言わんばかりにアーサーが胸を張っている。
創造されたばかりの頃には、機械特有の感情の発露の乏しさを見せていたアーサーだが、最近は何というか随分と人間臭くなってきたものだ。きっと造物主である百足の影響なのだろう。
その影響がいいモノなのか、それともそうでもないモノなのかは……さっぱり知らないが。
「ごちそうさまでした!」
そして少女たちは、あっという間に食事を平らげてしまったのであった。
食事を終えた後にやること。
歯磨きならばもう終えた。ならば次は睡眠だ。
「みんなおやすみ……」
一日中灼熱の大地を歩き続けて、さらには砂竜と一戦を交えた少女。身体の疲労に加えて、目に映る光景の全てが新鮮であるこの砂漠という新天地が、彼女の心もまた疲れ果てさせたのだろう。
床に就くなり、少女はすとんと眠りについてしまった。
「ふふふ。たまに大人びたことを言うけれど、この子もやっぱりまだ子供ね。安らかな寝顔だこと」
「そうだね蛇。樹海の外という未知の世界に触れて触って……。きっと疲れたんだろうさ」
「おいおい蜘蛛、それは俺たちもだろ? 本当おっかなびっくりだぜ、樹海の外にこんな砂の大地があるなんてな」
深い眠りに落ちていった少女を見るや否や、三匹の蟲たちはほっと息を吐いた。
実を言うと彼らも今日一日の間、気を張り詰めっぱなしだったのだ。なにせ蟲たちにとっても、樹海の外の世界は未知そのものに他ならなかったのだから。
しかしそれでも、彼らはずっと気丈に振る舞っていた。少女を不安にさせぬよう、そして少女の歩む道に遅れをとってしまわないように。
「それにしても、見通しが甘かったかしら。一日中歩いても人間の街が見つからないわね」
そして話はこの先の展望についてに移る。
この旅は人間を知るための旅だ。少女が自分自身とは何かを知るための旅だ。
だから旅の第一目的地は、どこかの人間の街と定めている。
しかし丸一日歩き続けても、人間の街は発見できなかった。
そりゃあ蟲たちも、砂漠なんていう不毛の大地のど真ん中に、どどんと街が建っているなどとは思っていない。
だが予想以上に広大なこの砂漠を抜けるのに、後どれくらいの時間がかかるのか。それに見通しが利かないのも確かだ。
このまま歩き続けるか、それとも別の方法で目的地を目指してみるか。
この二択のどちらを選択しようかと、蟲たちは迷っているのであった。
「ま、とりあえず……」
「今夜は床に就くこととしましょうか」
「だね。おやすみー」
まあ今の疲れ果てた頭では、考えつくものも考えつかないだろう。
だから取り敢えず今夜は眠ろう。そして明日の朝目覚めたら、冴えた頭でこの話の続きを考えることにしよう。
おやすみなさいだ。
蟲たちは人間への変化を解くと、既に寝静まっている少女の傍に這いより眼を閉じた。
少女の全身にゆるゆると絡みつく百足。銀髪の中に潜り込み、八本脚を脱力させる蜘蛛。少女の股のあたりでとぐろを巻く蛇。
一人と三匹はまるで一つの塊であるかのように寄り添い合って、心地の良い夢の世界に旅立っていった。
太陽から夜空の支配権を譲り受けた月は、宵闇に煌々と輝いている。
過酷な砂漠に一時の安らぎを与えるその優しい月光は、少女の銀髪もまた照らしていた。
月も、少女の銀髪も、どちらも同じ白銀色。だからなのか、月光に抱かれた少女の姿もまた非常に美しいのであった。
まるで湖面に映し出された、もう一つの月そのものであるかのように。
そして、気付いた者は誰もいなかった。安らかな夢に落ちていった筈の蛇が、何故か激しく魘されていたことに。
ちなみに砂竜は竜種っちゃ竜種なんですが、
ワイバーンよりもちょっとだけ賢いだけの下等種です。
ヒドラとかには遠く及びません。