嫉妬
今日のエイドラの王子の歓迎の舞踏会は、アイザックの婚約者として出る初めての公式行事だ。
エレナの服装は、皇帝の婚約者の装いで、胸元が大きくあいた流行のドレス。スタイルの良いエレナにとても似合っていて、その曲線美が、男性の怪しからん視線を集めるのは当然のなりゆきだ。とはいえ、アイザックとしては面白くない。
それなのにエレナの秘書時代から面識のあるエイドラの王子ブラッドは、執拗にエレナに絡む。アイザックがずっとエレナの腰を抱いているにもかかわらずだ。
「いや、しかし、クライツル嬢が皇妃になるとは。うちに来てほしいって前から言っていたのに、ちょっと悔しいなあ」
「どういう意味だ?」
「財務官として誘われていたのです。私が昔、財務官だったということをお話したことがありまして」
他愛もない冗談ですよ、という顔でエレナはアイザックに話す。
「ブラッド王子殿下は、兄上を非常に買っておられまして」
エレナの兄ディックは、語学の天才であり、話術も堪能で、外交官として優秀だ。
「いや、クライツル外交官も優秀だが、あなたの豊富な財務知識に感銘を受けたからですよ」
「ありがとうございます」
エレナは少し照れたように礼を述べる。
それがまた、アイザックには気に入らない。
この王子は、エレナが一番喜ぶポイントを押さえて、ほめちぎっている。ただのサービストークならいいが、どう見ても色目を使っているようにしか見えない。
「陛下、そんなに睨まないでいただけますかな」
ブラッドが苦笑する。
「私はもうすでに、クライツル嬢に振られていると申し上げているのですから」
そういいながらも、流し目でエレナを見ており、ただ単にアイザックをからかうだけではなさそうだ。
ブラッドはそっと肩をすくめてから、去っていった。
見送るエレナはアルカイックスマイルだ。未来の皇妃として満点の対応ではあるものの、アイザックは腹立たしい。
「怒っていらっしゃるのですか?」
アイザックの顔を見上げたエレナが首をかしげる。
「いや、べつに」
エレナに当たることではない。ただ、気に入らないのはどうしようもない。
「あいつに誘われたこと、どうして話してくれなかった?」
「もう二年も前のことです。陛下にお話ししたら、きっと、秘書をやめろと言われると思いまして」
エレナはうつむく。
「なぜ?」
「他国の王子に声をかけられたなど、忠誠心を疑われます。また、信じていただいたうえで、エイドラに行けと言われる可能性だってありますし。それに、そもそもブラッド王子も本気ではありませんよ」
つまりエレナは、アイザックに話すことで、アイザックとの関係が変わってしまうことを恐れたのだろう。
それに、ジョークを交えての会話の中の話で、報告の義務を感じなかったのだろう。
とはいえ、知らないところで個人的な話を二人がしていたと思うだけで、アイザックはむくれたい気持ちなる。
エレナは第一線で働いていた女性だから、交友関係が広いのは当然だ。
だが、少なくともアイザックの目の届く範囲にいる男性は、エレナにあんな視線を送るような真似はしない。
そのせいで、どこか安心していたところがあった。
「俺がエレナを手放すわけないだろう?」
アイザックはエレナを引き寄せ、その耳を食む。
「ひゃっ」
思わず声を出したエレナは、首筋まで赤らめた。
「陛下、お戯れはやめてください」
上気した顔でにらんでくるのは、何とも言えず愛らしい。
「エレナ、そんな顔で怒ると、逆効果だ」
アイザックはエレナの額にキスをする。
エレナの白い肌はさらに赤くなった。
コホン。
ワザとらしい咳払いに振り返ると、あきれ顔のラスコールが立っていた。
「陛下。仲睦まじいのは結構ですが、ここは一応、公の場でございますので」
「野暮なことを言うな。ラスコール」
羞恥心から離れようとしているエレナをさらに抱きしめ、アイザックは微笑む。
「それとも、もう、俺はエレナと退出しても構わないか?」
「まったく。舞踏会はまだ始まったばかりです。今までは、ご公務に関してはそれなりに熱心でいらしたのに」
ラスコールが苦笑する。
「エレナと一緒にいられたのは、公務の間だけだったからな」
「私は、お仕事熱心な陛下をご尊敬しております」
ラスコールの意をくんで、上目遣いで訴えるエレナ。
ほぼ無意識だろうが、あざといほどにかわいい。
「仕方ないな。エレナに嫌われないように頑張ろうか」
ほっとした顔を見せたエレナの隙をついて、そのうなじにキスを落とす。
「へ、陛下」
いつになくあわあわしているエレナを見て、アイザックは漸くにその腕を彼女から離した。
「陛下、しつこい男は嫌われますよ」
ラスコールがにやにやとした顔でアイザックを見る。
「とりあえず、陛下に挨拶をしたいという客人が、遠慮して近づけない状態は困ります」
「そのまま、遠慮してくれてもいいんだけどな」
アイザックはうそぶくと。
「はいはい。寝言は寝て言ってください」
ラスコールは聞かないふりをする。
舞踏会はまだ始まったばかりだ。
それでも。秘書としてではなく、婚約者としてエレナを傍らに置く公務は、前よりも楽しい。
「ねぇ、エレナ。エイドラの王子以外に、スカウトされたって話はもうないよね?」
アイザックが、念のため、というように確認すると、エレナはちょっと困ったように首をかしげた。
皇帝の秘書であるエレナは、各国の要人と会う機会も多く、他国の人間は、皇帝であるアイザックに忖度はあまりしない。才女のエレナは、アイザックが思う以上に狙われていたのかもしれない。
「ラスコール。エレナと俺の結婚式、明日にできないかな?」
「……無茶を言うのもたいがいにしてください」
早いところ正式に自分のものにしてしまわなければ安心できない──アイザックは思った以上に余裕のない自分自身に呆れる。
「陛下は余裕がなさすぎです。そんなに余裕がないのに、ヘタレていたというのが、笑えます」
「悪かったな。でも、命令はしたくなかったから」
絶対に手に入れたいけれど、強制的に手に入れるのは嫌だったというのは、アイザックのわがままだったとは思うが、あと少し遅かったら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
エレナを婚約者にすることができたのは、ラスコールの尽力があってのことだというのは、アイザックにもわかっている。
「お前には感謝している、ラスコール」
「わかっていますよ」
ラスコールは静かに頷いた。
だが、ラスコールとアイザックの様子を見ていた何人かの令嬢が、『例の噂』を再燃させていたことに、アイザックは想像もつかなかったのだった。