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毒の魔法で華麗な日常を!!  作者: うなぎ大どじょう
第一章 死を育む樹海の中で
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59 嘆く髑髏と唯ある小野塚

「『結界・九葬薄原(くそうはくげん)』」


 その言葉を皮切りに、コマチの足元から結界が広がっていく。

 彼女の黒髪と同じ漆黒の魔力が、地面を這って、または大気へと拡散して、結界の外郭を形作っていった。


 空を降る少女とメルトの眼にも、漆黒が辺り一帯を覆い尽くしていく光景がくっきりと映っている。

 その様子はまるで、押し寄せる影の津波のようであった。宵闇よりも暗いその漆黒が創り出すのは、この世ならざる悪夢の光景である。


 そして辺り一帯を包み込んだ球体状の空間は、空から降り注いできた密猟者たちを一人残らず呑み込んでしまった。






「な……なんだここは」


 結界が全てを呑み込んでから暫くして。


 結界に呑み込まれた密猟者達が、次々と意識を取り戻していった。

 そして奴らは困惑した。空中に突然現れた漆黒の魔力の障壁に呑み込まれたかと思えば、次の瞬間には見知らぬ空間にいたのだから。

 結界の内部に広がっている光景、それは先程まで見ていた樹海の景色とはまるで違っている。


 奴らの視界に飛び込んできたのは、辺り一面の(すすき)野原であった。


 何処までも何処までも、生い茂る(すすき)が全てを覆い尽くしているのだ。そして上空には漆黒の闇の天蓋が広がっており、そこには巨大な満月が浮かんでいた。


 どこからか吹いてくる微風が、(すすき)の穂を絶え間なく揺らしている。


「此処は私が編み出した独自の結界。それ故に、私自身の心象風景が色濃く映し出されているの」


 コマチの声が辺りに響く。

 咄嗟に辺りを見回す密猟者達。しかし奇妙なことに、その声の主の姿は何処にも無かった。


 『結界・九葬薄原(くそうはくげん)』。この(すすき)と月光に支配された結界は、東洋魔術師ミノ・コマチによって編み出された処刑場である。


 賢者も愚者も、美人も不細工も、死んでしまえば皆等しく屍になる。

 野晒しの白骨死体を目にした時、人はどうしてその生前の姿を思い描くことができるだろうか。いやできない。

 生前の姿など、火葬の炎に焼かれた時に、土葬の土砂に埋もれた時に、いとも容易く消え去ってしまうものだ。


 それが無常。そして、九葬薄原(くそうはくげん)はその無常が顕現した結界である。


「まずは『脹相(ちょうそう)』」


 再び、微風に乗せられてコマチの声が響き渡った。

 そしてそれは他でもない、処刑開始の合図である。ついに眼を醒ますのだ。この結界に付与された悪夢の如き術が。


 ぶくぅっ。


 するとその声を耳にした賊共の体から、風船が膨らむような間抜けな音が聞こえてきた。


「なっ!? なんだよこれぇ!?」


 実際膨らんでいるのだ。奴らの腹が、空気を注入されたかのように大きく大きく。

 際限なく、止まる所を知らず、時間の経過と共にどんどん膨らんでいくその腹は、まるで詰め物をされたかのようだ。


 これは『脹相ちょうそう』。屍となった人間が最初に迎える段階である。腐り落ちた死体の内臓が瘴気を発し、それで一杯になった腹が破裂しそうな程に膨張する。

 その無様な様相こそまさに、これから死人が向かう真っ暗な未来を暗示しているのだ。


 そして脹相だけではない。屍が腐敗して風化していく様子には、全部で九つの段階が存在している。

 九つの腐朽の段階。それを総称して『九相(くそう)』と呼ぶ。


 九葬薄原(くそうはくげん)に迷い込んだ罪人たちは、その九相を一から九まで追体験し、それに伴う苦痛を罰として受けることになる。

 まさに生前葬というわけだ。ただし最後の第九相を追体験した時点で、その者の死は確定してしまうのだが。


「『壊相(えそう)』」


 そして、脹相(ちょうそう)の次に訪れるのは壊相(えそう)だ。

 この相では名に入った『壊』という文字の通り、激しい死体の破損が起こる。


 そう、激しい死体の破損である。そして目の前には限界寸前まで膨れた腹。次に何が起こるかなど、言うまでもない。


「ぎゃああああああああああ」


 脹相によって限界まで膨張した腹が、ぱぁんと音を立てて破裂した。

 そして、数多の内臓が破けた腹から溢れ出る。


 体内にぎゅうぎゅうに詰まっていた沢山の内臓たち。腹に空いた大穴という出口を見つけた今、それらは先を争うように体外へと飛び出していく。


「腹がぁあああああ……」


 腹が破裂した上に内臓が溢れ出すという、明らかな致命傷を負った賊達。しかしおかしなことに、奴らは誰一人気絶することも無く、それどころか明瞭に意識を保っていた。

 そのため気絶による痛みからの逃避も叶わず、奴らはひたすらに悲鳴をあげている。


 これも結界に付与された術の効果の一つ。

 九葬薄原(くそうはくげん)の結界内部では、腐朽の追体験を滞りなく行うために、罪人の意識を『固定』する術が張り巡らされているのだ。


 そのため、どれだけ体が損傷しても欠損しても、決して意識を手放して楽になることはできないのだ。たとえ白骨と化したとしても、本人の意識は空っぽの頭蓋骨の中に留まり続けるのだ。


 存分に苦痛だけを味わっていけ……ということである。


「さあ、本番はここからよ。『血塗相(けちずそう)』」


 続いて始まるのは血塗相(けちずそう)。この相からは腐朽の残酷さが一層増していく。


 次第に賊共の口から、鼻から、耳から、毛穴から、何かどろりとした液体が溢れ出してきた。

 どろどろと流れ出ているそれは、正真正銘の血と脂である。体中の穴という穴から、血と脂がブレンドされた特製の液体が滝のように流れ出ているのである。


「『膿爛相(のうらんそう)』」


 さらには、手足の先端から徐々に溶解が始まった。

 ぼろぼろと、体はまるで解けるようにして崩れていく。血塗相(けちずそう)によって噴出した血と脂の混合液に、溶けた肉が新たに混ざっていった。


「『青瘀相(しょうおそう)』」


 そして、一連の腐敗によって大量の血液を失った体は、次第に生気の無い、病的な青緑色を呈していく。


「『噉相(たんそう)』」


 それを見計らってか、青黒くなった血だらけの死体には次々と野獣が群がり始めた。

 何処からか現れたその獣達は、流れ出た血脂をべろりと舐めとり、腐り落ちた肉をむしゃむしゃと()んでいった。勿論、その最中も賊共の意識は保たれたままである。

 自分の体が噛みちぎられていく激痛と、それに抵抗できない絶望に、奴らの心が蝕まれていく。


「『散相(さんそう)』」


 野獣たちによる死体漁りが終わると、そこには完全にばらばらに散らばって、人間として原型を失ってしまった肉塊達があった。


「『骨相(こつそう)』」


 そしてその肉塊達へと、最後の仕上げが施される。


 唱えられた『骨相(こつそう)』の言葉と共に、今まで絶え間なく吹き続けていた風が、一段とその勢いを増していく。

 その風は生い茂る(すすき)を大きくしならせていった。


 すると、風に靡いた(すすき)の穂が転がる肉塊達をざらざらと撫で始める。

 ただしそれは慰めではない。僅かに残った肉や脂を削り取るための徹底的な切削である。

 実際、(すすき)に触れられた部分からは一切の肉が消えていた。まるでやすりのような鋭さを持っているのだ、(すすき)の穂は。


 そしてやっと風が止んだと思って地面を見やってみれば、肉塊はその身から血肉を失い、白い骨へと変わり果てていた。


 脹相(ちょうそう)壊相(えそう)血塗相(けちずそう)膿爛相(のうらんそう)青瘀相(しょうおそう)噉相(たんそう)散相(さんそう)、そして骨相(こつそう)。賊共はこれで八つの相を経たことになる。

 もはや生前の面影は何処にも無く、あるのは転がる頭蓋骨だけだ。


 次に最後の相の名をコマチが唱えれば、いよいよ術は完遂され、そして賊共の死が確定する。


 だがしかし、次なるコマチの声はいつまで経っても聞こえてはこなかった。

 聞こえてくるのは、風に揺らされた薄の穂が互いに擦り合う音だけである。


 どうしてだろうか。敵の心臓を握ったも同然のこの状況で、どうしてコマチは止めを刺そうとしないのだろうか。

 それは賊共へとより長く苦痛を与える為だろうか。


 いや、違う。


 道理を(わきま)えているコマチは知っているのだ。仇討ちにはやはり、様式美というものがあるということを。

 そしてその様式美に従えば、賊共に止めを刺す役は、少女にこそ相応しいということを。


 そこで、コマチは最後の第九相の名を唱えることはせず、代わりに賊共へと一つの贈り物をすることにした。


「薄を()けましょうか」


 その言葉と共に、賊共の頭蓋骨の空っぽの眼窩(がんか)を貫くように、地面から一本の薄が生えてきた。

 頭蓋骨になろうとも、賊共の体には生前と同じ感覚が巡っている。そのため、眼を突き刺された奴らはひたすらにこう呟いたのであった。


「痛い……あぁ痛い……」






 ミノ・コマチ、もとい美濃小町(みのこまち)。彼女は東大陸中に名を轟かせる紙()きと魔術の名門、美濃(みの)家の出身である。


 そんな彼女は幼少期から、とある悪夢に繰り返し襲われてきた。


 それは豪奢な着物を身に纏って、日々歌を詠んで暮らしていた『誰か』の一生を追体験する夢であった。

 美しい屋敷の庭先の池に舟を浮かべて、その上で情熱的な愛の歌を詠んだ。咲いては散る桜や梅の花を眺めて、その無常を嘆く歌を詠んだ。

 そんな優雅な日々の光景を、一つ一つ追体験していく夢であった。


 しかし、それだけでは悪夢とは呼ばれないだろう。そう、この夢の本当の恐怖はここからなのだ。


 その『誰か』はある時死んだ。

 死んだ理由ははっきりとはわからない。ある日突然屋敷の床にぱたりと倒れ伏し、それっきり目覚めなかっただけである。

 そして、野原へと放られたその屍に視点が移った後から、この悪夢の本番は始まったのであった。


 野晒しの中でじわりじわりと進行していく腐朽。腐り落ちる肉に、流れ出る血脂に、風化していく白骨。それに伴う苦痛を、屍には存在しない筈の苦痛を、自分の物であるかのように強く強く感じたのだ。


 そしていつも、朽ち果てた白骨が焼かれて灰になった所で目が覚める。


 そんな悪夢を幾度も見続けた幼少期のコマチの精神は、当然酷く擦り減っていった。毎晩のように襲ってくる悪夢を恐れるあまり、幼い彼女の黒髪には沢山の白髪が混ざっていたという。


 しかしある時、そんな彼女に美濃家当主であったコマチの父はこう告げた。


 曰く『その悪夢すらも己が力とせよ』と。


 コマチは初め、その言葉の意味を全く理解できなかった。むしろ自分は父に見限られたのだと、深く絶望したものだった。


 しかし彼女は自身の成長に伴って、次第にその言葉の意味を理解していった。

 何故なら、歳を重ねるにつれて無尽蔵に美しくなっていくコマチの外見は、悪夢で見る『誰か』と瓜二つであったのだから。


 コマチは考えた。この悪夢はきっと、自分の魂に刻まれた(ごう)か何かの鏡写しであるのだろうと。ならばその業は、己の力に変えることができる筈だと。


 それから彼女は悪夢と相対する度に、『誰か』の瞳をひたすらに見つめ続けた。

 『誰か』が愛の歌を詠んでいる時も、哀の歌を詠んでいる時も、コマチはとにかくその瞳を見つめ続けたのだ。


 そしてある時、転機が訪れた。

 とある日、何千回目かもわからない悪夢の中で、『誰か』が初めてコマチの方を見やったのだ。

 『誰か』は美しかった。絹のような濡羽色の黒髪に、鬼灯(ほおずき)のように紅い唇。浮世離れしたその美貌は、国を傾けてしまう程だとコマチは思った。


 黙りこくるコマチに『誰か』はそっと微笑んで、そして一つの歌を詠んで送ってくれた。

 その歌がどんなものであったかを、不思議とコマチは微塵も記憶していない。


 確かなのは、彼女がそれから悪夢を見なくなったこと。そしてその代わりに『結界・九葬薄原(くそうはくげん)』が彼女の魂に刻まれたことだけである。






「さあ、あとは頼んだわよ」


「ああ」


 結界が解かれる。

 此岸と彼岸を分っていた漆黒の外郭は、影が引っ込むようにコマチの足元に収束していった。


 そして、虫の息となった賊共を目掛けて歩みを進める少女へと、コマチは小さくそう呟いて去っていくのであった。

今年ってもう残り二ヶ月しか無いの!?

あっという間にクリスマス……。

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