40 こんこんきつね
「『変化』」
茶太郎の口からそう呪文が零れた瞬間。
彼女の身体を眩い光が覆った。
「うおっ!?」
咄嗟に腕で光を遮るヒッタイト。
樹海の林冠からも漏れ出すほどの猛烈な光だ。さらには、それともに放射されている魔力の量もまた凄まじい。
そして、その光の奔流の中から飛び出してきたのは――
「ふぅ、この姿になるのも久方ぶりじゃ」
肩のりサイズから、三メートルを超す巨大な姿へと変身を遂げた茶太郎だった。
尻尾も二本に増えて、魔獣としての格も数段上がっているように見える。
「ほれ、背に乗るといい」
「ああ!」
彼女のその言葉を合図に、ヒッタイトたちはもはや崩れかけとなった式神絨毯から、茶太郎の背中へと飛び移った。
……ぼふっ!
「おおっ! こいつぁ……!」
一同が茶太郎の背に収まる。触れてみれば、かなりのふかふか度合いだ。
しかし触ればわかる。身体についた筋肉が凄まじいほどに増大していると。
まさか、いつもソバの肩にちょこんと座り込んでいるあの茶太郎がこれほどの変貌を遂げるとは。しかも、平然として人語を話し始めている。
「こりゃあ驚いた……!」
「ヒッタイトさんは見るの初めてですよね。これが茶太郎さんの真の姿なんですよ」
ヒッタイトの驚愕にコマチが答えた。
茶太郎は妖狐と呼ばれる狐の魔獣。
囁きという名を冠する通り、人語をよく理解する賢さと、その賢さを邪な目的の為に使う悪辣さを兼ね備えた魔獣だ。
人間の前に現れては、その耳元で誘惑の言葉を囁いて、その者を堕落の道へと導くという。
彼らは東大陸の広い範囲に生息しているが、茶太郎の出身は東大陸南方の草原。
穴ぐらを掘って暮らす群れに生まれた彼女だったが、しかしその尻尾は何故か、生まれつき皆とは違って二本も生えていた。
仲間たちの眼にそれは異形として映り、そして彼女は群れを追われることとなってしまう。
だがしかし、狐の魔獣たちにとって尻尾とは魔術の触媒に他ならない。彼女にはそれが一本多く生えているのだ。彼女が弱いはずがなかった。
その後、茶太郎は草原を一匹で生き抜き、そして紆余曲折あって、今日ではソバの肩に収まるに至っている。
「お願いしますね、茶太郎さん」
そう言ってコマチは茶太郎の背中をすらすらと撫でた。
透き通るような茶色の体毛がくすぐったい。
「ああ、任せておけコマチ」
それを見やると、さっそく茶太郎は前方を飛んでいくドラゴンたちを見据えて走り始める。
「しっかり掴まっておれよ」
そうして一歩が踏み出された瞬間、一同はまるで空間が歪んだかのような感覚に包まれた。
「うぉっ!?」
――ギュンッ!!
そのスピードは正に神速。なめらかな加速を経て、茶太郎は驀進の軌道に乗った。
「あああああーー!?」
髪など、もはや引っ張られるなどという次元ではない。置き去りにされた。
一生懸命に掴まっていないと、きっと一瞬で振り落とされてしまうだろう。恐ろしい速さで景色が変わっていく。
「ほれ、真上に竜どもが見えるぞ」
その衝撃に耐えていると、ふいに茶太郎から声がかかった。
「……いつの間に!」
真上を見上げたヒッタイトの瞳に映ったのは、つい先程まで自分たちが追いかけていたはずのドラゴンたち。
そう、いつの間にか、彼女らは空を飛ぶドラゴンたちの真下にまで追いついていたのだ。先程までは離されないよう縋り付いているので精一杯だったのに、こうも簡単にその差を縮めてしまうとは……。
茶太郎、きゅるんとした顔をして恐ろしい子だ。
驚きに眼を見開くヒッタイトを見て、満足げな茶太郎。
そんな彼女はふとソバの方を見やった。
「……ソバよ、妾の力を使ったのだ。帰ったら人の姿でたっぷり搾ってやるからな?」
「お、おう……」
走りながらも、にやりと妖艶に口元を歪める茶太郎。ソバはそれを見て、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。
……『搾る』とは、一体何のことなのだろうか。おそらくは契約魔法によって定められた代償なのだろうが、それはそんなにも恐ろしいものなのか。
ぽんっ
その時、ヒッタイトがソバの肩をそっと叩き……。
「ま、がんばれ……」
そう言いながら、笑って親指を立てた。
茶太郎、百鬼夜行唯一の癒やし枠だと思っていたのに……。
お前も結局化け物側なのか……。