29 人間たちのモラトリアム
少女たちの住まう樹海。そこは恐ろしいほどに広大で、恐ろしく苛烈な生存競争が繰り広げられている。
強大な魔獣が集まるこの地は死を育み、そして優良な遺伝子を選りすぐる。高速で進む自然選択と、山脈に囲まれた閉鎖的な環境は、この樹海に大量の固有種を生み出した。
そのいずれもが尋常を超えて強力。やがて彼らは、樹海に人外魔境をつくりだすに至った。
――樹海を囲む山脈を越えて、数日歩いたあたり。そこには人間の築いた街がある。
樹海開拓の最前線、開拓者たちの安寧の地、その名を『モラトリアム』という。
「どういうことだ! 火吹き唐辛子粉の価格が暴落だとぉ!?」
「また山脈から飛竜が降りてきたらしいぜ」
「樹海開拓の停滞は、全て冒険者ギルドの怠慢のせいだ! 弾劾せよ!」
商人、冒険者、労働者……。様々な職種の人間たちが行き交う、喧噪に満ちた大通り。
その一角にある、石造りの無骨な建物。周囲の建物よりも一際大きく、異彩を放っているそこは『冒険者ギルド』である。
「ハッハッハ、お前また依頼失敗かよ!」
「黙れや!」
「身の丈っちゅうもんを知った方がいいぜ!」
大きな両開きの扉を開けてその中に入ってみれば、併設されている酒場から馬鹿騒ぎが聞こえてくる。
中々に騒々しい。冒険者とは、言ってしまえば腕っぷしのいい何でも屋だ。多少治安が悪いのもご愛嬌。
「やっぱり薬草の単価下がってんのか……」
「A級冒険者がこの街に来てるってよ」
「私たちの実力じゃ、この依頼は無理ね。残念」
一方こちらは、酒場の反対側にある受付場。依頼書を持った冒険者たちが、依頼受諾や換金の手続きを行っている。
冒険者ギルドはおそらく、この街で最も賑わっている場所。
樹海や山脈の周辺でしか見られない植物や魔獣がいる。そして、それらから採れる素材は非常に高い稀少価値を持つ。
それを手に入れることができれば、一獲千金だって夢じゃない。そう夢見た冒険者たちが、モラトリアムには大勢集まってくるのだ。
所変わって、冒険者ギルドの二階。そこには、階下から響いてくる騒音より隔離された、静かな部屋が一つ。
ギルド支部長の執務室だ。
そして、品のある調度品が集められたその部屋は、応接室でもある。
ちょうど、ギルドマスターと来客が談合を行っている最中だ。
「それで、魔獣と人間の調停者――魔獣使いのストリングスよ。報告とは一体?」
長い白髪を後ろにくくったダンディーな親父、ギルドマスターが来客に問う。
「死海に動きがあったのだ」
それに対して、紺色のローブを羽織り、フードを目深に被った男――ストリングスが渋い声でそう答えた。
死海というのは、他でもなく少女たちが暮らす樹海のこと。樹海の過酷な環境から由来して、死の樹海。それを縮めて『死海』である。
「『動き』とは? 具体的に頼む」
顎に手を当てて、短い白髭を撫でながら問うギルドマスター。
「蔦の森の賢猿と、雪山の深森狼。これら二つの群れが、何者かによって統合された」
「……それはつまり」
「ああ。つまり『樹海の主』が誕生する可能性があるということだ」
それを聞いて、ギルドマスターは微笑を浮かべた。彼の座っている革張りのソファーが少し軋む。
無理もない。『樹海の主』、それは彼が、樹海開拓に関わる全ての人間が待ち望んでいた存在なのだから。
「樹海の主が出現すれば、我々が抱えている全ての問題が解決することだってあり得る。そうだな、早速調査隊を――」
彼がそう言いかけた瞬間だった。
バダンッ!!
「おいおい! そんな面白そうな話を、あたし抜きで進めてんじゃねぇよ!」
執務室の高級そうな木の扉を乱暴に開け放ち、飛び込んできた者がいた。
冒険者ギルド、この世界にもあったのですね。
そして毎度のごとく治安が悪い……。