第五話
アナベルだけが幸せになってくれれば、それでいいんだ。
だから僕は、何事にだって耐えてやる。耐えてみせる。そう決めた。
全身を猛烈な熱がのたうち回る。脳内を火花が飛び散り、視界は真っ赤で埋め尽くされた。
さすがは魔女だ。ひどいことをしてくれる。だが、悪くはないと思った。
僕は今、業火に包まれている。息ができず、痛みと熱とでただひたすらに苦しい。それでも必死にもがき、走り、彼女を探した。
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「――言葉で伝わらないなら行動で示してみせな。そうすりゃ、応えてくれるだろうさ」
そんな言葉と共に魔女から与えたのは、特別な力でも何でもなく、ただのマッチだった。
本来はランタンに灯すはずのそれを手渡され、僕は困惑する。
「こんな弱い火で何になるというんだ。すでに最上級レベルの火魔法はありったけやった後だと言ったじゃないか」
「わかってないねぇ。必要なのは火力なんかじゃないよ。それで己を焼けばいい。その身をもって想い人を温めてやるんだね」
僕は魔女の言葉に、目を見開いた。
これまでずっと考えていたのは贖罪のことばかりで、自らでアナベルをどうにかしようだなんてできるわけがないと最初から諦めていたのだ。
「……そんなことができるのか」
「一応、祈願成就の魔法はかけてある。それでもダメなら、そこまでさ。
愛というのは儚いものだからあまり期待しない方がいいとは思うがね」
僕の身を焼いて、その代わりにアナベルの氷を溶かす。
魔女の言っていることが本当かどうか、僕にはわからなかった。だが少しでも可能性があるのならばそれに縋りたい。いや、縋るしかないんだ。
だから首を縦に振ろうとし――。
「待ってください! そんな話、『はいそうですか』って簡単に言っていいわけ、ないでしょう!」
その直前、ヘンリエッタ嬢に止められてしまった。
今までずっと黙っていた彼女が急に叫び出したので、僕は驚いてヘンリエッタ嬢の方を振り返り、魔女は「ふん」とやや不満げに鼻を鳴らした。
「何だい。お嬢ちゃんはお姫様が元に戻ればそれでいいんだろう? たとえこの男がどうなっても関係ない話じゃないのかい」
「確かにわたしはエドモンド殿下に特別な情を持っているわけじゃありませんし、むしろ苦々しく思っているくらいです。でも――アナベル様が愛した人ですから」
魔女の鋭い視線に対し、少しも震えることなくそう言ったヘンリエッタ嬢の瞳が、すごく凛々しく見えて。
だからこそ僕は、決意を固めた。
「やらせてくれ」
「……! エドモンド殿下、今のわたしの話、聞いてました?」
「聞いてたし、聞いていたからこその結論だ。ここでやらなきゃ一生後悔することになるだろう。それにこれ以上、アナベルに不義理はしたくない」
だから僕は、魔女から受け取った小さなマッチを握りしめ、そう言ったのだった。
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「本当に、馬鹿ですね」
「直球だな」
「当然です。いくら廃太子されたとはいえ一国の王子。その自覚があるようには、到底思えません」
「その通りだ。僕は昔からずっと馬鹿なんだよ」
魔女の雪山を後にした僕たちは、王城まで戻って来ていた。
久々に僕の部屋へ足を踏み入れると、そこには変わらず凍てつく氷に包まれたアナベルがいて。……無事でいてくれたかと心から安心した。
「本当にやるんですね」
アナベルの方をじっと見つめる僕に、ヘンリエッタ嬢が最終確認をしてきた。
僕が頷くと、「どうなっても……死んじゃっても知りませんよ」と言いながらマッチを擦る。そして僕の衣服に押し当てた。
「――っ」
熱い。
急激に腰あたりから物凄い熱を感じた僕は、思わず悲鳴を上げそうになった。
マッチの炎は小さい。けれど一度引火してしまえばどんなに弱い炎でも燃え広がるものだ。
一瞬で全身が炎に包まれ、呼吸が苦しくなった。
熱さが痛みとなって襲い掛かる。痛い。苦しい。僕は馬鹿だ。ああ、苦しい。
視界が赤く染まる中、僕はアナベルの元へ駆け出した。
ヘンリエッタ嬢は、うっかり城が火事になってはいけないからと人を呼んで来てもらう算段になっている。だからそれまでに成功させなければいけない。
火だるまになりながら、どうにかアナベルの姿を再確認した。
そして彼女へ思い切り抱きつく。……と言っても氷に阻まれているので、直接触れられるわけではないけれど。
腕に燃え移った火が、ジュウジュウと音を立てながら氷を少しだけ溶かしていく。
全て溶け切る前に、きっと僕の体の方が溶けてしまうだろう。でもそれでも構わなかった。だって、どんな特大魔法をぶつけても少しも変化のなかったアナベルの氷が、ほんのちょっとでも溶けているということは。
「まだ、好きでいてくれたんだ」
それが今の僕にはとてつもなく嬉しかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エドは、ずっと馬鹿だった。
そんなので王太子になれるのかしら?と思うくらい、頼りない人だったわ。
それでも私は良かったの。足りない部分は私が支えればいい。そう思って生きてきたから。
なのに、そのために私がどんなに頑張っても応えてくれなくて。寂しかった。辛くて悲しかった。
だからその分、悪戯しようと思ったの。
私って嫌な女ね。
氷に閉じこもって、自分だけはエドとの温かい夢を見て。エドが少しでも後悔して、私のことを頭の片隅にでも置いてくれたらいいと思っていたの。
だから、こんなことになってしまったのかも知れない。
どこか遠くのような、それでいて近くから感じる、熱。
ここしばらく感じていなかったエドの声が聞こえる。そして温もりが、直に伝わってくる。
「アナ……ベル……」
辿々しい呼び声に、私は氷の中で目を開ける。
ぼんやりとする頭に霞む視界。ここは一体どこだったかしらと考え込む私の前で、倒れているものを見て息を呑んだ。
それは丸焦げになったエドだった。
「………………え?」
目の前の光景を受け入れるためにどれだけの時間を要したか、わからない。
夢の中で笑っていた彼ではなく、成長し、すっかり大きくなった青年。それでも私はそれがエドだということが直感で理解できた。
「エド……?」
氷にヒビが入り、煌めきながら割れ砕ける。
破片を踏むのもお構いなしに外へ飛び出した私は、エドの元へ走った。
「アナベル……やっと、起きてくれたんだ」
真っ赤な火に包まれたエドが私の方へ手を差し伸べて、力なく笑う。
そしてその手が私に届く寸前、彼は言った。
「おはよう、ねぼすけさん」
その声はとても柔らかく、昔のように優しくて――そんな場合じゃないとわかっているのに、嬉し涙が頬を伝っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あんな大火傷をして死ななかった僕は不死身の怪物か何かだと思う。
とはいえ、どうやら三日三晩意識を失ってはいたようだが。
目覚めた瞬間に感じたのは、「ああ、生きていたのか」という、結構乾いた感情だった。
正直、僕の生死なんてどうでも良かったのだ。ただ……僕が死んだことでアナベルを悲しませるのは嫌だったから、これで良かったのかなとも思う。
部屋には誰もいなかった。
普通、使用人の一人でもいそうなものだが、見放された王子にはその程度の待遇もないらしい。そんなことをぼんやり思っていると、ドアがノックされた。
「……だ、れだ」
声が掠れ、まともに返事ができなかった。
先ほどの考えが間違いで、たまたま使用人が不在にしていただけなのかも知れない。そして戻って来たのだろうか?
……だが、それこそ的外れであったのだと数秒後に知らされることになる。
入って来たのは銀髪の少女だった。
給仕服ではなく、質素な青のドレスを身に纏っている。そして青の瞳でまっすぐにこちらを見つめていた。
その姿を目にした瞬間、心臓が震えるのを感じた。
「エド……殿下、お目覚めに、なったのですね」
言うが早いか貴族令嬢にあるまじき速さで駆け寄って来た彼女――アナベルが、僕の焼け焦げた手を握り締める。
神経が焼き切れているせいでその感触は得られなかったが、きっと彼女の手は温かかったに違いない。
「元気そうで良かった……」
「そういう殿下の方こそ、ボロ雑巾みたいじゃありませんか。あなたが死んでしまったら私、どうしたらいいかと思って不安だったのですよ」
「そ、うだな……」
僕を見下ろすアナベルは、今にも泣きそうな顔をしていた。
そんな彼女を見て、僕は場違いな感動を覚える。彼女が起きて、動いて、喋って、泣いて怒っている。どうして喜ばずにいられるだろうか。
「馬鹿。私なんて起こしてくださらなくて良かったのに。嫌いなんでしょう。殿下は私のこと、もう好きじゃないんでしょう」
「ご……めん」
「謝っても、許してなんて差し上げません」
そのまま、しばらくアナベルが黙り込んで。
どうしたのだろうと思い、口を開いた瞬間――僕の焼け爛れた唇に、アナベルの桃色の唇が押し当てられた。
触れ合う時間は短かったがそれだけで僕は幸せな気持ちになった。
そうか。もうとっくの昔に、僕はアナベルのことを好きになっていたんだと、改めて気づいた瞬間であった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。愛してる……愛しているの」
ポロポロ泣き出すアナベルは、ごめんなさいを繰り返す。
彼女をそっと抱きしめてやりたいがそれができない僕は、一言だけ「好きだ」と伝えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ヘンリエッタ・エレミード伯爵令嬢と僕の婚約は予定通りに解消となった。
王子が焼身自殺を図った――表向きにはそういうことになっているらしい――のと、ヘンリエッタ嬢自身が強く望んだためである。
ヘンリエッタ嬢は、専属侍女として再びアナベルに仕えることになった。
その一方で大きな噂になったのは、『氷の公爵令嬢』アナベル・メリーエが戻って来たこと。
これには多くの貴族が喜び、令息たちが次々に彼女へ婚約を申し込んだという。だが、彼女はキッパリとした態度で言ったらしい。
「私には唯一愛する方がおります。その方と以外の未来など、考えられません」
それはもはや婚約宣言のようなものだった。
実際、その数日後には僕とアナベルは二度目の婚約することになる。……今度こそ裏切るなよと、メリーエ公爵夫妻に恐ろしいくらいに睨まれながら。
関係は決して元通りとは言えない。
僕はこの先一生自由に動けないだろうし、過去の数々の出来事を悔やみ続けるだろう。僕のせいでアナベルの王妃教育は全て無駄になってしまったし、僕が王太子に復帰することは二度とないのだ。
それでも幼き頃のようにアナベルが傍にいてくれるのが嬉しくて、それだけで幸せだと思えた。
「エド、大好き」
そう言って僕の頬へと柔らかなキスを落とすアナベルは、『氷の公爵令嬢』だなんていう異名を感じさせない、とても可愛らしい笑顔をしていた。
これにて完結です。最後までお読みくださいまして、誠にありがとうございました。
魔女についての裏話や、これとは別の結末なども考えていたのですが、最終的にこうなりました。
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