第三話
「アナベル、聞いてくれるか? 実は僕、王太子じゃなくなったんだ。今日から僕はただの王子に逆戻りだ。……でも、これでいいのかも知れないね」
僕はベッドに腰掛け、アナベルへと語りかける。
これが一人語りだとわかっていても、喋りかけずにはいられなかった。アナベルだけが僕の話を聞いてくれるような気がしていた。
……なんとも勝手な話だと自覚はしているが。
「母上からは見放されたよ。父上のおかげで一応は城から追い出されずに済んだけど……」
僕の母――現王妃はアナベルと仲が良かった。
王妃教育の際、アナベルに魔法を教えていたのは大体現王妃だったらしい。本当の娘のように可愛がっていたと聞く。
だからアナベルを裏切った僕を母が許せなくて当然だ。
いいや、父だって本当は同じ気持ちのはずなのだ。僕が王族の中で唯一の男でなければ追放を躊躇うことなどなかっただろう。
僕には三人の妹がおり、長女が王太女となることが決定した。
だが、それは男系王族が王位を継ぐのが通例のこの国では受け入れ難い事態であり、やはり国民からの反感が大きい。それを収めるために僕が置いておかれたわけだ。
メリーエ公爵家から反感を買うのではと危惧されたが、「腐っても娘が愛していた男だから」と許されてしまった。
――どうせなら、追放でも処刑でもしてほしかったのにな。
「なあアナベル。これから僕はどうやって生きていけばいいんだ? 氷に包まれた君の姿を見て、君との楽しかった幼少期を思い出して……ただ泣き暮らすことしかできないこの愚物は、一体どうすれば」
答えは返って来ない。アナベルはただ、眠っているだけだ。
励ましてほしい。慰めてほしい。笑顔で「大丈夫」と言ってほしい。
「もうじき三ヶ月になる。そろそろ起きてくれないか、ねぼすけさん」
何度目になるかわからない僕の願いは、虚空へと消えて行った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――そんな風にして数年が過ぎた。
僕だってその間何もしていなかったわけではない。
例えば国中から力の強い男たちを集めて、氷を割らせようとしたこともある。
しかしどんな力持ちをもってしても氷はびくともしない。それどころか、あまりの冷たさに一秒も触れていられず、力持ちたちが悲鳴を上げて飛び退いてしまうという結果になった。
ならばと王立図書館で本を読み漁り、色々な知識人を呼びつけ、必死でアナベルの氷を溶かす方法を探した。
だが、誰に聞いてもわからない。
この上なく精度が高く、肉体を永きの間眠りにつかせるという特殊な魔法を解くことはとうとう叶わなかった。
そのうち僕も諦めた。
これはアナベルからの復讐なのだ。長年彼女を蔑ろにしただけではなく、一心に向けられていた愛に気づかずに、つまらない理由で捨ててしまった愚かな僕への復讐。
だからせめてそれを受け入れ、死の間際まで彼女に謝り続けるしかない。謝ったとしてもきっと許されることではないだろうけれど……そうしていないと心が押し潰されそうだったから。
残りの人生の全てをアナベルのために、贖罪のために捧げよう。
そう思い立ったのは彼女が氷の中で眠りについてから一年経った頃だっただろうか。
とはいえそれは漠然とした使命感でしかなく、何をしていいかまるでわからず、完全なる手探り状態だった。
例えば城を出て町に行き、慈善活動を行った。他にも各地へ視察を積極的に繰り返し、困窮している人々の姿を目にする度にできる限りの支援をした。
それから、今までは信じてもいなかった神という存在に祈ってみたこともある。
その結果国民からは『献身的な王子』と呼ばれるようになり、廃太子にしたことを惜しむ声すら出始めたが、こんなのではまだ足りないのは明白だ。
取り返しのつかない罪を犯した僕は、この程度で許されていいはずがないのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「アナベル、もう僕も二十歳になったよ。君は何年経ってもずっと変わらないな」
二十歳を迎えた朝、僕はいつものようにアナベルに語りかけていた。
今日は王子の誕生日ということでパーティーが開かれることになっている。しかもこの国での成人は二十歳であるから例年より盛大に祝われるらしい。
……まあ、誰も僕の誕生日を心から喜んでくれる人間などいないだろうが。
「誕生日パーティーとは名ばかりで結局のところ、お見合いさせようというつもりらしいんだ。母上は反対してるけど父上がどうしてもと言ってね。……まったく、ひどい話だ」
父はこのところ、僕に早く結婚をしろと迫っていた。
あんなことがあった後だが、政略的な問題で王家の第一王子を婚約者にと求める家は多いし、結婚相手には困らないだろうと言って来るのだ。
僕だってわかっている。本当は王子として――つまり種馬としての役目を果たさなければならないことくらい。
しかしアナベルをこんな風にしておいて、誰かを娶ることなんてできっこない。
「……どんなことがあっても結婚は断るつもりだ。だから安心して、アナベル。他の女を妃にするような真似だけは絶対しないからね」
どんなに詰め寄られても、仮に拷問されたとしても絶対に反発してやる。
少なくともこの時は、それくらいの固い意志を持っているつもりだった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しかし事態は、思わぬ方向へ急変することとなる。
誕生日パーティーが始まり、いかにして令嬢たちの猛烈なアピール合戦を切り抜けようかと悩んでいた最中のことだった。
父王がこんなことを言い出したのである。
「第一王子エドモンドの新たなる婚約者をここに発表する」
これは一体どういうことなのだろうか?
僕が戸惑い、母が父を睨みつけ、メリーエ公爵夫妻が抗議の声を上げようとする中、それを全て無視した父は、とある令嬢の名を口にした。
「ヘンリエッタ・エレミード伯爵令嬢、エドモンドの前へ!」
「はい」
僕の前に現れたのは、栗色の髪に真紅の瞳をした可愛らしい少女だった。
エレミード伯爵家の次女だという。話をしたことはもちろん、挨拶すらも数度しか交わした覚えがない。
こんなに容姿がいいのに売れ残っているということは、何らかの問題を抱えているのだろう。
そんなことを考えながら、僕は今何が起こっているのかまるで理解できていなかった。
彼女が婚約者だなんて、そんなわけがない。
今日はあくまでもお見合いをするだけのはずだ。公爵夫妻を、アナベルの両親がこの場にいるというのに僕の婚約発表――?
馬鹿げている。何かの間違いだと思った。
「エドモンド殿下、お久しぶりです! 王子様と婚約者になれるなんて夢みたい。これからよろしくお願いします!」
ニコニコ笑顔でそう言う彼女を、僕はキッと睨みつける。
――なんだこの馴れ馴れしさは?
まるで昔から友人同士であったかのような距離感に気持ち悪さを覚えた。
「悪いけど僕から離れてくれないか?」
嫌悪感を丸出しにして、そんな言葉を投げつけてやる。
すると少女――ヘンリエッタ嬢が逆に僕へ擦り寄って来て、僕だけに聞こえる声量で言ったのだ。
「そんなに嫌がらないでください、エドモンド殿下。大丈夫、エドモンド殿下と結婚するつもりはありませんよ。……ですから今だけ。……嫌になったらアナベル様の時みたいに婚約破棄してもいいのですよ?」
先ほどまで天真爛漫というのがふさわしかったはずの少女が、少し企むような表情になっていた。
ヘンリエッタ嬢に一体どういうつもりがあるかはわからない。だが、婚約破棄という言葉にビクッとなり、僕は強気に出られなかった。
「本当に、別れるんだな。僕は君を愛することはないぞ」
「もちろん。わたしだってあなたを愛したりなんかしません」
普通、婚約者になったばかりの二人がまず交わさないであろう会話をして。
僕らは仮初の婚約者同士となった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「アナベル様……お美しさはあの頃からちっとも変わっていないのですね」
「ああ。十七歳の時、彼女の時間は止まってしまったんだ」
僕の部屋で、アナベルの氷像の前にひれ伏し、涙を流すヘンリエッタ嬢。
それを僕は罪悪感に苛まれながら見つめていた。
ヘンリエッタ嬢がかつてアナベル付きの侍女としてメリーエ公爵家に仕えていたと聞いて、驚いたものだ。
アナベルと仲が良かったというヘンリエッタ嬢。そんな彼女がどうして形だけでも僕の婚約者になったのか、わからなかった。
だがこの様子を目にして僕は理解する。――アナベルにもう一度会いたかった、ただそれだけなのだろう、と。
ここに来られる人間は少ない。
年に一度、メリーエ公爵夫妻がやって来るがそれだけだ。だから面会の機会が欲しい者はそれこそ王子である僕の部屋に踏み込んでもいい立場にならなければならない。僕の婚約者になってしまえばここへ来ることは容易かった。
ひとしきり泣き終えたヘンリエッタ嬢が、ふらふらと立ち上がり、僕を振り向いた。
「エドモンド殿下、あなたはアナベル様のことを、どう思っているのですか」
「――――」
「わたしがエドモンド殿下の婚約者に名乗りを上げたのは、こうしてアナベル様のお顔を見たかったからです。ですが後もう一つ、理由があります。……エドモンド殿下のお気持ちをお聞きしたいのです。今でもあなたは、アナベル様のことを嫌いでいらっしゃいますか? それとも取り戻したいと思っていらっしゃるのですか」
押し黙る僕に、鋭い視線を向けたヘンリエッタ嬢が問い詰める。
僕はしばし躊躇った後、口を開いた。
「それはもちろん、また会えるなら会いたいと毎日思っているさ。反省だってしてるんだ。今までごめんねって、全部謝れたらどんなにいいか……でもそんなことできるはずがないじゃないか」
どんな手を尽くしてもダメだったんだから。
「エドモンド殿下はアナベル様を、心から愛していますか? もし愛しているというなら、やり直したいと思っているならわたしが協力いたします。ですがそうでないのなら、アナベル様はメリーエ公爵家にお連れします」
ヘンリエッタ嬢の真紅の瞳が僕を捉えて離さない。
――愛していますか、だなんて、簡単に訊いてくれるものだ。
「僕にアナベルを愛する資格はないだろう。それでもアナベルのことは大切だし、やり直したいと思ってる。もしももう一度言葉を交わせるなら……謝って、大好きだって伝えたいよ」
ずっと堪えていたのにとうとう抑え切れなくなって涙が溢れ出して来る。
ヘンリエッタ嬢はそんな僕の手をそっと握り、言った。
「わかりました。絶対に、取り戻しましょう」
前中後編だけでは終わらなかったのであと一、二話続きます。すみません。
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