101 わくわくドラゴン☆料理教室!
「よし、いい香りが立ってきたな。ソースはばっちりだし、そろそろパスタを茹でるとするか」
蜘蛛が村長の家で魔法談義に明け暮れていた頃。百足は小屋のキッチンにて一人、昼食の準備を行っていた。
蛇と仲良くなったという村のマダムが農地で採れた太陽トマトをお裾分けしてくれたので、今はそれを使ってパスタにかけるミートソースを作っている最中である。
太陽トマトは陽光を浴びれば浴びるほど赤く甘く熟していく植物。そのため、太陽光に困らないこの砂漠の村においては盛んに生産されているらしい。
実際まな板の上に転がっている丸々とした太陽トマトの果実は、太陽と見間違えてしまう程に濃い赤色に熟していた。
「あ、あのっ!」
そんな時であった。キッチンに立つ百足の背後から、彼のことを呼ぶ可愛らしい声が飛んできたのは。
ふと百足が声のした方を振り返ってみれば、そこにいたのはエリザベスであった。
「お、エリザベスか。このキッチンに何か用か?」
何か昼食のメニューのリクエストがあるのだろうか。そう思って百足は何気なくエリザベスの顔色を窺ってみる。
しかし予想に反して彼女の表情は、なんというか随分と思い詰めたような様相を呈していた。恐らくこの様子ではメニューのリクエストどころではないだろう。
「……すまんが今は火を使っているからな。話は昼食の後でも構わないか?」
「は、はい!」
これは多分、何か重大な相談事があるのだろう。エリザベスの表情からそう察した百足は、ひとまず昼食の後に会談の場を設けることにした。お腹の膨れた後ならば、きっと話もしやすくなるだろう。
しかし少女のことが大好きなエリザベスが、わざわざ少女ではなく百足に相談事をしにくるとは。これはもしや、想像以上に厄介な案件なのではないだろうか。
茹だったパスタを皿に盛り付けていく百足の心中では、嫌な予感が風のように吹き抜けているのであった。
「それじゃあ話を聞かせてもらおうか。それとアーサーが同席するけど平気か?」
「は、はい! だいじょうぶです!」
みんなで昼食を食べ終えた後の昼下がり、小屋の中に用意された百足の部屋にて。長机を挟んで向かい合った百足とエリザベスが、粛々とした雰囲気で会談を始めようとしていた。
ソファに深く腰を下ろしている百足とは対照的に、エリザベスは緊張した面持ちでソワソワと体を揺らしている。しかも着込んだ白いワンピースの裾をぎゅっと握っていて、その褐色の肌には汗の粒が浮かんでいた。
「エリザベス殿、どうかそう緊張なさらずに。お茶でもどうぞ」
そんなエリザベスの緊張っぷりを見かねて、百足の後ろに控えていたアーサーがそっとお茶の入ったカップを差し出した。このお茶はアカシック・レコードの情報を参考にして調合した、リラックスの効能を持つアーサー特製のブレンドである。
その効果はてきめんであったようで、恐る恐るお茶を啜ったエリザベスの表情は、溶けるようにして次第に和らいでいった。そして彼女はほっと息を吐くと、やっとのことで口を開いてくれた。
「あの、わたしりょうりをつくりたいんです! あるじさまに!」
そう一気に言い切ったエリザベスを見て、百足は心底驚いた。なにせてっきり、どうしたら少女のことを落とせるのかだとか、一番効く誘惑の仕方は何なのかだとか、そういう相談が飛んでくるとばかり思っていたのだから。
しかしエリザベスの口から出てきたのは、料理という至って平和なワード。どうやら物騒な相談ではないようだと、これには百足もほっと安心した。
エリザベスの行動理念は全て少女に結びついている。だから料理を作りたいという先程の発言も、きっと少女への感謝の念を形にしたいという思いが原動力になっているのだろう。
そしてその相談をわざわざ百足にしているということはつまり、エリザベスは言外に百足に料理の指南を請うているということだ。
「なるほど、つまりお前は俺に料理を学びたいわけだな」
「はいっ!」
百足の料理の腕は超一流である。
栄養が取れるならばそれでいいとゲテモノを作る蜘蛛に、火力を強め過ぎて食材を全て灰にしてしまう蛇、そして美味しいからと毒キノコに喜んで齧り付く少女。そんな料理下手たちに囲まれていた百足は、最初は仕方なく料理役を買って出ていた。
しかし、すぐに百足は料理の楽しさを知ることになる。何故ならば、自分の作った食事を食べて笑顔になっていく少女たちの姿を見ることが、百足にとって堪らなく嬉しかったのだから。
料理の楽しさを知った百足の職人としての天性はすぐに料理にも適応し、彼は一流の料理人として覚醒したのであった。
百足は本当に何でも出来る。美味しい料理を作れるし、服だって作れるし、単騎で街を壊滅させられる強力なゴーレム兵器すらも、造ろうと思えば簡単に造れてしまう。そしておまけにすっごく顔がいい。造物の神に魅入られるのも確かに納得というものである。
事実、魔導書を読みながら延々と独り言を呟いている蜘蛛や、女帝のような威圧感を放っている蛇よりも、どことなく朗らかな百足にはエリザベスも話し掛けやすかった。
そしてそんな朗らかで優しい百足が、勇気を出して料理の指南を請うてきたエリザベスを突き放すはずがないのである。
百足はエリザベスの思いを汲んで、彼女に己の知る料理の技術と知識を全て教え込む決意をした。
百足は竜の習性というものを知っている。竜たちは自分を負かしたり助けてくれたりした相手に、番となってもらうために必死にアプローチを繰り返すのだ。もちろんエリザベスと少女の関係もそれに当てはまる。
そんな健気な想いが羽ばたくための手助けを出来るのであれば、百足も満足である。
「いいぜ、料理の極意をみっちり教え込んでやる!」
「はい! よろしくおねがいします!」
かくして、百足による特別料理教室が開催される運びとなったのであった。
ふんすと鼻息を荒くして、エリザベスはやる気十分な様子である。そしてそんな彼女に、アーサーはそっと子供サイズの桃色のエプロンを着せた。
間のいいことに、少女は午後から散歩に出掛けている。こっそり料理の練習をするには、今は絶好のチャンスであるというわけだ。
「そうだな……ステーキだったら、あの子はよく焼いたウェルダンが好みだぜ」
「なるほど、さんこうになります!」
ちなみにエリザベスは、初めて少女に振る舞う料理はステーキがいいそうだ。宴の際に少女が尻尾ステーキを特段美味しそうに食べていたのが、今でも印象に残っているらしい。
しかし、まさか料理初挑戦ながらもステーキに挑むとは。ステーキといえば、ボリュームと美味しさを兼ね備えた料理の王様。そんな王様に真っ先に挑んでいくあたり、やはりエリザベスも最強生物なのだと再確認させられる。
「火加減の調節は料理においてマスト。だから火の魔法の操作には神経を注ぐんだ。獄炎で一気に焼けば時短になるとかいう話じゃないんだぜ。うちの蛇はそれをやって食材を灰にしたことがあるからな……」
「なるほどなるほど」
まずは基礎的な火加減の調節の練習である。キッチンのコンロに魔法で火をつけて、さらにはその火を順に大きくしたり小さくしたりして調節を重ねていく。
ちなみに、百足が火加減の調節を一番初めに教えるのには訳がある。樹海にいた頃、たまたま料理の番を蛇に任せたことがあった。するとあろうことか、蛇は山すら吹き飛ばす極大火力の火炎魔法で食材を焼こうとしたのだ。
慌てて止めてその行動の理由を問いただしてみれば、蛇は悪びれる様子も無くこう答えた。『料理って時短が大事なんでしょう?』と。そう、彼女は火力を上げれば上げるほど食材が焼ける時間を短縮できると、重大な勘違いを犯していたのだ。
そんな過去があるからこそ、そして相手が強大な竜の炎を操るエリザベスだからこそ、百足は火加減の大切さを最初に教えることにしているのである。
「よわび、ちゅうび、つよび……こんなかんじでしょうか?」
すると百足とアーサーが見守る中、エリザベスは一発で完璧な火力調節を披露して見せた。コンロに灯った小さな青い炎が、その燃焼の勢いをぱっぱと瞬時に変えていく。
たったの一度でコツを掴むとは、流石は竜である。いや、流石はエリザベスと言った方が正しいだろうか。
エリザベスの放つ竜の息吹は、数いる竜たちの中でもトップクラスの威力を誇っている。もはや熱光線と言ってもよい程の。
そんな彼女の炎を操作する技術はまさに一級品。コンロの火力調節などお手の物なのだ。
とはいえ、幼い身で既にそのレベルに達しているとは、まさに化け物だ。ドラゴンブレス熱光線しかり、平均を遥かに上回る魔力量しかり、エリザベスもまた、少女と並ぶ金の卵なのである。
肉体と精神が存分に成長した暁には、きっとエリザベスも蟲たちに匹敵する強者として大成することだろう。そんな彼女に慕われている少女の僥倖もまた、筆舌に尽くし難いものだ。
「あるじさま、まっていてください。わたしエリザベスがおいしいすてーきをおとどけします……!」
そしてその後も百足の料理教室は続いていく。
エリザベスが思ったよりも素晴らしい料理人の原石であることは、先程彼女が披露してくれた火力調節で十分に分かった。ならば、いきなり実践に踏み込んでも問題はないだろう。
百足の計画では、エリザベスが実際に料理を作るのは数日間の料理教室を経てからにするつもりであった。しかし飲み込みの速い彼女ならば、もう今夜にでも立派な料理を作り上げることが出来てしまうだろう。
ここからは超特急で知識と技術を詰め込むターンだ。今日中にエリザベスを立派な料理人に仕立て上げてしまおう。
「よし、料理のいろはを一から十まで教えてやるぜ!」
「はい! ばっちこいです!」
小屋のキッチンに、百足とエリザベスの元気な声が次々と響いていく。随分と活気に溢れた厨房だ。今夜の晩御飯にも期待を持てるというものである。