66 昔の話をしようか
「なるほど、樹海を出ると……」
百足が難しそうな顔をしてそう呟いた。
ヒドラと別れ、山脈を降りて蔦の森へと帰ってきた少女。そんな少女は蟲たちに再開するや否や、樹海を出るという自分の決意を彼らに語ったのだった。
そう、それはつまり、別れを告げることと同義である。
少女は元から自分の身一つで樹海を出るつもりであった。百足にも、蜘蛛にも、蛇にも、其々の生き方がある。家族であるとはいえ、彼らに自分の生き方を強いるつもりはないのだ。
「うん。だからみんなとはここで――」
「お別れ、とは言わせないわよ」
しかし、少女が最後に別れの言葉を告げようとした時、それを遮るようにして蛇が口を開いた。
その釘を刺すような鋭い一言に、はっと顔を上げる少女。
だが、そんな少女の瞳に映ったのは、先程発した鋭い言葉とは半面に、とても優しい表情を浮かべている蛇の姿だった。
蛇だけではない。百足と蛇も、蛇と同意であると言わんばかりに柔らかい笑顔を浮かべている。
「寂しいこと言うなよ。家族ってものは一蓮托生だろ? 俺たちも着いていくぞ」
「それに、僕らには君のことを最後まで見届ける義務があるんだからね」
囲んだ焚き木の向こう側から、百足と蜘蛛の声が聞こえてくる。その優しい声色に、少女は虚を突かれたように目を見開いた。
「いっしょに……来てくれるの? どうして?」
「言っただろう、俺たちは家族だ。十三年前のあの時からな」
少女は不思議でたまらないようだ。我儘とも言えてしまう樹海を出るという自分の決意を、どうして百足たちまでもが共にしてくれるのだろうかと。
「でもそうね、貴方が決意を固めたのならば……」
「僕らも話すべきだろうね。十三年前のあの日のことを」
そして、そんな少女を前に、蟲たちもまた何やら覚悟を決めたようである。
揺らめく焚き火の炎の向こうから聞こえてくる彼らの声が、少しばかり低くなった。
「そうだな……少し、昔の話をしようか」
蟲たちは語り始めた。ゆっくりと。
今まで明かされることのなかった、蟲たちと少女が出会った十三年前のとある日のことを。そして、蟲たち自身の過去のことを。
「そうね、まずはどうして私たちが共に生きることになったのか、その理由を話しましょうか」
百足、蜘蛛、蛇……彼らはそれぞれ異なる種族だ。そんな彼らが共に生きているというのは、考えてみればおかしなことである。
普通ならば、互いに食らい合う敵同士であるはずなのに。
「これを見てくれ」
百足はそう言うと、自身の頭を少女の膝の上に載せた。
崩した正座のような姿勢で地べたに座り込んでいる少女。その両膝に収まり切らない程に大きな百足の頭を、少女は無意識にこすこすと撫でた。
赤黒い触角をぴくぴくと動かしながら、百足は言葉を続ける。
「俺にはな、生まれつき毒牙が備わっていないんだ」
口をぐぱっと開いて少女に見せる百足。確かにその口からは、本来ならば彼の種族である巨大百足に備わっているはずである、毒を分泌する大きな牙が欠けていた。
今まで少女は百足の同族に出会ったことがなかった故に、彼に毒牙が備わっていないことを不思議に思ったことはなかった。
「僕も同じようなものでね、蜘蛛糸を作り出す為の器官が欠損してるんだ」
続いて、百足の頭の上にぽとりと乗っかってきた蜘蛛が話す。
そんな蜘蛛は、紫色の模様の入った自身の胴体を、脚でぽんぽんと叩いてみせた。
百足とは違って彼の欠損は体内でのことであるため、実際に目にすることはできないが……確かに彼が蜘蛛の巣を張っているところを、少女は一度も見たことがない。
魔法によって糸を具現化して戦う姿は何度か見ているが、蜘蛛の体から直接糸が生み出される場面には遭遇したことはないのだ。
「私は言わずもがなね。この白い鱗は樹海の中では目立ち過ぎる」
最後に、少女の長い銀髪の中に潜り込んでいた蛇が言った。
蛇の白い鱗は、いかんせん自然界の中では悪目立ちし過ぎてしまう。
捕食者からすれば、蛇はわざわざ居場所を知らせてくれている親切な獲物であるし、逆に被食者からすれば、蛇はわざわざ狙っていることを知らせてくれる親切な狩人なのだ。
常に誰かに狙われ続ける上に、獲物には簡単に逃げられてしまう。そんな過酷な運命の下に蛇は置かれているのである。
「私たちは皆何かしらの欠点を持っているの。……でもだからかしらね、あの時すぐにわかり合えたのは」
毒牙が無いせいでまともに狩りが出来ない百足。
糸が出せないために住処も罠も作れない蜘蛛。
白い鱗のせいで常に危険に付き纏われていた蛇。
しかしある時、この三匹は偶然にも鉢合わせたという。
その時、相手に襲い掛かって食らうことで、自分の空きっ腹を満たすことだってできた筈なのだ。だが蟲たちはそうはしなかった。
不遇な思いをしてきた者達にしかわからない何かで通じ合ったのか、それとも時に共生という手段を選択する生物としての本能がはたらいたのか、理由はわからないが、その時蟲たちは確かに通じ合ったのである。
「不遇の者でも三匹寄れば……ってやつなのかな。それからお腹一杯になれることも段々増えていったんだ」
それから三匹の蟲たちは、互いに助け合いながら樹海を生き抜くようになっていった。
百足が巨大な体で獲物を追い立て、蜘蛛が小さな牙で目を潰し、蛇が首を締めて仕留めた。
互いの弱点を補い合えば、存外狩りも上手くいくものである。初めて三匹で獲物を仕留めたその日には、余りの感動に彼らは抱き合ったという。
その際に、百足と蛇が絡まり合ってしまって大変なことになったのは内緒である。
「そんなお腹一杯な生活が続くと、自然と身体も成熟していくわけでね」
「その内に、俺たちの中に眠っていた力も表に現れた始めたんだ」
そういった生活が続き、季節が一周した頃。
蟲たちは、自分たちの中に眠っていた力に気が付き始めていた。
百足のずば抜けて高いゴーレムの魔法への適正が。
蜘蛛の全魔法属性を扱えるという規格外の才能が。
蛇の白鱗へと宿った太陽の神の加護が。
健全な生活によって肉体が存分に成長したために、それぞれ目を覚ましたのだ。
「あの時は本当にびっくりしたぞ……。急に蛇の全身が光り始めたんだもんな」
「それを言うなら百足、貴方が作った泥団子がひとりでに動き始めた時なんて、私は心臓飛び出るかと思ったわよ」
「嬉しかったよね。なんというかさ、報われた気がして」
そして、生活が軌道に乗り始めたそんな時期であった。
蟲たちが少女に出会ったのは。