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天地ただ一騎

作者: 十禽楼主人

 彼の名を日本語でどう読むべきか。

 史萬歳――。

 シ・バンザイ? シ・マンザイ?

 しかし、「ばんざい」も「まんざい」もすでに存在する言葉のイメージが強すぎる。この文中では、中国の人名は漢音で読むという通例にのっとり、シ・バンセイと読んでいただきたい。


 中国史においてメジャーな時代……こと戦に関する作品でいえば、さまざまな故事成語が作られた春秋戦国時代、項羽と劉邦の楚漢争覇の時代、不動の人気を誇る三国志の時代といったところではないだろうか。

 史萬歳は北周から隋の時代の武将である。マイナーな時代だ。北周といってすぐピンとくる人は多くないだろう。

 だが、どんな時代にも興味深い人物は存在する。史萬歳もそのひとりだと、筆者は信ずる。……


   ・・・


 蒼い草を生やした平原が緩やかに起伏しながらはるか地平まで続いていた。


 馬上の史萬歳は真夏の乾燥した熱気を呼吸する。怒れる炎帝のごとき太陽が彼の甲を、鎧を、無慈悲に炙っている。吹きわたる風すら熱かった。

 だがそれがいい。戦いを前にした昂ぶりと外界の熱とが渾然となって、日に焼けた萬歳の顔に荒っぽい笑みを刻みつけた。

 史萬歳、このとき三五歳。肉体的に充実しきった年齢であった。


 彼の背後には隋軍三万が整然と陣列をなし、前方には突厥(とっけつ)の軍勢が同じように集まっている。

 両軍のあいだに史萬歳がただ一騎。


 いや――もうひとり。


 突厥軍の中から、ゆっくりと馬を歩ませて出てきた戦士がいる。萬歳と距離をおいて対峙した。突厥の戦士は萬歳よりも若く、大きい。獣のような力を体に蓄えているに違いなかった。表情が静かなのもいい。突厥を代表する者としてふさわしいたたずまいだ。


 だが、萬歳は相手の強さを十分に推し量りながらもなお思う。

(おれが強い)

 と。


 一騎と、一騎。

 これからふたりは両軍の代表として戦うのだ。


「ゆくぞ」

 届くはずのない萬歳の呟きに、しかし相手は小さくうなずいたようだった。お互いが同時に馬を進める。はじめはむしろ緩慢に、徐々に速度を上げていく。それぞれ人馬一体の風と化して、ふたりの勇士が激突する――!




 思えば、

(おれが強い)

 と思い続けた半生だった。


 史萬歳は幼いころから力が強く、同年代の子供らと喧嘩して負けたことがなかった。

 馬に乗るのが巧みであり、弓の上手であった。それだけではなく兵書をよく読み、天候をうらなうことにも長けていた。これらはすべて戦に関する分野である。近現代に至っても天気予報は軍事機密とされていたほど、天候と戦とは関連しているのだ。


 一五歳ではじめて、父に従って戦の場に出た。

 萬歳のいた北周という国は、東にある北斉と常に戦争状態であった。このときも北斉との戦いに従軍したのである。


 両軍の陣立てを見た萬歳は、すぐさま兵に退却の準備をさせた。ほどなく北周軍は総崩れとなったが、用意をしていた萬歳の部隊は整然と退却できた。それを見た父は萬歳には軍才があると嘆賞した。

 本人はそれで浮かれるようなことはなかった。萬歳が思ったのは、

「おれが将であれば負けることはなかった」

 ということであった。


 だがその後功績を立てる機会はなく、父が亡くなったこともあり萬歳は鬱鬱と青年時代を過ごした。次に彼が史上に姿を現すのは三十を超えてからである。


 そのころの北周は重臣である楊堅(ようけん)がいよいよ権勢を誇っていた。楊堅に簒奪の意ありとして叛旗を翻したのが老将尉遅迥(うっちけい)である。

 史萬歳は、尉遅迥を討伐するための軍に、梁士彦(りょうしげん)配下の一部将として参加した。


 従軍中、頭上を雁の群が飛んだ。萬歳は馬を躍らせ、梁士彦へ向けて声を発した。

「ご覧あれ」

 馬上で矢を構え、満月に引き絞った弓を青天へ向けた。

「前から三羽目!」

 矢を放つ弦音に応じて、上空から雁が落下する。それはまさしく宣言通り三番目の雁であった。


 見守っていた全軍から歓声が起こった。

「見事」

 戦いを前にして士気をあげた史萬歳の行動に、梁士彦も満足げにうなずいてみせた。

 四面からの喝采に、萬歳は手を挙げて応じた。

(見ろ、おれを。おれが強い)


 梁士彦の軍が戦うたび、史萬歳は常に先陣を切った。一度など、尉遅迥の軍勢に押されて陣が崩れかけたが、萬歳は馬を馳せ、槍を振るってたちまち数十人を殺した。

「引くな、進め!」

 彼の雷声のごとき叱咤に逃げかけていた兵も足を止め、再び敵に立ち向かいはじめた。


 そのようなこともあって尉遅迥の叛乱は平らげられた。尉遅迥は逆徒とされたが、口さがない人士の間では様々な風説が立った。

 尉遅迥こそが北周を憂う忠臣であったというもの。追い詰められて起たざるをえなかっただけだというもの。尉遅迥は楊堅に取って代わろうとしていた、ただの権力争いにすぎなかったというもの……。


 だがその中にあって、楊堅が忠臣であるという評判はひとつもなかった。

 それを裏書きするごとく、尉遅迥の死よりほどなくして楊堅は帝位を簒奪し、国号を隋と改めた。


 史萬歳には政治がわからない。ことに宮殿での隠微な権力闘争などにはまるで興味がなかった。彼の生は戦いにこそあった。

 だがその鈍感さが今度は仇となった。

 萬歳には尒朱勣(じしゅせき)という友人がいたが、その尒朱勣が楊堅の簒奪に不満を持ち謀反をたくらんだのである。計画は事前に漏れて尒朱勣は誅された。


 萬歳は酒の席などで尒朱勣が楊堅への不満を漏らしているのを聞いていたが、興味がなかったので聞き流していた。そのせいで、ともに叛乱を図った疑いがあるということで捕えられてしまったのだ。


 具体的に陰謀に関わっていたわけではないことは知れたが、萬歳はわけのわからぬうちに官職を罷免され、一兵卒に貶されて、はるか辺境の守備につかされることとなった。

(ばかな)

 と思ったが、萬歳はそれを回避する方策を知らない。敵兵の矢は防げても政争の刃には無防備な彼であった。

 一軍を率いて己の強さを天下に知らしめるという萬歳の野心は潰えたかに思えた。


 敦煌――。

 文化の最果て。

 乾いた長安よりなお乾燥した空気が史萬歳の顔をやすりの如く撫で上げる。

 四面の荒野である。兵士たちが暮らす辺塞のほか何もない。隣の要塞も地平線の向こうである。辺塞はさしずめ大海のなかの小島であった。

 もっとも、萬歳は海を知らない。逆に彼が海に出て無人島に降り立ったとき、敦煌に似ていると思うのかもしれなかった。


 貧しく、地は痩せ、生活は過酷である。

 だが、それがかえってよかった。温暖な町で閑職につけられていたら、湿気が食べ物を腐らせるように、萬歳の心は腐っていたかもしれない。

 敦煌の乾いた風が、苛烈な環境が、萬歳をかろうじて腐らせなかった。


 上官にも恵まれた。いい人だった、というのではない。逆である。

 ここでの任務は、時折襲ってくる突厥に対する防衛である。上官はその際単騎で敵中に入っていき、さんざんに打ち破って得意満面で帰ってくる。おまえらにはできないだろう、という顔で。

 力を誇示して部下に言うことをきかせるたぐいの人間だった。


 萬歳はそれで萎縮する男ではなかった。かえって奮い立った。

「そんなことはおれにもできる」

 と言うなり、上官の命令も待たずに馬を駆けさせ、同じように周囲の敵を蹴散らして戻ってきた。斃した敵の数は上官よりひとり多かった。

(おれが強い)

 以後、ふたりがいる塞の周辺に突厥が出没することはまれになった。


 竇榮定(とうえいてい)が中央から軍を率いて突厥を伐ちにきた。竇榮定は楊堅と姻戚であり、信任の厚い将軍である。

 史萬歳は彼の営門へ行き、面会を請うた。

「史萬歳?」

 竇榮定は首をかしげたが、やがて思い当たった。尉遅迥の乱のときにその名を聞いたことがあったのである。面会は叶った。


 一目見て竇榮定は萬歳をただ者ではないと認めた。辺境での生活が、砂で金属を研磨するかのように、もともと鋭かった彼の面相を、さらに研ぎ澄まされた刃の如く変えていたのである。

「それで、いかなる用だ」

「此度の戦……この史萬歳を使ってくださいますよう」

 萬歳は叩頭した。


 竇榮定は思案する。そもそも今回の派兵は皇帝の御意によるもので、竇榮定としてはあまり利がないと腹の中では思っていた。萬歳の望むような激烈な戦いを行なう気はなかったのだ。

 だが、この抜き身のような男を前に、竇榮定にはひとつの考えが生まれていた。それは無駄に兵を減らさず、皇帝の威を減ずることなく戦を終える案であった。


『そもそも、士卒に何の罪過があってこれをお互いに殺し合わせるのか。ここはただ、おのおの一名の壮士を選び勝負を決すべし』

 竇榮定は人をやって突厥の可汗(かがん)にそう伝えた。一対一で、この戦いの帰趨を決しようというのである。可汗はそれに応じ、ここに中国史上まれに見る一騎打ちの舞台が整った……。




 ふたりの戦士は刃を打ち合わせ、火花が馬のたてがみの上に散った。両軍から轟くような声援が両者に送られる。

 行き違ったふたりは馬首を反し、二合目の疾走にうつる。

 突厥の戦士は強かった。萬歳が出会ったことのない強敵であった。だが相手も萬歳の力量に驚いたような顔を見せた。それがなんとはなしに満足だった。


 萬歳は耳を聾せんばかりの両軍の声を、しかし聞いていなかった。天地の間に自分と相手だけがいて、無限に戦い続けているような気がしていた。体が熱い。心が熱い。このときばかりは、おれが強いという必要すらないようであった。


 終わりは唐突に来た。萬歳の一撃が相手の首を斬り飛ばしていた。

 隋軍からは熱烈な歓呼の声、突厥からは落胆の溜め息が生まれた。ようやく萬歳の耳に現実世界の音が戻ってきた。

 萬歳はその場で馬にまたがったまま放心している。まだ太陽は暑いのに、天地の間にもう二騎はいない。史萬歳だけが生きている。

 なぜか寂寞の思いが彼の胸をかすめた。




 史萬歳はこのときの功と竇榮定の推薦により長安へ戻り、念願の将軍になる。以後各地を転戦して戦果をあげ続け、一代の良将と呼ばれるに至った。

 十数年の後、史萬歳は兵ではなく将としてふたたび突厥と陣を対していた。

 突厥の可汗は隋軍の将が誰なのか配下に聞いた。史萬歳であるという返答を得ると、にわかに怖じる気配を見せた。

「それは、あの敦煌の守備兵だった男ではないか?」

 可汗は戦わずして軍を引いた。史萬歳の武勇は十数年を経て突厥の記憶に強く刻まれていたのである。


 相変わらず政治を知らなかった史萬歳は、政争が得意な権臣楊素(ようそ)に陥れられ、皇帝から疑われてあっさり処刑された。やはり彼の生は馬上にあり、宮中にはなかったのである。


 士庶の別を問わず、彼の死を聞いて惜しまぬ者はいなかったという。

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