71 アカシック・レコード
「あの蜥蜴の魔獣についての情報を共有致します」
対巨大蜥蜴のための作戦を、少女たちに向けて語り始めるアーサー。
すると彼女の掌の上の虚空に、突如一冊の本が出現した。革のような材質の外装に包まれた上等な本だ。
しかし職人である百足にはわかった。その本を形作っているのが、この世に存在しない物質であるということを。
百足本人は気付いてはいないが、職人として一線を画す次元に到達している彼の瞳は、いつの間にか『鑑定』の力を持つ魔眼に変質している。
存在の本質を見抜くその鑑定眼が捉えたのだ。アーサーの持つその本が、この世にある筈ではない物体であるということを。
「この本はアカシック・レコードより拝借してきた、あの蜥蜴に関する情報のアーカイブです」
そう言ってアーサーはペラペラとページをめくっていく。
そんな彼女は言った。この本はアカシック・レコードより拝借してきたものであると。
アカシック・レコードとは、この世界で起こった全ての事象が記憶されている異界の図書館のことである。
この世界とはズレた別世界に構築されているアカシック・レコード。しかしどういうわけか、アーサーはその異界の図書館へと簡単にアクセスすることができるのだ。
しかもそこに収められた無数の記憶を、自由に引き出すことができるのである。
「そしてこのアーカイブによれば、あの蜥蜴の性質の中に一つ、利用できそうなものがあります」
アーサーはその言葉と同時に、ページをめくる手を止めた。そして彼女は一つの記述に指を添わせる。
「あの巨大蜥蜴は尻尾を失うと、恐慌状態に陥り逃走します」
「ギャオオオオオス!!」
砂丘の上で作戦会議に講ずる少女たちを見て、これは好機だと思ったのだろう。巨大蜥蜴が咆哮を上げながら、その強靭な四本脚で砂の大地を駆けていく。もちろんその視線の先にあるのは、獲物である少女たちだ。
しかし次の瞬間には、少女たちの姿は蜥蜴の視界から蜃気楼のように消えてしまった。
「唸れ、紫涎」
そして上空から声が響く。
慌ててその声のする方へと目を向ける巨大蜥蜴。その眼には、魔杖・紫涎を大きく振りかぶり、風を切り裂いて空から落下してくる少女の姿が映った。
「ぐっ!? グギャアアアアア!?」
砂漠にて広大な縄張りを支配し、長い年月の間頂点捕食者として君臨してきたこの巨大蜥蜴にとっても初めてのことであった。人間が空から降ってくるなどということは。
「グッギャアアアアア!!」
しかし巨大蜥蜴はすぐに焦りを落ち着けると、空中落下中の少女を見据えて大きくガバッと口を開けた。
すると周囲の魔力が熱を帯びて、次第にぐつぐつと煮詰まっていく。さらには巨大蜥蜴の喉袋が赤熱し始めた。
「むむむ……あれはちょっとまずいかも」
危険の予兆を感じ取った少女は、空中落下の軌道を修正しようと体を捻る。
しかし、それよりも速く攻撃は放たれた。
「ゴオオオオオ!!」
巨大蜥蜴の赤熱した喉袋から溢れ出したのは、マグマのようなドロドロの炎の放射。
それは巨大蜥蜴あらため、砂漠の支配者である砂竜の必殺技。仇なす全てを焼き尽くすドラゴンブレスであった。
放たれた炎は空に向かって、光線よろしく一直線に突き進んでいく。空中で逃げ場のない少女を呑み込み、焼き尽くそうと。
あまりの熱に巨大蜥蜴の周辺の地面の砂が溶解し、ガラス質へと成っていく。
だがしかし、ただの炎で少女を倒せるとは思わない方がいい。
「『ポイズンヴェール』」
炎が少女に直撃する。
しかし、黒煙の中から現れたのは黒焦げの焼死体ではなく、擦り傷の一つすら無い無傷の少女の姿であった。
「グギャア!?」
何故だ、と言わんばかりに吠える砂竜。
ドラゴンブレスは誇り高き竜種にのみに許された必殺の炎だ。それを受けてどうして無事でいられるのだ。
答えは簡単。少女だからだ。
少女は炎の直撃の寸前に、自身を包み込む毒の膜を展開していた。それも五重に。
溶かす力を防御に転用した『ポイズンヴェール』と呼ばれるその魔法は、いとも容易くドラゴンブレスを弾き飛ばしてしまったのである。
しかし、その反動で空中落下の軌道が乱れてしまった。当初の作戦では、落下のエネルギーを纏った少女が砂竜の尻尾を断ち切る予定であったのだが……。これではそれも難しそうである。
「いいえ。全く問題ありません」
だが実を言えば、それは全く問題ではないのだ。
忘れてはいけない。この作戦の立案者がアーサーであるということを。彼女は人間の叡智の外側へと覚醒した、超知能ポスト・シンギュラリティである。
「この作戦は元から二段構えでの攻撃を予定していました。私が一撃で決めます」
空からアーサーの声が響く。
そう、空を落下していたのは少女だけではないのだ。
なんらかの要因によって第一波である少女の攻撃が失敗、もしくは無効化された場合のことを考慮して、アーサーが攻撃の第二波として続いていたのだ。
そして、アーサーが黄金の聖剣エクスカリバーを振りかぶる。
「『黄金一直閃』!」
一瞬、金色の光が迸り……。
そしてその光に目が慣れた頃には既に、砂竜の尻尾は切断されて宙を舞っていた。
「グ……グ……ギャアアアアア!?」
砂竜からしてみれば、いつの間にか自分の尻尾が切られていたという意味不明な状況だ。当然、奴は焦りに満ちた咆哮を上げている。
しかし砂竜の心の中にあったのは、焦りというよりも……大きな絶望であった。
砂竜にとって尻尾とは、緊急時に自切することで囮として使う盾なのである。だが、その盾は今失われた。
つまり、奴にとっての最終手段が喪失したのだ。それは砂竜の心の中にあった余裕を消し去るのに十分過ぎる出来事であった。
そして恐怖に駆られた砂竜が次にとる行動とは、逃走である。
「ギャオオオオオス! ギャオオオス!」
断ち切られた後でも、未だにビクビクと動き続けている極太の砂竜の尻尾。しかし絶望によって満たされた砂竜はそれに見向きもせず、一目散に逃げ去っていった。
明後日の方向へと四本脚で駆けていく砂竜。それによって高く立ち昇った砂埃を見つめながら、勝者である少女たちはふっと息を吐いた。