46 天柄杓と剣の舞
「くっ……」
突如現れた、異様な気配を纏う七本の魔剣。
蜘蛛の眼前に召喚されたそれらは、総出で笠松の剣を受け止めていた。
必殺の剣を止められた屈辱か、もしくはこの予想外の展開への驚愕か、笠松は小さく唸る。
暫く鍔迫り合いを続けた彼だったが、やがて飛び退いて距離を取った。
「怪しげなり……だな」
ふわふわと浮遊する魔剣たちは、蜘蛛のまわりを自由に飛び回っている。
それらをじっと見つめていた笠松は気付いた。その一つ一つが、其々異なる魔法属性を秘めていることに。
――七つの星、七つの光。そして、それらによって形作られる天の柄杓。それを媒介とすることで七本七色の魔剣を召喚する魔法、それがこの『虹の七星剣』だ。
勿論、理論も魔術式も、全て蜘蛛が一から構築した完全オリジナルである。
「この魔剣たち、剣士の君を相手取るに当たって、とってもぴったりだと思わない?」
「七刀流……邪道か……?」
「それは直接見て確かめなよ」
蜘蛛が漂う魔剣の一つに焦点を定めると、見えざる力で、それを笠松へと差し向ける。
空中を飛び、笠松に襲いかかる魔剣。
「私の方こそ、甘く見てくれるなっ!」
真っ直ぐに飛んできたその魔剣を、笠松は容易く受け流す。
彼程の剣士が、この程度の拙い剣術に遅れを取ることはないということだ。
しかし――
「あーあ、引っ掛かっちゃった」
それを見た蜘蛛が浮かべたのは、悪戯の成功を喜ぶ子供のような笑顔だった。
「なにっ!?」
その瞬間、振り払われて軌道を外れた魔剣から魔力が立ち昇り、そして閃光が放たれた。
「がぁっ!?」
眩しい光があたりを包み込む。瞼を閉じる間もなく、笠松の視界は真っ白に染まった。
当然、これは魔法である。魔剣に付与された光の属性、それを解放したまでのこと。
「もしかして、魔法使いがまともに剣技で勝負してくると思ってた?」
「く……やはり邪道だったか」
憎らしげに呟く笠松の背後に、さらに二本の魔剣が迫る。
その片方は刀身に燃え盛る紅蓮の炎を纏い、もう片方は凍える純白の冷気を纏っている。
同時に振り下ろされたそれらは、笠松の背中に交差した深い傷を刻んだ。
「くそ……よりによって背中に……!」
背中の傷は何とやら。彼がそれを気にしているかは知らないが、その裂傷の具合は中々に深刻である。
魔法を付与された剣――魔剣に斬られたのだ。当然、その傷にも魔法の影響が現れる。
笠松の背中には、じわじわと広がる火傷と凍傷によって歪な模様が描かれていた。
「『伊吹御降』ッ!!」
背中の傷を庇いながらも、彼は再び剣技を放つ。
魔力を伴った斬撃だ。彼が剣を振り抜いた瞬間、鋭利な突風の刃が生み出された。
対する蜘蛛は、地面を抉りながら迫るそれを見やると、一本の魔剣を手元に手繰り寄せる。
「風嵐属性は大地属性で打ち消すのがセオリーだけど、特別に同じ土俵で勝負してあげるよ」
そうして振り抜かれた蜘蛛の魔剣からは、笠松の風の刃の数倍の大きさを持つ、竜巻の如き大刃が放たれた。
勿論、両者が衝突した末に残ったのは蜘蛛の大刃の方であった。
「があああっ!!」
その勢いのままに突き進んだ風の大刃は、笠松の胸に赤い一文字を刻んだ。
勢い良く舞い散る血飛沫は、まるで桜のようである。ある意味では、笠松にぴったりの趣ある光景かもしれない。
だが、もちろん本人はそれを良しとはしない。
ここまでやられっぱなしなのだ。せめて一太刀入れてやらねば気が済まない。
「はぁ、はぁ……確かに貴殿は強い。だから、私のとっておきをくれてやろう」
笠松は刀を鞘へとカチリと収めると、片膝をついて蹲るような姿勢になった。
そんな彼の体内で、魔力が次第に膨れ上がっていくのを蜘蛛は感じた。成程、奥の手を出すというわけか。
「去る冬、立つ春、季節は廻る。慶べ凍える新緑よ、霜の残り香も今日ここまで――」
刀の柄に、笠松が手を掛ける。
「――『八十八刃』!!」
刹那の神速、引き抜かれる刀。
――しかし、何も起こらない。
「……?」
不発だろうか。蜘蛛もそう思った。
その時、静寂の満ちた二人の間合いに、はらはらと舞い落ちる木の葉が一枚。
ッザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ――
その木の葉は、八十八等分されて塵となり空中に消えた。
「なるほど、結界みたいなものか」
笠松の技は不発などではない。
彼は神速かつ不可視の斬撃を、あたり一帯に解き放ったのだ。
蜘蛛ですらも、その斬撃を捉えることはできない。
いわば、透明な檻である。
触れれば両断、されども捉えられない檻。蜘蛛はそれを結界のようなものだと例えた。
「八十八本の不可視の斬撃。貴殿はこれをどうする」
全魔力をこの剣技に注いだ結果、笠松の力は底をついた。彼は手を地面について、荒い呼吸で蜘蛛に問う。
斬撃の鳥籠の中で、蜘蛛は笠松をじっと見つめた。
「……素晴らしいな、東洋の神髄とは。本当に美しい刃だ……」
蜘蛛は半ば恍惚として呟いた。
彼は見惚れているのだ。段々と狭まり、命を切り刻まんとする斬撃の檻。その中で笑っているのだ。
「貴殿、何故笑っている……?」
「なぜって? 嬉しいからだよ! 君みたいな戦士に出会えて! 東洋魔術の神髄にまみえることができて!」
蜘蛛は笑った。少し不気味な程に。
七本の魔剣たちが空中を狂喜乱舞する。
火の粉が、水飛沫が、砂埃が、旋風が、眩い光が、暗い闇が、そして蜘蛛の笑い声が、あたりに振りまかれる。
その光景はまさに、死海という魔境の深淵そのものであった。
「それはそうと剣士の君、名は?」
「……笠松」
「そうか笠松。時に、蜘蛛の脚が八本あることを知ってるよね?」
舞を演じる七本の魔剣たちの下で、蜘蛛は語る。
「なのに、召喚した剣は七本。これだと脚が一本余るよね。何故だと思う?」
再び蜘蛛が、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
「こういう不足の事態に対応する為に、わざと空にしているんだよ」
「……まさかっ!」
溢れていく。蜘蛛の全身から、膨大な魔力が溢れていく。
笠松は思った。もしかして自分は、この世に降臨した魔王を目の前にしているのではないかと。
「『アラクノフォビア』!!」
蜘蛛が詠唱を口にする。
そして空に現れる巨大な魔法陣。そこからは、極太の糸の束が滝のように降り注いできた。
「さあ、神の怒りを受けし女郎の力を今ここに!」
空中を泳ぐように漂う、黄金の糸と白銀の糸。それらは互いに絡まり合い、捻り合い、巨大な一枚の布を作り出した。
金銀に輝く布は、ひらひらと空中を舞う。その様はまるで極地のオーロラのようだ。
「これは、一体……」
あたりを包み込む幽玄な景色に、思わず言葉を失う笠松。
しかし、真に注目すべきなのはこの魔法の美しさではない。
「……そんな」
笠松もそれに気付いたようだ。
そう、彼が全力で放った八十八本の不可視の斬撃、それがいつの間にか全て消えていた。
「『蜘蛛恐怖症』……その名の通り、この魔法を受けたら僕のことがトラウマになっちゃうでしょ?」
唖然として膝をつく笠松の元に、トコトコが蜘蛛が近づいていく。
「この魔法はね、あたりの魔力を全て霧散させることで、発動中の魔法を全て強制的に棄却させるんだ」
悠々と語りながら、彼は笠松の目の前に陣取る。
そして、七本の魔剣の切先で彼の首をぐるりと囲むと、満足げに呟いた。
「この勝負、僕の勝ちだね」