103 太陽に呪われた少女
みんなでエリザベス特製のステーキを味わった翌日。少女たちはオアシスのほとりにある村長の家を訪れていた。彼の娘に会うために。
昨日、蜘蛛は村長から、少女たちみんなを連れて自分の娘に会ってほしいと乞われた。別にその申し出を断る理由も無いし、それにどうやら村長の娘は少女とも同年代であるらしい。同じくらいの年代の人間との交流は、少女にも良い影響を与えてくれるはずである。
だからこうして今、少女と蟲たちは村長の家の玄関の前に立っている。
それにしても驚きだ、村長に娘がいたなんて。てっきり独身だと思っていた。なんなら魔法使いな三十路の男性だとすら思っていた。なにせ頻繁に村長の家にお邪魔して魔法談義を楽しんでいた蜘蛛だって、一度も彼の家族の姿を目にしたことは無かったのだ。
そこから考えるに、きっと村長にはどこか訳ありな所があるのだろう。そんな訳ありな彼が、わざわざ姿を見せない家族に会ってほしいと頼んできたのだ。恐らくそこには普通じゃない事情が絡んでいる。
まあ、村長はいい人だ。こちらの不利益になるような思惑は彼の中には無いだろう。
「お邪魔しまーす」
村長の家の玄関扉を、蜘蛛が勝手知ったるといった様子で開け放つ。何度も村長の家に遊びに来たことのある蜘蛛にとって、この扉は開け慣れたものなのだ。
すると客の来訪を察知した村長が、家の奥から出迎えに来てくれた。しかも、手に人数分の紅茶のカップが乗ったお盆を持ちながら。
淹れたての紅茶の心地よい香りを漂わせながら、村長はいつも通りの人当たりの良い笑顔でこう言った。
「ようこそ皆さん。まずは座ってお茶を召し上がってください」
その言葉通りに少女たちはリビングの長机に着く。蜘蛛と村長が魔法談義をしていた時には大量の魔導書が積まれていたこの長机だが、今ではそれもすっかり片付けられて、代わりに綺麗な白色の生花が生けられた花瓶が置かれていた。どうやら少女たちを出迎える準備は万端であるようだ。
しかし、それにしても生花とは。この砂漠において乾燥していない新鮮な花を用意しようとすると、それはもう大変な苦労がかかるはずなのに。
そして全員がテーブルに着席したのを見ると、村長もゆっくりと椅子に腰掛ける。その後は何気ない雑談が続いたのだが、どうにも村長の顔色がおかしい。そこには黄昏のような暗がりが宿っていたのだ。
花瓶に生けられた新鮮な生花といい、村長が出してくれた紅茶から最高級の茶葉の香りがすることといい、やはり村長はこの会談に異常な気合の入れ方をしている。
すると満を持してといった様子で、村長が本題を切り出してきた。
「少し、私の娘について語らせてください」
村長は少しだけ暗い口調で、自分の娘と、そして今は亡き妻について語り始めた。
村長が未来の妻となる女性と初めて出会ったのは、彼が世界中央学園に在学していた学生時代のことであったという。
学園の巨大図書館で魔導書を探していた時、やっと目的の本を見つけたと村長が本棚に手を伸ばしたら、伸ばしたその手に他の誰かの手が重なった。それは火傷の痕のざらついた質感が少しだけ混じる、柔らかい女性の手であった。
「す、すみません。もしかして貴女もこの本を?」
「はい、今書いている論文にこの魔導書が必要で」
男性に慣れていないのか、少し頬を赤らめながらそう言う彼女。肩まで伸ばされたその髪は、火の魔法使い特有の赤色をしていたのだった。
目当ての魔導書はかぶってしまったが、紳士的な村長は赤髪の女性にそれを譲ることにした。ただし、後日二人でお茶をすることを引き換え条件として。そう、村長はこの赤髪の女性に一目惚れしていたのである。
村長は水の魔法使い、一方このメディナという赤髪の女性は火の魔法使い。本来ならば両者の関係性は平行線であるはずだった。しかし恋の魔法というのは偉大なもので、彼らは逢瀬を重ねるごとに距離を縮めていく。
天才鬼才のひしめく激動の世界中央学園において、村長とメディナは静かに、そして平穏に日々を過ごしていった。時には寮の裏手にある苔むした噴水の傍で、または誰も居なくなった講義室の端っこで、二人は何度も語らい合う。
しかし青春というものはいつも駆け足で過ぎ去っていってしまう。村長とメディナにも、ついに学園を卒業する日がやって来た。
村長とメディナが連名で発表した卒業論文は方々から高く評価され、それによって彼ら二人は卒業の直前にパクス・ロマエ帝国の帝立魔法研究所からの勧誘を受けていた。
そんな大団円の中で迎えた卒業の式典。それをつつがなく終えた後、開かれた大々的な卒業パーティー……を二人で抜け出して、村長とメディナはとある場所を訪れていた。
その場所というのは、通称『鐘の丘』と呼ばれているロケーション。少し昔までは時報として鳴らされていたという大きな鐘が置かれている丘だ。今ではその役割を失い、ただ蔦の生い茂るだけの寂寥とした場所となっている。しかしそれ故に、村長とメディナはそこを逢瀬の場として足繫く利用していた。
「結婚してほしい」
月光が照らす中、村長が目の前にいるメディナへと白銀の腕輪を差し出す。その中央には淡い桜色の宝玉が嵌め込まれていた。
白銀で作られた腕輪は、月の女神に誓って相手への貞操を貫くという意味が、そして桜色の宝玉には恋愛の女神の下に永遠の愛を宣誓するという意味がある。つまりはこの世界における婚約指輪のようなものだ。
「もちろん、喜んでお受けします」
そしてメディナは腕輪を受け取って自身の右腕にはめた。その瞬間、数え切れない程の光の糸が腕輪から溢れ出して、二人のことを包み込む。
婚約とは一種の契約。この舞い飛ぶ光の糸は、その契約が成立したことを証明する魔法現象だ。人間と魔獣が主従の契約を結んだ時に現れるあれと同質の存在である。
暗闇を切り開いていく柔らかい光の中で、村長とメディナは夜が更けるまで笑い合って過ごすのであった。
それからは色々とあった。帝立魔法研究所で数年間働いている内に、水の魔法の腕を見込まれた村長に砂漠の村への派遣の話が持ち上がったり。遠方の砂漠へ旅立つ夫に自分も着いていくと、メディナが研究所の所長とひと悶着起こしたり。
そんなこんなで砂漠の村に腰を落ち着けた村長とメディナの夫婦。村のオアシスを維持している魔法装置のメンテナンスに四苦八苦することも、全く進展しない砂漠緑化計画について上層部から苦言が届くこともあったけれど、二人は仲睦まじく順風満帆な生活を送っていくのであった。
そう、あの日までは。
今でもよく覚えている。あの日は本当に暑い日だった。村を包み込んでいる遮光と断熱の結界を意に介さない程の、恐ろしい程の猛暑であった。
そしてその日の午後、メディナが産気づいた。メディナが女の子を妊娠していること自体は、前々から分かっていたのだ。しかし産気づくのにはあまりに早過ぎた。なにせその日は、メディナの妊娠が発覚してからまだ五ヵ月しか経過していなかったのだから。
まさに異常。母親の胎内で胎児が存分に成長するには、普通十ヵ月はかかるはずなのに。これではあまりに早産すぎる。いや、これから始まるのはもしかすると流産かもしれない。そんな嫌な予感を抱きながら駆け付けた村長ではあったが、遅かった。
村長の目に映ったのは、暗い顔をする産婆たちと、全く泣かない全身が真っ白な赤子と、もう息をしていないメディナの姿であった。
時にこの世の運命とは、仕組まれているのかと思うくらいに残酷な一面を見せる。大地震で壊滅した土地に、追い打ちをかけるように大嵐が襲い掛かったり。伝染病の蔓延で崩壊しかけた国に、これは好機と隣国が攻め込んできたり。まるで運命の神による質の悪い悪戯のようにも思える惨事は、この世界では案外頻繁に起こるものである。
だがしかし、運命の神はダイスを振らない。運命の神はあくまでも、世界の運行を観測するだけの神なのである。だからこの世界を襲う理不尽の数々は、運命の歯車の噛み合わせによって起こった、ただの偶然に過ぎないのだ。
そう、妻が死した後に唯一の希望として生まれてきた娘がたとえ呪われた子であったとしても、それはただ運が悪かっただけなのである。
「呪われていたんです、私たちの娘は」
村長は悲痛な顔でそう言い放った。呪いという強烈なワードを耳にした少女たちも、少しばかりだが顔を歪めている。
不運にも大病を患った状態で生まれてくる赤子がいるのと同じように、この世界では稀に呪縛を背負って生まれてくる赤子たちがいる。それは先祖が犯した大罪への数世代ごしの天誅であったり、はたまた何の原因すら持たない謂われなき呪詛であったりする。
「これを見て下さい」
村長はそう言って、おもむろに懐から真っ白な一本の糸を取り出した。少女たちの視線は次第にその白い糸に引きつけられていく。
中でも百足の鑑定眼は衝撃的な事実を映し出していた。なにしろその白い糸は、魔獣の体毛から作られたものでも、植物の繊維を取り出したものでもなく、正真正銘の人間の髪の毛であったのだ。
「これは私の娘の髪の毛、つまり娘の肉体の一部です」
村長はそう言いながら席を立ち、窓際へ向かって歩き出した。
窓際といえば、今日はどういうわけか村長の家の全ての窓がカーテンで塞がれている。そうして太陽の光が遮断されているせいで、蜘蛛が遊びに来ていた時とは違う暗い雰囲気が立ち込めていたのだ。
すると村長はそのカーテンを一気に解放した。そして家の中に差し込んできた太陽光に、彼は手に持った白い髪の毛を翳す。
「うっ!?」
その時だった。太陽の光を浴びた髪の毛から、言葉に出来ない不気味な気配が溢れ出したのである。その気配の膨大さは、少女たちですら気圧される程のものであった。
それだけではない。髪の毛の本体の方にも異常が起こったのだ。なんと、髪の毛が末端の方から段々と燃え出したのである。もちろん周囲に火元は一切無い。村長が魔法を使ったわけでもない。しかしそれでも、髪の毛はひとりでに火に包まれたのである。
「これが私の娘にかけられた『太陽の呪い』です。娘の肉体は太陽の光に当たると、こうして激しく発火してしまうのです」
髪の毛が火を噴き出すこの異様な光景が、村長の娘にかけられた呪いの全貌であるらしい。つまるところ、太陽光に当たることで発動する人体発火だ。
なるほど、村長の家に遊びに来ていた蜘蛛が娘の姿を見ないわけだ。きっと彼女は太陽光に当たってしまわないように、日中はずっと部屋に篭っているのだろう。
「で、それを僕らに打ち明けたってことは、何か頼みがあるんでしょ?」
「……はい。その通りです」
そして、村長がわざわざ娘に宿った呪いについて少女たちに語ったということはつまり、そこには何か思惑があるということだ。
呪いに蝕まれた人間というのは、普通に考えて忌避の対象である。しかしそうして嫌われるリスクを負いながらも、村長は呪われた娘について少女たちに打ち明けたのだ。
そして村長ほどの賢明な男が、なんのリターンも無しにリスクを背負うはずがない。彼はそういう男なのだ。蜘蛛はそれを知っている。
「これを見てください」
村長は控えめな声でそう言い、机の上にびっしりと文字の書かれた一枚の羊皮紙を差し出した。机の上のランプの炎を反射して艶々と光る上等な紙だ。以前少女が冒険者ヒッタイトに貰ったB級冒険者への推薦状、それに使われていた紙にも負けず劣らずの高級紙である。
「これは帝都にある帝立魔法研究所への紹介状です。私の持ちうる人脈の全てを総動員してやっと手に入れました。帝立魔法研究所の有する技術ならば、私の娘にかかった呪いを解呪できる可能性がある」
「なるほど、それで?」
「帝都までの旅路を歩むおおよそ二ヵ月の間、あなた方に娘を護衛して頂きたいのです」