100 蜘蛛と村長と魔法談義
少女たちがこの砂漠の村に辿り着いてから、早いものでもう一週間が経過した。すっかりこの村に馴染んでしまった少女たちは、村人たちと思い思いに交流しながら、人間の世界の文化を日々少しずつ学んでいる。
なんと最近では、少女が文字を習いたいと言い出したらしい。なんでも、ナチュラルに人間の文字を読めてしまう蟲たちのことを羨ましく思ったそうだ。微笑ましいものである。
そして、蛇が村の貴婦人たちとお茶会をしたり、百足がゴーレムで村の防衛力を強化したりしている中、蜘蛛は仲良くなった村長の家にお邪魔して、毎日のように魔法談義に明け暮れているのであった。
オアシスのほとりに建てられた村長の家。そこはまさに、蜘蛛にとっての天国であった。
何故ならば、そこには高級品であるはずの魔導書が山のように積まれており、しかも村長は蜘蛛が訪れる度に美味しい紅茶とお菓子を出してくれるのだ。おまけに村長は人が良いし話も面白いしで、一緒にいて非常に楽しいのである。
そんなわけで、蜘蛛は村長の家に毎日のように入り浸っているのであった。
「魔法ってそれぞれに独自の詠唱が備わってるけどさ、あれって誰が決めてるの?」
「強いて言うならその魔法の製作者ですね。なんでも、魔術式を描き上げた際に心の底から自然と湧き上がってくる言葉があるそうですよ」
「あ、その感覚なら知ってるかも。僕も結構魔法作ってるから」
テーブルの上に地層のように魔導書を積み重ねて、蜘蛛と村長は延々と談笑を続けている。今はもう夕暮れ時なのだが、実を言うと、この魔法談義は朝からずっと続いているのだ。
一冊の魔導書を読破しては、また新しい魔導書を読み始める。それを何度も何度も、昼食すら省いて繰り返した結果、テーブルに積み重なった読破済みの魔導書は合計三十二冊。しかもそのいずれもが難読書として知られる曰くつきのものである。蜘蛛はそれらを村長の解説を挟みながらではあるが、尋常を超えた速度で読破していっていた。
「お、この本面白いね。なんというか著者の燃えるような情熱が伝わってくるよ」
「その魔導書の著者の方になら一度会ったことがありますよ。ファッションの一環として髪の毛に火をつけている奇抜な方でした」
蜘蛛が今読んでいるのは、真っ赤な表紙が特徴的な火炎魔法の魔導書。なんというか、文章のクセや魔法陣の図の筆跡に言いようのない情熱が宿っている。きっとこの魔導書の著者は、熱血な火の魔法使いだったに違いない。
やはり魔導書を読むのは楽しい。自分の知らない魔法を知れるのは勿論、魔導書ごとに存在する個性を味わうのもまた一興である。
それにしても、先程からずっと蜘蛛の話に付いていけているあたり、村長も中々に頭脳明晰であるようだ。
それもそのはず、村長はこの村に派遣されてくるまでの間、パクス・ロマエ帝国最高峰の魔術研究機関である『帝立魔法研究所』に勤めていたバリバリのエリートなのだから。しかも彼は世界最高の魔法学園である『世界中央学園』の卒業生でもある。
ちなみに世界中央学園とは、東大陸と西大陸を隔てる海峡に浮かぶ島に位置する、世界最高の教育を提供している学術機関だ。そういえば、以前少女が出会った冒険者ヒッタイトの出身校でもあったはずである。
世界中央学園の卒業生の多くは世界を牽引する人材となり、冒険者ギルド上層部や各国の研究機関にてその敏腕を振るっているという。それに実のところ王族や貴族などは、世界中央学園を卒業してからが一人前といわれている。
「次はこちらはどうですか? 蜘蛛さんは時空魔法が使えるんでしたよね」
そう言って村長が次に差し出してきたのは、時空魔法に関する魔導書。群青色の表紙と銀縁文字の表題が綺麗だ。魔導書は魔法の権威のシンボルでもあるので、見てくれも豪華なものが多いのである。
村長は蜘蛛が砂賊の間者を追い詰めていく様子を見ていた。だから彼は蜘蛛が複数の魔法属性を扱えることも、希少属性である時空属性を使えることも知っているのだ。
そして、蜘蛛は渡された魔導書のページをペラペラと高速で捲っていく。一見適当に魔導書を弄んでいるようにも見えるが、これでも蜘蛛は全ての記述を完璧に認識している。超絶技巧な速読である。
しかし、魔導書を読んでいる時の蜘蛛の表情というのは、非常に感情豊かで見ていて面白いものだ。何か興味深い記述があったのか、急に小さく笑ったり。かと思えば、納得のいかない部分があったのか、顎に手を添えて考え込んだり。蜘蛛の少年じみた外見に、それらの動作はなかなかどうして様になっている。
そうしてコロコロと表情を変えるものだから、なんだか蜘蛛が可愛らしい小動物のようにも見えてくる。村長が毎日蜘蛛を快くもてなしてくれるのも、もしかするとそこに理由があるのかもしれない。
「時空魔法って空間の圧縮とかも出来るんだね。知らなかった」
「瞬間移動も突き詰めればそういう理論らしいですよ。あ、紅茶のおかわり淹れますね」
「ありがと~」
村長に新しく淹れてもらった温かい紅茶を啜りながら、蜘蛛はまた次の魔導書に手を伸ばす。ついでに皿に盛られたチョコレートの粒にも手を伸ばす。そして摘まむ。美味しい。
しかもこのチョコレート、噛んだ途端に中から甘酸っぱい果実のソースが溢れてきた。二段構えで舌を楽しませてくれるとは、人間の食文化も侮れない。
聞けば、このチョコレートに使われている『激苦カカオ』という植物も、交易路を通じて南大陸からこの村にやって来たものであるらしい。しかし激苦という名前をしているくせに、このチョコレートはとても甘い。それはどうしてなのだろう。砂糖をどばーっと入れているのだろうか。
まあ、美味しいからどうでもいいか。お菓子作りは蜘蛛ではなく、百足の専門なのだ。
「それにしても、時空魔法を使えるのは本当に羨ましいですね。千人に一人の希少属性なのに。時空魔法の使い手といえば、普通は貴族などに召し抱えられるものなんですよ?」
「そうなんだ。確かに瞬間移動なんかがあれば、危機回避とかに便利だもんね」
すると、そこまで話した時点で蜘蛛はふと首を傾げた。時空魔法に関して、一つ引っ掛かる点があったからだ。少女についてのことである。
十三年前、赤ん坊だった少女は何者かの手によって死の樹海へと捨てられた。それを見つけて、そして拾ったのが蟲たちだったのだ。
その際に蟲たちが居合わせた少女の遺棄現場には、僅かではあるが時空魔法の残滓が残されていた。それはつまり、少女が時空魔法によって樹海にまで転送されてきたことを示している。
そして村長によれば、時空魔法の使い手は希少であるが故に、王族や貴族などの上位階級の人々に独占されているらしい。
だとすれば、まさか少女の出自は上流階級にあるというのだろうか。そういえば少女は食事の際などにそれとなく洗練された所作を見せてくれるし、その上彼女は稀に女王のような風格を醸し出すことがある。その全てが高貴なる血筋の力なのだとすれば……。
「いいや、まさかね……」
蜘蛛はそこまで考えた時点で思考を止めた。この話題は、何だか触れてはいけないものであるような気がしたからだ。それにこれだけでは、月の女神が言った『我が半身が樹海へと捨てられたのは、我のせいでもあるのですから』という発言に説明をつけることが出来ない。
そもそも身内に神の半身が生まれたのならば、普通は手厚く保護するはずだ。それが王族や貴族ならば尚更、自分たちの権威を強めるためにフル活用するはずである。それをあろうことか捨てるなんてこと、絶対にしないはずだ。きっと。
「どうされました蜘蛛さん、お疲れですか?」
そうして色々と考えを巡らしている内に、蜘蛛の顔色はいつの間にか悪くなっていたようだ。青白くなった彼の顔を、村長が心配そうに覗き込んできている。文字の読みすぎで疲れたのではないかと心配してくれているようだ。
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。でももうすぐお夕飯だし、そろそろ帰ろうかな」
魔法談義に熱中している内に、外はもうすっかり夕暮れ時になっている。きっと百足とアーサーが夕飯を作って待ってくれていることだろう。だからそろそろ帰らなければ。
蜘蛛はテーブルの上に散らかった魔導書たちをぱぱっと片付けて、椅子を引いて立ち上がった。
「またね村長さん。明日も来ていいかな?」
「ええもちろん。ただ……」
蜘蛛の問いに快く応えた村長ではあったが、しかし後半になると彼は言葉を詰まらせた。もしかして、何か言いにくいことがあるのだろうか。蜘蛛のどんな質問にも明快に答えていた村長がこんなにも口ごもるなんて、珍しいこともあるものだ。
そうして村長は少し俯いて、迷うような仕草を見せていたが、しばらくすると決心したように口を開いた。
「できれば明日はご家族の皆さんも一緒にいらっしゃって下さい。その……私の娘に会ってもらいたいのです」
ちなみにですが、第二章はここからが本番です。