49 剣線の内側までお下がりください
「よっと」
百足の前へと陣取ったのは、A級冒険者"首刈り"のヒッタイト。
二メートルを超える長身の彼女。短いざんばらな茶髪が、風に靡いて僅かに揺れている。
そして彼女は背から、一振りの武器を引き抜いた。
「……なんだそれ」
その奇妙な形状に、思わず呟きを溢す百足。
ヒッタイトの得物、それは一見槍のように見えた。
しかし、紅色の長い長い柄の先端に付いていたのは槍の穂ではなく――
「こいつは、あたし特注の戦斧さ」
こじんまりとした、掌大の斧の刃であった。
ひたすらに長い柄と、それに不釣り合いな程に小さな刃。なんともアンバランスで奇妙な戦斧であるが……。
実はこの戦斧こそ、彼女の異名が"首刈り"である所以であるのだ。
刃をあえて小柄に仕立てているのは、そこに力を集中・凝縮させるためである。
その結果、この戦斧はヒッタイトの怪力も相まって、容易く敵の頸を刈り取る無双の武具と成っている。
「人間は大概奇妙な武器を使うもんだな。それにその斧、職人としても興味がある」
ヒッタイトの構えた戦斧を、興味深そうにまじまじと見つめる百足。
しかし、そこから立ち昇る猛烈な魔力に気付くと、彼もいよいよ気を引き締めた。
「あんたが相手なら、あたしも手加減ナシで戦える。――さあ、覚悟はいいかい?」
「おおよ!」
戦いを前に、にやりと笑って楽しげな様子のヒッタイト。
無数の脚をウジョウジョと蠢かして、魔力を練り上げる百足。
魔力を体内に存分に湧き立たせ、両者は静かに睨み合う。
先に動いたのは百足だった。
「出でよ土兵の軍勢! 『ゴーレム・ファランクス』!」
彼が詠唱したのは、十八番であるゴーレムの魔法。
今あるアドバンテージは、手の内を相手に全く知られていないことだ。
ならば遠慮無く、得意のゴーレムで先手を取る。
「せっかくこんな僻地にまで来たんだ。是非とも俺のゴーレムを見ていってくれ!」
地面から次々と生み出されていくのは、長槍と丸盾を構えた人型のゴーレムたち。その数はゆうに百を超えている。
「ぜんた〜い、整列っ!」
さらに彼らは寄り集まり、百足の統率の下に隊形を組み始めた。
数人が横並びになった列が、幾重にも縦に連なっていく。
それは重装歩兵たちによって構築される、古代歩兵戦最強の戦術――密集隊形が現れた。
「ぜんた〜い、進めっ!」
がしゃんっ、がしゃんっ、がしゃんっ……!
最前列のゴーレムたちが長槍を前方へと突き出し、そしてゆっくりと行進を始めた。
乱れなきその動き、まさに圧巻である。
だが、それを目の前にしてヒッタイトは――
「いやいやいや! お前さんも大概面白いモン見せてくれるじゃねぇか!」
ニッコニコの、満面の笑みを浮かべていた。
見たことのない魔法、感じたことのない興奮。
昔ドラゴンを屠った時でさえも、こんなにも胸が高鳴ることはなかった。
ヒッタイトの筋肉で出来た脳味噌が、彼女の全身を熱く滾らせていく。
ひたすらに感動。この出会いに感動。
ヒッタイトは百足との勝負を、一から十までたっぷりと味わうことを決めた。
「でも、こいつぁどうだ!」
そして彼女が懐から取り出したのは、鈍い金属色に輝く一つの缶。
そう、これはヒッタイトの発明品である魔導具『即席魔法缶』である。
彼女はそれに魔力を注ぎ、思いっきり地面へと叩きつけた。
缶は弾け、中から眩しい光が溢れ出す。
魔導具の内部へと組み込まれた巻物、そこに刻まれた魔術式がその全貌を現した。
「これは……見たことない魔力の流れだな」
百足が何やら奇妙な気配を感じ取る。
彼の眼に映ったのは、西洋魔法とはまた違った魔力の流れ。しかも、これは檻のような『囲う魔力』だ。
百足とヒッタイト、そしてゴーレム・ファランクスを囲むように出来上がったのは、半透明の魔力のドーム。
気が付けば、そのドームの縁に沿って、地面からジワジワと赤色の線が浮かび上がっていた。
「『結界・剣線』」
その赤線によって区切られたのは、此方と彼方。
東洋魔術の十八番、結界がここに展開された。
カシャンッ! カシャンッ! カシャンッ!
突然、あたりに甲高い金属音が鳴り響く。
「これは……?」
それはゴーレムたちの持つ長槍が、見えざる力によって地面に叩き落とされる音であった。
「剣線――その赤線の内側じゃあ、何人たりとも武器を抜くことはできないのさ」
これこそ、この結界に付与された能力である。
剣線。それは古き昔に、抜剣を封じる為に開発された結界。
いつの時代のどんな国の議会にも、紛糾した議論の末に、うっかりと剣を抜く者がいたものである。
そんな事態を防ぎ、そしてより深い熟議を促す為に、この結界は古来より各地の議場へと設置されてきた。
そんな由緒正しい結界術を、ヒッタイトは持ち前の柔軟な思考により戦闘へと転用している。
「ゴゴッゴゴゴッ……」
武器を失い、困惑して行進を止めるゴーレム・ファランクスの面々。隊列が僅かに乱れた。
ヒッタイトがその隙を見逃す筈がない。彼女の全身から、猛る魔力が立ち昇っていく。
しかし、『剣線』の内側にいるのは彼女も同じ。自慢の戦斧を振るえないこの状況で、一体どう反撃に出るというのか。
だが、そんなものはヒッタイトにとって、実際何の問題でもないのだ。
何故なら、彼女は戦斧を振るう戦士であると同時に――
「『オブシディアン・スパーク』」
大地魔法を自在に操る魔術師でもあるのだから。
魔法を詠唱したヒッタイトのまわりには、黒い輝きを放つ石片が無数に浮かんでいる。
そして次の瞬間には、射出された数多の漆黒の弾丸が、ゴーレムたちを蜂の巣にしていた。
百を超えるゴーレムたちが皆、ガシャガシャと音を立てて崩れていく。
「……想像以上だな、これは」
粉々の土塊へと還ったゴーレムたちを見据えて、百足は静かにそう呟いた。
奇妙な魔導具に、見たことのない魔法。そして今見せつけられたその威力。彼の中で、ヒッタイトへの警戒レベルが上昇していく。
しかし、その声色からはまだ余裕が感じられた。
いやむしろ、彼もボルテージが上がってきたのだろう。纏う魔力のキレが、先程からナイフのように研ぎ澄まされている。
そう、ここまでは小手調べ。そして、ここからは百足の本気が露になる。
百足は即座に次の魔法を詠唱した。
「目に焼き付けていけ! ゴーレムのその先を!」
地面に現れた魔法陣から、泥の跳ねる音がチャプチャプと聞こえてくる。
百足が独自に編み出したこの魔法は、彼がゴーレムのさらなる可能性へと到達するために生み出した段階の中の一つ。
「出でよ、俺の最高傑作! 歯車仕掛自動人形――」
展開された魔法陣より、泥の飛沫と共に出るのは――
「『騎士』」
全身を鋼鉄の鎧で包んだ、騎士の如き様相の人形であった。