5 枝角鹿
「あのシカ、はやい……!」
前方を高速で駆けていく鹿の魔獣を目で追いながら、少女はそう呟いた。
丘の上から見つけたガサガサと揺れる怪しい巨樹、その下にまで辿り着いた少女たちが遭遇したのは、鹿の魔獣、その名も『枝角鹿』たちの群れであった。
警戒心の強い枝角鹿たちは目を合わせた途端に一目散に逃げていってしまったが、それを少女たちは一匹づつ分担して追いかけることにしたのだった。
しかし運悪く少女に割り振られてしまったのは、群れの中でも特に逃げ足の速い個体だった。
乱立する巨樹たちの隙間を縫うように駆けていくその健脚に、少女は先程から苦戦させられていた。
「『ポイズンバレット』!」
樹海の木々の合間に少女の詠唱の声が木霊し、彼女の掌から紫色の毒矢が連射される。以前蛮勇猪を狩った時にも見た毒の魔法だ。
魔力が毒矢に変換されて、次々と撃ち出されていく。紫色の弾幕が展開されていた。
しかし、枝角鹿は高速で飛来する毒矢をちらりと横目で見ると、そのまま軽くぴょんと飛び退き、それらを躱してしまった。高度な動体視力と反射神経があってこその技だ。
よく見てみれば、あの枝角鹿は群れにいた他の個体とは明らかに違っている。
地面を蹴る脚には分厚い筋肉がついており、体格も良い。頭にくっ付いている二本の角もかなり立派に発達している。そこからは威風堂々とした貫禄すらも感じられた。
「……とまった?」
その時、今までずっと走り続けていた枝角鹿が急に動きを止め、少女の方に向き直ってきた。
一体なんのつもりだろうかと彼女が警戒していると、枝角鹿は樹海中に響き渡るような鋭い鳴き声を放ってきた。
「キイヤアアアアアッ!」
鼓膜を突き刺すような鳴き声であった。
そして、その鳴き声を聞いてようやく分かった。この枝角鹿は群れの長であるのだ。でなければ、どうしてこれ程までに威厳に満ちた鳴き声を上げられるのだろうか。
また、少女は感じることが出来ていた。この鳴き声には、これ以上追ってくるならば容赦はしないという警告の意が込められているということを。
大きな力を持つ強者ほど無駄な争いを嫌う。
この枝角鹿は群れを束ねる長としての誇りの下に、少女に対して警告を発したのだった。弱者であるなら見逃すという、懐の深さがうかがえる行動だ。
そして、それに対する少女の返答は……。
「ふん! にげたりなんてしないよ!」
もちろんのこと「望むところ」であった。
少女が左腕を前方に突き出し、不敵な笑みと共に呪文を唱え、魔毒の矢を放つ。
その魔法が戦いの火蓋を切った。
大幅に改稿しました。