60 クレイドル・グレイブ
コマチの結界が閉じた後、そこに広がっていた光景はまさに死屍累々であった。
虫の息となった密猟者たちが、あちらこちらに転がっている。
あくまでコマチの『結界・九葬薄原』の術の効果は死を追体験させることのみ。言ってみれば幻影を見せるだけである。九相を全て完遂した際に起こる死の確約を除けば、肉体に物理的なダメージを与えることは一切無い。
ただし、精神の方には一生消えないトラウマを残していくのだが。
「あ……あ……」
少女によって肉体を、コマチによって精神を、共にズタボロに踏み躙られた密猟者。ボロ雑巾のようになった奴らは、既に廃人となる寸前である。
しかし、そんな奴らに一片の容赦をかけることも無く、最後の止めを刺す為に少女は歩み出した。
まず彼女の瞳に映ったのは、四肢を失ったのにも関わらず、蛆虫のような動きで必死に地面を這っているロバースの姿。
少女の顕現させた毒の剣は、相手を斬りつけると同時にその傷口を毒によって焼き焦がす。よって傷口が塞がるので出血が少なく、四肢を失ったロバースであっても未だに息があるのだ。
無論それは慈悲ではない。少しでも長く苦痛を味わせる為の工夫に過ぎない。
「……まだ逃げられるとでも思っているの?」
無様に地面を這って、必死に少女から遠ざかろうと努めるロバース。その塵に値しない光景を目にして、少女はもはや何の感情も無くそう言い放った。
――時に、この世で最も残酷な刑罰を作り出そうと考えたのならば、人々はどのような要素を刑に盛り込むだろうか。
この世界では、多くの国において死刑が最高刑として定められている。それは人が支払える中で、最も重いものが命だからである。
ならば、最終的に命を奪うことが残酷な刑罰としてのマストになるのだろうか。
いいや、それは大きな間違いだ。残酷さを極めたいのならば、むしろ死は優しすぎる。
考えてみて欲しい。ギロチンで首を切断する、縄で絞首する、四肢を車裂きにする、毒杯をあおらせる、炎で炙る……多種多様な死刑の形が存在しているはいるものの、いずれでも罪人は最終的に死亡し、解放されてしまうのだ。
そう、解放されてしまうのだ。痛みと苦しみに満ちたこの世界から、罪人達は死をもって解放されてしまうのだ。
それはおかしい。どうして苦痛を与える為の刑罰の先に待っているのが解放であるのだ。
罪人はいつまでもいつまでも、永遠に苦しみ抜くべきであるのに。
死刑は正しくない。何故ならば、死は逃避であるからだ。罪人を苦痛から逃避させてはいけない。罪人は永遠に苦しまなくてはいけないのだ。
そして、そんな理念を叶えてくれる魔法が、毒疫の魔術には存在している。
そのあまりの残酷さに、多くの国と地域において禁術として指定されている魔法。その名も――
「『クレイドル・グレイブ』」
少女がその禁術の名を詠唱する。
それを呼び水に、地面からは毒々しい紫色をした茨の蔓が大量に生えてきた。
「やっ、やめろぉっ!」
その鋭い茨の蔓たちはロバースを標的として定めると、空中を鞭のようにしなりながら進んでいく。
そしてそれらは逃げ場の無いロバースの両肩を貫くと、空中へと吊し上げて見せた。
茨の棘には釣り針のような返しが付いている。それらはもがくロバースの肉に食い込み、抵抗の無意味さを雄弁に語っていた。
他の密猟者たちもロバースと同様に体を茨によって貫かれ、十字架に掛けられるようにして空中へと浮かび上がっていく。
「……あれはまさか」
その様子を目にしたコマチが小さく呟いた。
魔術師である彼女は、当然禁術『クレイドル・グレイブ』を知っている。それは別名にて『最も残酷な魔法』と呼ばれている程の禁忌の魔法なのだ。
空中に晒し上げられたロバース達を、茨の蔓たちが鳥籠のように取り囲んでいく。一本一本は細い茨の蔓だが、互いに絡まり合うことによって縄のような太さと鉄格子のような硬度を手に入れているのだ。
そして少し時間が経過した後、少女の周辺には賊共を閉じ込めた茨の鳥籠が無数に浮かんでいた。
葡萄の房が枝から垂れ下がるように、紫色の大きな鳥籠が幾つも空中に吊るされているのだ。
そしてその中からは、徐々に呻き声が漏れ出してきた。
「ああ……ああたすけ……てぁ」
しかし、それは体を貫かれた痛みに由来するものではない。いよいよ駆動を始めたのだ。この世の残酷の限りが詰め込まれた禁術クレイドル・グレイブが。
どくん。どくん。
何か、鼓動のような音が聞こえてくる。
その音の源は空中に吊るされた茨の鳥籠だ。
よく見てみると、地面から空中へと伸びる茨の蔓の内部を、まるでチューブのように液体が流れている。
それが吸い上げられる音が、あの鼓動のような音の正体なのであった。
そして、茨の内部を流れる謎の液体、その正体はずばり毒である。毒液が茨を通じて、賊共の体内へと流れ込んでいるのだ。
血管の壁を、筋肉の繊維を、骨を、ありとあらゆるものを溶かしながら、毒液はじわじわと全身に浸透していく。それに伴う毒に体内を直接焦がされる感覚。それは想像を絶する苦痛だ。
そう、まさにそれは罪人が味わうのにぴったりな苦痛であった。
しかし、人間の身体はデリケートだ。毒を直接流し込むなんてことをすれば、あっという間にその生体機能はお釈迦になってしまう。
それではいけない。どれだけ壮絶な苦痛を与えられたとしても、すぐに罪人を死なせてしまっては刑罰としての意味がない。求めているのは、長く長く罪人を苦しめることのできる刑罰であるのだ。
クレイドル・グレイブ、そんな体たらくでは最も残酷な魔法の名が廃る。
しかし安心して欲しい。クレイドル・グレイブには、三千年の人類魔法史に裏付けされた、残酷さのお墨付きがある。
ある時は王権への反抗勢力を見せしめに刑する為に、ある時は国を傾けた悪女に至上の苦痛を与える為に、クレイドル・グレイブの九文字は人々に唱えられてきた。
そう、お察しの通り、茨の鳥籠に対象を閉じ込めてそこに毒液を流し込むことだけが、この魔法の全貌ではないのだ。
クレイドル・グレイブにはまだ、罪人を永遠に苦しませ続けるための秘密が隠されている。
「やはり……あれは」
コマチはその秘密に気が付いたようだ。
魔法学者たちの訴えによって、『最も残酷な魔法』であるクレイドル・グレイブが様々な国で次々と禁術に指定された出来事。それからおおよそ二百年が経過した。
そのため、当然コマチはクレイドル・グレイブの発動を実際に目にしたことは一度も無かった。
しかし、たとえ初見だとしても伝わってくるその凶悪さ。寒気がする程である。
そして、聡明なコマチの眼が一つの魔力の流れを捉えた。
地面から吸い上げた魔力を毒に変換し、賊共へ注ぎ込むクレイドル・グレイブの茨の蔓。チューブのようなその蔓の中を流れていくのは、毒液だけではなかった。なんとそこには、肉体を再生させる回復の魔法のエネルギーが混入していたのだ。
「これが禁術……壮絶ね」
コマチの眼前で繰り広げられている光景は、まるで地上に顕現した地獄であった。
「ああああああああああ」
まず、賊共の体が毒によってどろどろに溶かされる。そして次に、その溶解した体を回復の魔法がすぐに元通りに治癒していく。
その後すぐさま毒は溶解を再開し、回復の魔法は先程と同じように即座にその傷を塞いでいった。
そう、茨の鳥籠の中では、これが永遠と繰り返されているのだ。
溶かされて、治されて、溶かされて、治されて、溶かされて治されて……。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、溶解と再生が循環を繰り返す。そしてその度に賊共の体には稲妻のような激痛が迸る。
紫毒の鳥籠の中では、こもった悲鳴が何度も木霊していた。
これが悪魔の禁術『クレイドル・グレイブ』の全貌である。
茨の蔓を通じて流し込まれるのは、毒と回復エネルギーの混合液。それは罪人の身体を破壊すると共に再生されるために、罪人を決して死なせず、奴らに永遠の苦痛を与えていく。
そう、まさにそれは癒しを与える揺籠であり、永遠の苦痛を与える墓場であった。
「たすけ……あああたすけぇ……」
樹海の空中にぶら下がる数百の鳥籠は、風に揺られて醜い悲鳴を漏らしていく。
クレイドル・グレイブによって顕現した茨は地面と大気中から魔力を吸収する為に、術者に依らずとも永久的に残り続ける。
きっとロバースを始めとする密猟者達は、体が限界を迎えて朽ち果てるその時まで、この耐え難い苦痛を味わい続けるのだろう。
いや、回復の魔法によって延命が行われている為、そもそも死ねるのかすらもわからないが。
「死にたくても死ねない煉獄の中で、せいぜい己の罪を噛み締めろ」
少女はその光景を見据えて冷たく告げた。
禁術を顕現させた後であるというのに、その顔には一切の陰りも曇りも無い。
当たり前である。全ての毒の魔法は彼女の下僕であり手足。禁術指定などという人間のちっぽけな指針ごときが、どうしてそこに介入できるのだろうか。
風に乗せられて樹海中に響き渡る賊共の悲鳴は、奴らの犠牲となった魔獣たちへの鎮魂歌である。
そしてそれを奏でる無数の茨の鳥籠を見やると、少女は一切の感動も無く、さっと踵を返して去っていった。
そういえば、この小説の総文字数が10万字を超えたようです。ちりつもを実感します。