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毒の魔法で華麗な日常を!!  作者: うなぎ大どじょう
第二章 月として、太陽として
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105 お酒ごくごくスパイダーとアフターケア

 オレンジ色の太陽が、西の地平線に沈みかけている。現在の時刻は黄昏時だ。

 村長の娘に会うために彼の家を訪れていた少女たちだが、百足と蛇は既に帰宅していったので、今の村長の家には少女と蜘蛛しか残っていない。そして少女は村長の娘であるオリエントの部屋で彼女の目覚めを待っているので、今のリビングのテーブルには村長と蜘蛛だけが座っていた。


「うん、これ美味しいお酒だね。なんていう名前なの?」


水龍鱗(すいりゅうりん)というウイスキーです。このお酒の蒸溜所がある地方には、空から落ちてきた水龍の鱗の力で土地が肥えたという伝説があるそうですよ」


 テーブルに向かい合って腰掛けた蜘蛛と村長は、両者ゆっくりとお酒をあおっている。彼らが飲んでいるのは、水龍鱗というウイスキーの水割りだ。

 ちなみに蜘蛛は知らないが、この水龍鱗というお酒は相当に希少なものである。東大陸にある有名な蒸溜所で作られているらしいが、その美味のあまり竜王たちがこぞって買い占めてしまうために、人間が手に入れるには物凄い苦労が掛かるのである。


 そして、水龍鱗を水割りにして飲むというこの飲み方、これは今は亡き村長の妻が好んでいた飲み方でもあるそうだ。


 蜘蛛はひんやりと冷えた金属製のコップを手に取る。中に入った氷同士がぶつかって心地のいい音がした。

 そしてコップを傾けて中身のお酒を口にすると、不思議な香りが鼻腔を突き抜けていく。木の屑や水を含んだ苔、森の腐葉土の匂いが混ざり合ったかのような香りだ。熟成を行う樽の材料となる木、それに含有されている魔力によって、ウイスキーの香りは大きく変わるらしい。


 お酒は人間が生み出した文化の一つ。樹海でも、地面に落ちた果実が発酵してお酒に似た風味を持つことがあった。果物マイスターである蜘蛛は勿論、そのような果実を味わったことがある。

 しかしこのウイスキーにあるような深みは、自然現象の範疇で生み出せるものではない。いわばお酒とは文明の味なのである。


 そんな文明の味を、村長と彼の妻はどのように味わっていたのだろうか。愛する相手と一緒に飲むお酒というものは、やはり普通とは異なる風味を宿しているのだろうか。それは蜘蛛には分からない。

 分からないが、目の前でずっと悲しそうな顔をしている村長のことを、慰めたいと蜘蛛は思った。


「安心して村長さん。今はまだあの子の返答次第だけど、もし君の依頼を受けることになれば、僕らは全力を尽くすよ。約束する」


 優しい声で蜘蛛が話す。少年のような外見をした蜘蛛には見合わない、優しい庇護者の声だった。

 蜘蛛が少女たち以外の他人にこんなにも入れ込むなんて、珍しいことだと思うかもしれない。しかし蜘蛛にとって、亡き妻のこと、そして残された娘のことについて思い悩む村長の姿は、なんだか他人事とは思えないのである。

 少女のことを見守る蟲たちだって、人間で言うところの親のような立場にある。だから蜘蛛は村長に少しだけ、シンパシーのようなものを感じているのだ。


 しかし蜘蛛の優しい一言でも、村長の顔色が晴れることはなかった。村長の顔に宿った黄昏のような暗がりは、払拭されなかった。


「ありがとうございます、蜘蛛さん。しかし私は……自分で自分のことを情けなく思います」


「それはどうして?」


「娘の護衛だって、私が強ければそれで事足りたのです。しかし私は弱い。凡人な魔法使いです。だから蜘蛛さんたちを頼らなければいけない。妻から託された娘のことも、私が弱いばかりに守れないのですよ」


 村長は腹の底に溜まったものを吐き出すように、一気にそう打ち明けた。苦悶するような表情で、己の紫紺色の髪を揺さぶりながら。

 確かに彼の言う通りなのかもしれない。村長は優秀な魔法使いだ。しかし優秀止まりで、雲の上にいる強者たちには到底届かない。砂賊が襲ってきた時だって、村長だけではその軍勢に太刀打ちすることは絶対に出来なかっただろう。


 村長は悔しいのだ。自分は父親であるというのに、自分一人では娘のことを守ることも出来ないという事実が。人間に備わる当然の心として、それをどうして悔しく思わずにいられようか。


「いいや、君は立派だよ」


 だが、塞ぎ込んでいる村長に、蜘蛛はあえてそう言った。その言葉はお世辞ではない。蜘蛛は嘘っぱちの褒め言葉なんか言わない。彼は自分の思ったことを言いたいように言う主義なのだ。村長は立派な人間なのだ。


「どこが立派だというのでしょう……。こんな私の、どこが立派だというのでしょう?」


 村長はそう言って、また首を横に振る。なんだか諦観のような感情すらも、そこには混じっている気がした。

 村長が学生時代を過ごした世界中央学園、そこは天才鬼才の巣窟であった。この広い世界の中に生きる数億もの人間たちの中から選び抜かれた、僅かなパーセントの輝く上澄みたち。それを村長はずっと見てきている。


「私は学園で沢山の天才たちを見てきました。そこらの人間とはまるで別の生物であるかのように振る舞う化け物のような天才たち……。彼らに比べて私はあまりに貧弱すぎる」


 この世界の上澄みを見てきた村長だからこそ、それらと自分を比べることで、必要以上に自分のことを卑下してしまっているのだろう。

 謙虚であるのは好ましいことだが、今の村長はまるで、自分を生き埋めにするための穴を掘っている自殺志願者のようだ。見ていられない。


「蜘蛛さん、あなた方もそうだ。私はあなた方が砂賊と戦う場を見ていました……。驚愕しましたよ。あの瞬間に私はこの村が救われたことを知り、娘の解呪への希望を見出しました」


 そして、自分では娘を救えないと絶望する村長の前に、まるで神の思召しであるかのように少女たちが現れたのだ。

 あまりに残酷すぎやしないだろうか。運命の悪戯によって妻を失い、娘を呪われた村長の元へと、次はその運命が救いの手を差し伸べてきたのだ。少女たちに娘のことを打ち明けて助けを求める、つまり差し出された救いの手を取ると決断するまでに、村長の中では一体どれだけの葛藤があったことだろうか。


 先程村長が作ってくれた水割りのウイスキーだが、彼はそれにまだ口をつけていない。

 冷たくなりすぎた金属製のコップから、結露した水滴が大量に垂れている。テーブルにちょっとした水溜まりが出来ていた。


「いいや、もう一度言うよ。君は立派な魔法使いだ」


 しかし、蜘蛛はもう一度そう言った。今度はより一層の力強さを言葉に込めて。

 さんざん否定したのにまだ言うのかと、村長が困ったような顔で蜘蛛のことを見ている。そこまでして慰めて貰わなくてもいいという感情なのだろう。

 だが先程も言ったように、今の蜘蛛の言葉はお世辞でも何でもない。蜘蛛は本当に、心の底から村長のことを高く買っているのだ。


「いいかい? 自分を平凡だと割り切って、他人に助けを求める。簡単なことのように思えるけれど、それが出来る者は案外少ないんだよ。プライドとか、色んなものが邪魔をするからね」


 蜘蛛はまるで諭すような声色で語り始める。少年のような見た目をした蜘蛛が、三十代の立派な大人である村長に説法をしているのだ。とても奇妙な光景に見えるけれども、しかし村長はその状況を甘んじて受け入れていた。

 村長はもう分かっているのだ。蜘蛛を見た目通りの少年として扱ってはいけないということを。


「その点、君は立派だよ。君は自分の限界を知っている。だから僕らを頼ることが出来た。それは君の娘を救うための判断として最適解だ」


 いつの間にか村長の座る椅子の真後ろにいた蜘蛛が、村長の耳元でそう囁いた。きっと転移の魔法でも使ったのだろう。村長からすると、いきなり目の前から消えた蜘蛛が、次の瞬間には自分のすぐ傍にいたという状況である。彼は少しだけ驚いたような表情をしていた。

 そして驚く村長を見た蜘蛛は、くすりと悪戯っぽい笑みを浮かべている。なんだまだ驚けるじゃないかと言わんばかりに。


「君は立派な魔法使いだよ」


 村長の両肩にぽんと手を置いて、蜘蛛はまた囁く。

 この世界に数多いる生命体の中でも、人間は特に脳を発達させた生き物だ。だから人間は思い悩むのである。今の村長のように。

 だが蜘蛛は魔獣であり人外だ。人間ではない。だから村長の心の中にある憂鬱も絶望も、その全てを計り知ることは蜘蛛には出来やしない。


 しかしそうだとしても、思い悩む人間の姿というのはなんだかとても綺麗だ。綺麗で、それでいて見ていられないのだ。人外である蜘蛛にも、それを感じられるくらいの感受性はあって余りある。だって今までずっと、人間である少女のことを傍で見守ってきたのだから。


「僕は君みたいな人間が好きだよ」


 蜘蛛がそう言葉を発した途端、テーブルの上に出来ていた冷たい水溜まりに、ぽつぽつと小さな波紋が生まれた。その波紋を作ったのは、村長の目尻から零れ落ちた涙の雫であった。

 零れ落ちる涙と一緒に、村長の心にわだかまった感情が少しでも流れ出てくれたら幸いだと、蜘蛛は延々と村長の背中をさすり続けるのであった。






 一方その頃、村長の娘であるオリエントが眠りから覚めるのを、彼女の部屋にてじっと待っていた少女。そんな彼女にも変化が訪れていた。

 現在の時刻は真夜中の十二時。太陽が沈んでから随分と時間が経過している。だからなのだろうか、ベットの上で眠るオリエントの目元が、ピクピクと小刻みに動き始めたのである。目覚めの兆候だ。


 そして、ついにオリエントが目を覚ました。ぱちりと瞼を開けた彼女、その瞳孔は極めて色素が薄く、淡い空色をしていた。

 皮膚も、髪の毛も、眉毛も、睫毛も、瞳孔も、オリエントはその全てが白く薄弱である。そこから受ける印象はまさに、日陰で発芽したせいで十分な日光を浴びられず、不完全に育ってしまった植物のようだ。そっと触れただけでも容易く手折れてしまいそうである。


 そのうち、オリエントは自分の傍に立っている少女のことを見つけたのだろう。彼女は不思議そうな表情をしながら、ゆっくりと血色の無い唇を開いた。


「お姉ちゃん、誰?」


 それが、少女とオリエントの間で交わされた、最初の一言であった。

なんだかんだ言って、やっぱり蜘蛛も優しいんですね。

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