28 インナーハートの擦過傷
――私は、あの少女を信じてみたくなってしまった。
あのヒトムスメ――いや少女の瞳の中には、齢に似つかない相当な覚悟が宿っていた。
そんな瞳を以前にも見たことがある。
なぜか他者とは違って額に角を持つ私は、幼い頃に群れを追われた。自然の中で『異常』は好まれない。
そして幼い私は一人で樹海をさまよい、その末に後に妻となる狼に拾われた。
そう、その妻の瞳こそ正にそれだったのだ。
私と大して歳は変わらなかったのに、あの瞳の覚悟は何だったのだろうか。
ましてや、幼いニンゲンの少女でさえも同じ眼をしているのだ。
あの少女ではないが、知りたくなってしまった。その覚悟の出所を。
「貴方、だんまりしちゃってどうしたの?」
「――ああ、少し考え事をしていた。」
闘いを止めた少女と狼は、山の斜面を登って岩の墓標を目指していた。
「ありがとね、わたしを信じてくれて」
「……いい。ただの気まぐれだ。それよりもお前、傷は――」
「大丈夫、もう治したよ」
少女の肩の裂傷も、腕の凍瘡も、いつの間にか綺麗さっぱり消え失せている。以前サピエンスたちに向けて使った魔法『グレイス・フェイス』による回復である。
「貴方の傷も治そっか?」
「……いや、いい。この傷は刻んだままにしておこう」
「ふーん、そっか」
並んで歩く二人の後には、雪に刻まれた足跡がぽつぽつと続いていた。
「――この下には、殺された私の妻と娘が眠っている」
「……殺された?」
「そうだ、ニンゲンたちにな」
岩の墓標の前に戻ってきた二人。雪山の静寂の中に、彼女たちの話し声だけがじんわりと響いていく。
「そっか、だからあんなに……」
少女は初めからこの岩に違和感を抱いていた。
闘いの火蓋を切った、狼の『パーフェクトフリーズ』。広範囲をまとめて凍てつかせるこの魔法が放たれた時、この二つの岩の周りだけが不自然に凍っていなかった。
今ならわかる。そのとき狼は、家族の眠るこの墓標を避けて魔法を撃ったのだ。
「この樹海の中では、過酷な死の連鎖が回っている。お前もそれを身をもって知っているはずだ」
「うん」
狼は静かに語る。
死を育む樹海の中に生きる少女や狼。彼らが他者を屠るのは、生きるため、食べるため。
それこそが、全生物に等しく課せられた弱肉強食の連鎖の理だ。
だからこそ彼らは、一種の覚悟を抱いて日々を生き抜いている。
明日は自分が喰われる側にまわるかもしれない、という覚悟だ。
そんな命のやり取りの中に散ったのならば……それは正しい死なのかもしれない。
彼らにとって、それは悲しむべきではあっても、忌むべき死ではないのかもしれない。
だが――
「だが、妻と娘の死体を見た時、私は感情を抑えきれなかった……!」
狼が牙を噛み締め、感情を露にする。
「惨殺だったからだ! 痛ぶった末での!!」
日々命をやり取りして、殺し殺されて、そうなる覚悟もあって。
そんな心身であるならば、愛する人の惨殺死体にも動じずにいられるのか。
そんなわけがない。
「すぐにニンゲンの仕業だとわかった!」
狼の瞳から次々と溢れていく雫。
「皮も、牙も、爪も全て剥ぎ取られているのに、肉だけは手付かずだった! 食べるために殺す樹海の魔獣の仕業ではない!」
「そっか……」
少女は岩の墓標にそっと触れた。雪山だから当然ではあるが、冷たかった。
「――すまない、語りすぎた」
「ううん、いいんだ」
狼の瞳から溢れた雫は、地面へと落ちることもなく、頬の途中で凍りついていた。
そんな彼を一瞥して、少女が言う。
「じゃあ、準備をしないといけないね」
「……? なんの準備だ?」
そう疑問を呈した狼は、少女の瞳を覗き込んで――戦慄した。背筋が凍った。
そのとき少女の瞳に宿っていたのは、今まで狼の放ったどんな氷の魔法よりも遥かに冷たい、氷点下であった。
「勿論、その賊どもを刈り取る準備だよ」
魔獣の生命倫理観については、中々文字に起こすのに苦労しました。でも結局、彼らの心も人間と同じだと思って下されば、それで事足ります。