2 ワイルド☆食事
黄金と名誉の国グゴーリア・ヘプターキー。西大陸の沿岸部に栄えるこの国は、豊かな穀物の生産で知られている。黄金というのも、農地いっぱいに実った小麦の穂の黄金色のことを指しているのだ。
収穫期になると豊かに実った小麦が大地を埋め尽くし、黄金風景を作り出すという。
しかし、そんな実り豊かな黄金の国にも陰がある。その陰というのが、グゴーリア・ヘプターキーの辺境に存在する魔境『死の樹海』だ。
国が一つすっぽりと収まってしまう程の広大な面積を誇り、強大な魔獣たちの繁栄の温床となっている死の樹海。勇猛果敢な冒険者ギルドでさえも侵入を禁止している危険地帯であるそこには、もちろん人間など一人も住んでいない……はずだった。
「あのいのしし、かならずしとめるっ!」
広大な死の樹海の一角にて。鬱蒼と茂った大樹たちの隙間から、そんな威勢の良い声が聞こえてくる。
その声の主の居場所を探してみれば、大樹の枝やそこから垂れ下がった蔦を伝ってぴょんぴょんと空中を舞う、一つの人影を見つけることが出来た。
どうやらその人影は、前方を駆けていく猪の魔獣のことを追跡しているらしい。「かならずしとめる」とも言っているようだし、もしかすると狩りの最中なのかもしれない。
林床に生える若木たちを容赦なく踏みつけながら、猪の魔獣、その名も『蛮勇猪』は猛烈な勢いで駆けていく。しかし、その大きな鼻の穴から噴き出している息は非常に荒かった。息切れしているようにも見える。
蛮勇猪はちらちらと後方に視線をやって、追跡してくる人影のことを何度も睨んでいた。どうやら人影による執念深い追跡に苛ついているらしい。
するとここにきて、蛮勇猪を追い掛けていた謎の人影が新たな動きを見せた。
人影は木々を高速で伝いながら、片腕を前方に突き出した。その腕には、怪しげな紫色の粒子が集まっていく。
きらきらと輝くその粒子は魔力である。人智を超えた力、つまり魔法を起こすための源だ。
「『ポイズンバレット』!」
突き出された腕の延長線上に、まんまと蛮勇猪が入り込んできたその瞬間。人影は魔法の名を叫んだ。
それに続いて、ただ集まるだけであった紫の粒子たちが一つの形をとっていく。なんと凝り固まった粒子の塊は、物を貫くことに特化した矢のような形状になっていた。
「ブギイイイイイ!?」
気が付けば、蛮勇猪が哀れな断末魔を上げていた。その背中には、ほんの数秒前までは人影の掌にあったはずの紫色の矢が、いつの間にか深々と突き刺さっている。傷口からは止めどなく血液が吹き出していた。
「プギャアアア! プギャアアアアア!」
地面に突っ伏した蛮勇猪が、耳をつんざくような叫び声を上げる。
しかしそれは、矢が背中に突き刺さった痛みに起因するものではない。この恐ろしい断末魔は、矢に含まれていた毒によるものだ。
背中の傷から血流にのって全身に回っていく猛毒が、神経に働きかけて呼吸を停止させていく。猪の魔獣は初めはただ苦痛に任せて絶叫を上げていたのだが、やがて叫ぶための力も失ってしまったのか、カヒュカヒュという小刻みな呼吸を繰り返すのみとなった。
「やった、しとめた。ごはんゲットだ」
死にかけの蛮勇猪のもとに人影がやって来た。猛毒に体を侵されて絶叫する獣という、相当にショッキングな光景を目にした後であるというのに、人影の呼吸は落ち着いている。
その様子からは、命のやり取りに慣れ切った狩人のような風格を感じさせられた。
「あなたのいのち、おいしくいただくね」
既に事切れた蛮勇猪の顔を、人影がそう言いながらそっと撫でる。
するとその時、頭上を覆い尽くす巨樹の枝葉の隙間から、ほんの僅かな月光が漏れ出てきた。
それは本当に僅かな光だったが、それでもその月光に照らされて、人影の顔が一瞬だけ露わになった。
露わになった人影の正体とは、銀色の長髪を持つ人間の少女であった。
銀髪の少女が蛮勇猪を狩ってから数十分後。
「ムシャムシャもぐもぐバキッバキッバキャッ」
あちこちから魔狼の遠吠えが聞こえてくる宵闇の中で、少女は焚き火を囲み、骨付き肉に噛みついていた。その肉は先程狩った蛮勇猪の肉である。少しだけ繊維質で硬いものの、噛んでいるうちに旨味が染み出してきて美味しい。
「ムシャムシャもぐもぐバキッバキッバキャッ」
というか、なんだか先程から聞こえてくる咀嚼音が少々おかしくはないだろうか。ムシャムシャとか、もぐもぐとかの部分はまだいいが、どうして肉を食べているだけなのにバキバキという音が生まれているのだ。
その音はまるで、硬いものが砕かれる時に発せられる不協和音にそっくりである。
どうしてそのような異常な音が発生しているのかというと、その理由は簡単。この少女が肉だけにとどまらず、それにくっ付いている骨までもを食べてしまっているからだ。
弱肉強食の理によって支配されたこの死の樹海においては、獲物が毎日獲れるという保証はどこにもない。だから獲物を狩ることが出来た時には、骨までしっかりと食い尽くす。それがこの少女のポリシーなのだ。
かといって、人間のやわな歯で魔獣の骨を噛み砕くことなんて可能なのだろうか。魔獣の骨というのは本来、魔術師の杖の素材として使用されることもあるくらいに頑丈なものなのだ。
しかも少女が口にしている蛮勇猪の肉は、魔法の毒によって仕留められたものだ。だからその肉には毒が残留しているはずなのである。
それをムシャムシャと頬張るなんて、それでは少女までもが毒によって侵されてしまうのではないだろうか。
「むしゃむしゃ……うん、おいしい!」
そんな不安が脳裏をよぎったのだが、肉とついでに骨を貪っている彼女の顔は、至って平常心といった様子だ。歯が欠けて痛がっているわけでも、毒に侵されて死にかけているわけでもない。
まあ、死の樹海なんていう魔境を生き抜く少女のことだ。きっと歯も胃腸も頑丈なのだろう。きっと。
大幅に改稿しました。