104 オリエンタル・ドリーム
「護衛、ね。太陽に当たればもれなく焼死する君の娘を背負って二ヵ月か。ちなみに報酬は?」
「私の全財産を。そして望むものを何でも一つ」
「その全財産に君の持つ魔導書は?」
「含まれます」
「じゃあ僕は護衛の話うけてもいいけど……みんなはどう?」
自分の娘に呪いが宿っていると打ち明けた村長。そんな彼は続いて、少女たちに娘を帝都まで護衛して欲しいと切り出した。
しかし村長の娘に宿った呪いは、太陽の光に当たると肉体が燃え上がってしまうというもの。二ヵ月はかかる帝都への道のりを、太陽の下に出れば即焼死してしまう娘を抱えながら歩むとなると、それは想像以上の困難となるだろう。
だからてっきり、蜘蛛は二つ返事で村長の申し出を断ってしまうと思っていた。しかし予想に反して、蜘蛛は護衛の依頼について前向きに考えているようである。きっと村長の魔導書コレクションに釣られたのだろう。
ただ、これは蜘蛛だけの問題ではない。村長は少女たち全員を指して護衛の依頼を口にしたのだ。だから少女も百足も蛇もアーサーも、全員が首を縦に振ってくれなければこの依頼は受けられない。
そのため蜘蛛はテーブルを囲んでいる少女たちに視線を問いを投げ掛けてみたのだが……。
「俺は別にいいぞ。帝都にはどのみち行くつもりだったからな」
「私も構わないわ。太陽の呪いなんて言われたら、黙っていられないからね」
どうやら百足も蛇も、護衛の依頼には前向きであるようだ。
元々この砂漠の村での休息を終えた後は、このパクス・ロマエ帝国で最も栄えている都市である帝都に向かう手筈となっていた。だからそのついでに護衛を受けるくらい訳ないということなのだろう。
それに加えて、もう一つ事情がある。蛇が太陽の神から受けた託宣に関わることだ。
太陽光に当たった途端に肉体が発火する呪い。間違いない、太陽の神が託宣の中で指し示していたのはこれだ。恐らくだが太陽の神は、村長の娘に宿った呪詛を何とかするために、託宣によって蛇たちをこの砂漠の村へと差し向けたのだ。
だが、たかが一端の呪われた人間ごときのことを、どうして太陽の神が気にかけているのだろうか。まさか憐みというわけではあるまい。この世界の神話や伝承によれば、太陽の神は度々熾烈な天罰を下界に落とすことで知られている。
実際およそ百二十年前には、手違いによって神殿に腐った果物が供えられたことをきっかけにして、北大陸の都市が幾つか消し飛んだという。天から降り注いだ恐るべき神雷によって。
そんな無慈悲な天罰を下すような神が何故、村長の娘にこんなにも執着するのだろう。
「……わたしからは一つ、条件をつけてもいいかな?」
その時、少女がおもむろに声を上げた。蟲たちは極めてさらりと村長の依頼を受諾したが、どうやら少女には付け加えたい条件があるようだ。
いきなり声を上げた少女を見て、村長の表情が少しだけ強張る。今まで黙って話を聞いていた少女が、いきなり条件を付け加えたいと申してきたのだ。警戒心を抱いたのだろう。当然の反応だ。
蟲たちは近寄り難い空気を放ってはいるものの、話してみれば案外人間味があるということが分かる。
蜘蛛だってそうだ。一片の慈悲もなく砂賊を追い詰めていく姿を見て、村長だって初めは蜘蛛のことを人の心がない冷酷な魔術師だと思っていた。しかし魔法談義を重ねていく内に、村長は蜘蛛の持つ魔法への深い造詣と強い知識欲、そしてころころと表情を変える可愛らしい一面を知ったのだった。
しかし少女は違う。人を惹きつけるオーラを持っていながらも、どれだけ近付いても底が知れないのだ。村長にとっては、そっちの方がよっぽど不気味だった。
さて、少女は一体どのような条件を提示してくるのだろうか。金か、人脈か、それとも別の何かなのか。村長が少女の動きを注意深く見つめる中、彼女は飄々と言葉を続けた。
「貴方の娘さんに会わせてほしいの」
「ここが娘の部屋です。窓は全て塞いでいるので中は暗いですよ?」
「大丈夫、わたしは夜目が利くから」
村長の家の一番奥にある、暗い色調をした木の扉。その先に村長の娘の部屋があるらしい。
娘に会わせてほしいという少女の要望を、村長は二つ返事で了承してくれた。だからこうして今、少女と村長は二人してこの木の扉の前に立っている。
ドアノブに手をかけた村長は、きょろきょろと周囲を忙しなく見回している。何処かから太陽光が漏れてきていないか、徹底的に確認しているのだ。彼の娘の呪いは、木漏れ日のような弱い光であっても発動してしまうらしい。
「では、開けますね」
村長がゆっくりと扉を押していく。その先に広がっていたのは真っ暗闇であった。
しかし暗闇に目が慣れてくると気付くことができた。そこそこ広い部屋の壁面の全てをびっしりと埋め尽くす、背の高い本棚の数々に。そして家具も何もない部屋の中央に設置された大きなベットと、その上に眠る長い白髪の少女の姿に。
「近付いても、いい?」
「はい、問題ありません。娘の呪いは伝染するものではありませんので」
少女は早歩きでスタスタと、そのベットの元にまで歩み寄った。まるで何か気になるものがあるような、そんな早歩きだった。少女にしては珍しい。
ベットに眠っている村長の娘、長い白髪のかかったその寝顔を、少女は上からじっと見つめてみた。するとやはり確信できるものがある。
「なんだろう……この胸のざわめき」
胸がざわめくのだ。ひどく激しく。強敵を前にした時の武者震いとも、豪華な料理を前にした時の高揚感とも違う。今まで感じたことのない初めての感情だ。
まさかこれは恋なのだろうか。目の前で眠るこの娘に心が引っ張られるというか、引き寄せられるというか、惹かれるというか、なんというか。
「……話してみたい」
「はい?」
「話してみたい。わたしはこの子と話してみたい」
少女は己も気付かぬ無意識の内に、思わずそう口にしていた。村長が困惑した顔で少女のことを見ている。いきなり何を言うのかという疑問のこもった表情だ。
しかし少女はもう一度言った。
「この子と話してみたい。村長さん、この子はいつ目覚めるの?」
「え、ええ。太陽が沈んだ数時間後、つまり真夜中、その時間帯に娘は少しの間だけ目を覚まします」
ポーカーフェイスで何度も同じ言葉を繰り返す少女に気圧されたのだろう。村長が慌てて返事をした。
それを聞いた少女は小さく頷き、そして再びベットに眠る娘の方へと向き直る。微かな息をしながら眠る彼女は、一度も太陽の光に当たったことが無いからだろう、病的にまで白い肌をしていた。あまりに白いので、肌の下にある血管がうっすらと透けて見えている。
「そうだ、一つ聞き忘れてた」
娘の皮膚の下を流れる血流をずっと眺めていた少女であったが、ふと思い出したようにそう言った。長い銀髪をふわりと躍動させながら、扉の近くに立つ村長の方を振り返る。
「この子の名前、なんていうの?」
そう名前。心の中ではずっと村長の娘と呼んでいたが、彼女も人間なのだからちゃんとした名前があるはずなのだ。
どんな名前なのだろう。呪われた娘に、村長と今は亡き彼の妻はどんな名前をつけたのだろうか。
すると村長は少しだけ苦々しい顔をして口を開いた。
「娘の名前はオリエント。太陽の昇る東の大地、という意味を持つ言葉です」