48 白銀の鉄槌、神威を見せよ
「んぐあッッ!?」
回転を纏い、猛スピードで突き進んだ銀腕が、茶太郎の腹に突き刺さる。
人型に化けた茶太郎の身長は、おおよそ二メートル程。しかし、アガートラームの大きさはそれをゆうに超えている。なんと、ざっと全長十メートル。超巨大な白銀の鉄槌だ。
「あら、避けないのね。美しい白銀の輝きに、目を奪われていたのかしら?」
最短で最速、一直線のストレート。
小手調べなどいらない。蛇は初撃から全力をぶち込む。
「強烈……じゃな」
腹を庇いながらも、よろりと茶太郎が立ち上がる。
衝撃によってはだけた友禅の隙間から、内出血によってドス黒い紫に変色した肌が覗いた。
一体、どれほどに強烈な一撃であったのだろう。
内出血程度で済んでいるのは、他でもない、相手が茶太郎だったからである。
もしこの一撃を、そこら一般の魔獣が受けていたとしたら――
「妾でなければ、今ので破裂して死んでいただろうな」
アガートラームを通して蛇に伝わってきたのは、骨を粉々に砕いた感触。ぶるぶると震えるバイブレーションのように伝達されたそれは、蛇をより一層の戦いの恍惚へと引き込んだ。
彼女は今、内なる衝動を解放して女王様モードへと突入している。
普段少女たちの前では決して見せることのない、戦いを楽しむ嗜虐的な衝動が、フルで全開でまっしぐらなのである。
「『甘雨の恵み』……」
腹を抑えて、回復の魔法を唱える茶太郎。優しくて柔らかい光が彼女の掌から溢れていく。
――内臓までいったか。まったく、末恐ろしいものだ。
茶太郎の朱色の唇から、とぷりと血の泡がこぼれた。
――品定めのつもりで初撃は避けずにくらってやったが、さすがにそれは舐めすぎだったな。
茶太郎は僅かな苦い後悔を抱いた。
しかしそれと同時に、彼女の心中に湧き上がってくる感情がもう一つ。
「ほっほっほ――滾らせてくれる!!」
茶太郎の口角がぐにゃりと吊り上がる。
そう、戦いを楽しんでいるのは蛇だけではない。茶太郎だってそうなのだ。
悠久の時を生きた茶太郎は既に、この世の快楽という快楽を知り尽くしてしまっている。生半可な快感では、もはや彼女の心は微塵も動かない。
だがしかし、戦いで得られる情動だけは、それでもなお色褪せないのである。
舞う血飛沫の香りは、彼女たちにとって最上の快楽だ。
「やはり燃やし尽くしてやろう!」
茶太郎の尻尾が左右に激しく揺れる。それに呼応して、百を超える火の玉が生み出された。
「『狐火』!!」
連射銃のように次々と撃ち出されていく火炎弾。蛇の視界が、炎の弾幕で真っ赤に染まる。
「また火の玉? 芸がないっ!」
しかし蛇がアガートラームを振るうと、火炎弾はとたんに全て霧散した。
後に残ったのは、燻る僅かな火の粉のみ。
「銀には魔を祓う力があるの。まあ、蜘蛛のアラクノなんたらみたいにはいかないけどね」
銀で造られた弾丸が、化け物を打倒する特効になるという伝説がある。そこからわかる通り、銀には魔を禊ぎ祓う力――退魔の力が宿るのだ。
そして、魔法も書いて字の如く『魔の法』。対魔の力の対象である。
さすがに全ての魔術を打ち消すことはできないが、この程度の火の玉ならば造作もない。
「そうか、芸が見たいのならば見せてやろう!」
火炎弾が消滅した際に生じた黒煙。それを煙幕として利用し、茶太郎が蛇の懐に迫った。
彼女の左右の拳は、それぞれ炎と水を鎧のように纏っている。
「ふんっ!」
すぐさま蛇は茶太郎に向かってアガートラームを振り下ろすが――
「あら?」
なんと既に、そこに茶太郎の姿は無かった。
先程までそこにいたはずの彼女は、瞬き一つするくらいの僅かな時間で、忽然と消えてしまったのだ。
ならば彼女はどこに?
「――『狐の嫁入り』。貴様の後ろじゃよ」
「むんっ!?」
蛇の耳元に妖艶な声が響く。
それに応えて振り返ってみれば、そこには拳を振りかぶる茶太郎がいた。
茶太郎は霧雨のような幽かな水滴と共に、蛇の真後ろへと転移していたのだ。
そして、刃のように変形した炎が蛇を襲う。
「まだまだぁっ!」
しかし、蛇は瞬時にアガートラームを盾にして、その一撃を防ぎ切って見せた。
対魔の力に当てられ、霧散する炎の剣。だが息つく間もなく、続いて茶太郎の右腕から水の触手が放たれた。
「ちっ!」
四方八方から迫る触手の中の一本が、ついに蛇を捉える。
吸盤のような突起が彼女の全身に食い込んだ。
「がはっ……でも貴方、嫁入りにはだいぶ行き遅れじゃないかしら?」
しかし危機的状況でも、蛇は煽ることだけは忘れない。それが彼女の性なのだから。
「憎まれ口だけは上等じゃな。で、そこからどうする?」
「こうする」
蛇は再び光の鞭を生み出すと、それをしならせ、水の触手を根本から断ち切った。
バラバラの細切れにされた触手たちが、ボトボトと地面へと落下する。
しかし、そこに生まれた一瞬の隙。
茶太郎は容赦なく拳を叩き込む。
「はあっ!」
迎撃と防御のため、アガートラームが滑り込む。
そして、両者が真正面から衝突し――
ゴオオオオオオオオオオォォォーーン……
鐘撞のような、凄まじい轟音が鳴り渡った。
「イタタ……。拳の骨がバキバキじゃ」
「なんで素手で金属の塊と殴り合ってんのよ、貴方」
未だに轟音が木霊を繰り返す中で、二人は再び距離を取って向き合っていた。
「はあ、『甘雨の恵み』……」
再びの魔法で、拳の粉砕骨折を治癒する茶太郎。
ぶんぶんと掌を振って、治った拳の調子を確かめている。
「決着をつけるなら、そろそろかの……」
魔法の撃ち合い、拳の打ち合い、それを経てもつかなかった決着。
「それなら、奥義を出すのが妥当じゃな」
ならば、次に始まるのは互いの奥義のぶつけ合いだ。
「次は全身を粉に帰してあげるわ」
「やれるものならば、やってみるといい!」
アガートラームへと、飽和する程に魔力を注ぐ蛇。
幾重にも手印を重ねる茶太郎。
互いに静かに、しかし着実に魔術式を構築していく。
空中に浮かび上がるルーン。それらが集まり、形成されていく何枚もの魔法陣。
「『結界・殺生石』」
そして、茶太郎の口から先に詠唱が溢れた。
途端に、檻のように魔力が広がっていく。だが、この術の見せ所はその直後にやってきた。
ドゴオオオオオォォォォォォ!!
突如、空から巨大な岩が落ちてきたのである。
そして茶太郎は、その岩に絡みつく極太の注連縄を躊躇無く引きちぎった。
それを合図に、ただでさえ禍々しかったその岩がより一層の瘴気を帯びていく。
――ピシッ
その末に、一筋のヒビが岩に走った。
「懐かしいのぉ、この術は……。妾も昔は大陸中を飛び回って、幾つもの国を滅ぼしたものじゃ」
「……貴方ってだいぶヤバい奴なのね」
岩のヒビから、真っ黒な瘴気が溢れ出していく。
殺生石、それは古き魔のなれ果て。
そこから生じる毒の瘴気は、ありとあらゆる生命を殺し尽くす。
結界によってその瘴気を凝縮し、さらなる殺戮能力を生むのが、茶太郎の編み出したこの術『結界・殺生石』である。
「これが、貴方の本気というわけね……」
生き物のように空中を這う黒い霧が、あっという間に蛇の視界を漆黒に染めた。
何も見えない。これでは視界が役に立たないではないか。
さらに、その黒い霧の向こう側から、茶太郎の声が響いてきた。
「『傾国』」
「ぁ!?」
その瞬間、蛇の視界がぐらりと反転する。
「立って……られなぃっ!?」
彼女はそのまま、どさりと地面に倒れ込んだ。
身体の力が抜けていく。と、いうか、脳の指令を身体が受け付けてくれないこの感覚……。
「精神干渉系の魔法か……!」
「その通りじゃよ」
コツコツと、黒い霧の向こうから、茶太郎が歩を進める音のみが響いてくる。
「身動き取れない貴様が、毒でジワジワと死んでいく様……。もはや官能的ですらあるのぉ」
毒と金縛りの悪魔的コンビネーション。蛇はそれに囚われてしまったのだ。
黒い瘴気に満ちた結界の中に、甲高い笑い声だけが木霊する。
ガアアアアアンッ!
制御を失ったアガートラームが、虚しく地面に落下した。
白銀の輝きでさえも、黒き死の奔流に呑まれて消えてしまうのか。
この勝負は、蛇の敗北で幕を閉じるのか。
「貴様の輝きもここまでか?」
アガートラームから、次第に魔力の輝きが消え失せていく。
「そんな、わけっ……、ないでしょ……っ!」
しかし、蛇の瞳の光だけは消えていなかった。
彼女は、勝機へと手を伸ばすことを止めはしない。
蛇の口から、二又に分かれた赤い舌が覗いた。
「……希望が折れないあたり、本当に気に障るのぉ。では、出でよ式神――」
これだけ追い詰めても折れない蛇の姿が気に障ったのか、茶太郎が畳み掛けて呪文を唱える。
「――『招来・蛟』、『招来・邅跡虎』」
現れたのは、青白い肌をした細長い龍と、黄と黒の縞模様に包まれた巨大な虎。
茶太郎の従える式神だ。
彼ら二体の式神は黒い瘴気を突き破り、倒れ伏す蛇へと襲いかかる。
蛟は大口を開けて牙を剥き出しに、邅跡虎は筋肉に包まれた前脚を振り翳して、其々が蛇の喉元を見据えて飛び掛かっていく。
巨大な二体の獣が、弱々しく倒れ伏す小蛇に飛びつく。これほどに絶望的な光景は中々にない。
「此奴らは妾が昔に調伏した魔獣たちでの。死後には式神と転じて、妾の駒となってくれておる」
ゆっくりと語る茶太郎の口元には、勝利を確信しての微笑が浮かんでいた。
そして蛟の牙が、邅跡虎の爪が、蛇の喉元に触れる――
と思われた瞬間、蛇は静かに呟いた。
「……少し、つめが甘いんじゃないかしら?」
その声を警戒してか、式神たちの攻撃が蛇の眼前でぴたりと停止する。
「……妾の奥義の重ね技じゃ。どこが甘いというのじゃ?」
瘴気の向こう側から、怪訝そうな茶太郎の声が聞こえた。
しかし、それを聞いた蛇は不敵な笑みを浮かべる。
「……貴方は蛇が舌を出している理由を知っているのかしら?」
「……蛟、邅跡虎、終わらせろ」
もはや、雑草のようにしぶといだけの憎まれ口。聞くに耐えない。
無様にもまだ立ち上がろうとする蛇に、茶太郎は止めを刺そうとした。
「……それはね、舌でにおいを察知できるからなのよ」
しかし、その指令が式神達に実行されることは無かった。
「馬鹿なっ!?」
何故なら、彼らは一瞬にして蒸発してしまったのだから。
「『シルバー・フランメ』」
黒い瘴気に毒された大気の中に、一片の輝く銀の火の粉が舞う。
「握るだけが、拳じゃないのよ」
今まで固く閉じられていたアガートラームの掌が大きく開かれ、そこから銀色の炎が放射されていた。
そう、あの時アガートラームが落下したのは、制御を失ったからではないのだ。
無力化されたように見せかけて、その内部に魔力を溜め込んでいたのである。
そしてその末に放たれたのが、蛇の奥義であるこの白銀の炎。破邪の力を纏った聖なるその炎は、あだなす全てを焼き尽くす。
「それに加えて、貴方の居場所もにおいで丸わかりよ」
視界が不能となったならば、嗅覚で居場所を探るまで。
白銀の炎を纏ったアガートラームが、黒い瘴気の中へと一直線に駆けていく。
その衝撃で晴れた瘴気の向こう側には、驚愕を顔に浮かべた茶太郎が呆然と佇んでいた。
「おのれっ!!」
最短で最速、そして最強の、一直線のストレート。
そして、本日二度目の銀閃の炸裂が――
「ぐがあああああぁぁぁっっ!?」
顔面に決まった。
こんなに長い話を書いたのは初めてです……。
何とびっくり、5,000文字ですってよ。