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二塁を廻れ

作者: 山羊アンテナ木村

晩夏の夜の雨。秋雨にはまだ早い時期だが、この間まで街を包んでいた熱気が嘘のように肌寒い。足を運んだチェーン店の居酒屋。平日という事もあり、客は少ない。

席を案内しようとする店員を制して彼を探す。すぐに分かった。


「元気?」

「まあ、そう言われたら、まあな、ぐらいで返すしかないよな」

テーブルを見るとまだお通ししかない。

「何年振りだっけ」

「卒業した後に一度野球部のOB会で集まったから4年振りぐらいか」

「俺それ行ってないから卒業以来だな」


店の中は冷房が効きすぎて少し寒い。

「俺も今来たばかりだから。何飲む?」

そう言う彼の体は高校の時と比べるとひと回り筋肉で大きくなっていた。

「俺はビールだけど、お前みたいなプロ野球選手、今は酒も少し控えるんだろ?」

「まあ、そうなんだけど。デメリットしかないしな。でも久々に会ったし、この雨と天気予報なら明日も確実に試合はないから。俺もビールで」


僕と彼は高校時代、野球部のチームメイトだった。彼はプロに進んだ。

僕がピッチャーで彼はショート。

僕は球速はないがコントロールがあった。ストレートとスライダーを使い分けた。使い分けたと言っても僕がやった訳ではない。

キャッチャーにバッターを観察する天才的な能力があった。キャプテンでもあるキャッチャーに従っていただけだ。彼は様々な観察からバッターが待つ球種とコースを当てる。キャプテンのサイン通りに投げれば上手くいった。それに気が付いたのは僕が野球で大学に進学した時だ。

いとも簡単に打たれた。


キャプテンの話になる。

「アイツ今何やっているんだ?」

「この間連絡が来て、マンション要らないかって」

「なんだそれ」

「クラスの奴に聞いたらさ、キャプテン、不動産のフルコミッション営業だって」

「よくわかんないな」

「不動産屋の社員ではなくて、フリーランスって言えばいいのかな」

「稼げるのか」

「アイツの事だから凄いらしいよ。不動産売ったついでに外車売るってよ。アイツらしく相手の気持ち見抜いて年収1000万以上だって」

「まじかよ」


僕は地元を離れ、この地方の県庁所在地にある映像制作会社にいる。

少し前に彼から連絡が来た。彼のチームがこの地で3連戦。タイミングよく1軍に上がったから会おうと。金曜の今日、早々と試合が中止になったので会うことにした。


ビールがジョッキで来る。軽く乾杯をする。


ショートだった彼は全てにおいて万能な選手だった。ミートが上手く、ホームランこそないが三振が少ない。2年の春からの出塁率は7割を超えた。得点は常に彼が絡んでいた。そして彼の守備は一見地味に見える。よくダイビングキャッチなどをして球場を沸かせる選手がいるが、彼の場合ボールが来る場所に既にいるのでダイビングなどする必要などない。

一度聞いてみたことがある。なぜ打球が来る場所にあらかじめいる事が出来るのか。

「バッテリーの間合い、バッターの雰囲気、ボールカウント。そこから投げるコースが何となくわかる。そうするとボールが飛んでくる場所もわかる」

県立の僕らは2年になる頃から、私立の強豪校がひしめいているにも関わらず常に県大会の上位に進んだ。


唐揚げやほっけなど適当に頼んだものが来る。

「やっぱり、蛋白質とか糖質とか、気を付けるのか」

「チームによるんだよこれが。最初に入ったチームはマシだったけど、今のチームは微妙だ。コンディショニングがチームによって全然違う。入団する前の高校生とか大学生に言ってやりたいな。ドラフト前とかに暴露したら面白いかも。このチームはA、このチームはDマイナスとか」

「強いチームはちゃんとしているんだ」

「それが、そうでもないんだよね。強いチームは選手を金で引っ張る。育てる事が上手なチームかな。そんなチームは時折優勝するか、だいたいAクラスにいる。データを活用するのも上手い。そんな球団の選手寿命は長い」

「お前、今何チーム目?」

「4チーム目」

彼が今までいた全てのチームはその条件から外れていた。


最後の夏の大会、僕らは前評判どおり県大会を勝ち進んだ。ただ、2年生のピッチャーが大会前に怪我をした。甲子園に行くのであれば県大会を約半月で7試合こなす。その日程を僕一人で投げ切るしかない。その事情を冷静に受け止めていたのはキャッチャーのキャプテンとショートの彼だ。例え甲子園に出ることが出来たとしても厳しい状況だと。しかし周りはそれを許さなかった。甲子園出場経験のない、歴史だけはある県立高校。お祭り騒ぎ。


甲子園常連校との決勝戦は初回に僕が打ち込まれ7点を失う。その時点で勝負は決まった。嫌な言葉だが戦犯というものがあるのであれば、僕だ。

しかし周囲にそこまでのイメージは僕につかなかった。

周りの印象に残ったものが他にもあった。キャッチャーの度重なるパスボール、そしてショートの信じられない派手なエラー。高校3年間で見たこともなかった二人のミス。

新聞では連戦の疲れがミスを呼ぶと書かれ、ネットでは「こいつら疲れすぎ」と言われた。そして選手層の薄い学校が勝ち進むことへの弊害まで議論が及んだ。


その後ショートの彼はドラフト4位で指名された。甲子園に出ていない県立高校でドラフト指名されるとは快挙だ。その前に複数球団のスカウトが学校に来た。その内の一人から僕は言われた。

「決勝のキャッチャーとショートのエラー、あれ、わざとだぞ。お前の事、かばったんだぞ」

知ってる。そんな事言われなくても知っている。


だし巻き卵を食べながら彼は言う。

「お前さ、最近地元に帰ったか」

「いや、3年以上帰ってないな」

「俺たち、卒業して7年目、いや8年目か。この間のオフにじいさんの法事があってさ。電車で帰ったんだ。新幹線の駅、ホーム降りて改札出るだろ。その上の天井の目立たないところにあるんだよ」

「何が」

「横断幕」

「何の」

「俺の横断幕。『~県立高校~君、プロではばたけ、私たちの想いをのせて!』って俺の名前があるの」

そんなものがあるのは知らなかった。

「俺もプロ8年目で気が付いたのも何だけどさ。恥ずかしくて走ったよ。在来線の改札まで。そこから俺の家の一番近い駅で降りるだろ。またあるんだよ、目立たないところに小さいけど似たようなのが。夢をありがとう、とか」

「なんだそれ」

「その横断幕みて、最初は4球団渡り歩いて結果出せない自分が恥ずかしくて。でもさ、俺そいつらの夢なんか知らないし頼まれた覚えもないし頼まれるのも嫌だし。腹立ってきてな」

彼は続ける。

「法事の時に親戚のおっさんが『お前、次の行先は巨人の4番か?』とか言うんだけどそっちの方が遥かにマシだよ。『違いますよ、オークランド・アスレチックスですよ』とか言っちゃったし」

「お前、アスレチックス好きだね」

「そりゃ、データ野球の先駆だし、アスレチックスを舞台にブラットピットが主演したし、ブラットピットかっこいいからな」


僕らのビールはあまり減っていない。枝豆を食べるが半分凍っている。一口で諦めて彼は言う。

「俺はさ、俺の為に野球やってるんだよ。誰かに頼まれた訳じゃないよ。自分たちが勝手にはしゃいだ跡ぐらい、自分たちで片づけて欲しいぜ」

そう言って、冷めた唐揚げを食べる。

「今シーズンで、引退しようと思う」

「厳しいか」

「厳しい。多分俺ほど練習しているの、少ないと思うぞ。酒飲むのも実は2年振りだ。でも1軍でやっている奴らは全然違う。例えば俺が自転車で必死に60㎞出すとするだろ、アイツらすげぇバイクで150㎞とかで抜かしていくんだよ。かなわないな」

「それで、どうするんだ」

「だから、お前に会ったんだ。お前まともなサラリーマン生活している感じするじゃないか。そんな奴と話がしたかったんだ。不動産王のキャプテンじゃ参考になんないよ」

「でもなんでこの時期に1軍に上がったんだ?」

「内野一人薄くなったから。でも出番はないまま2軍に帰ると思うけどね」


僕はジョッキを飲み干して聞いてみる。

「お前、野球やってて良かったか?」

すぐに返事が来た。しっかりとした声で。

「ああ、もちろんだよ。俺さ、数字が絡んだ野球が好きなのわかるだろ」

彼は高校の時から、旧来の打率ではなく、出塁率やopsなどの耳に馴染みがない指標を基にして、監督に代わり打順等を組んでいた。

「数字がさ、かっちりはまれば最高だ。でもさ、キャッチボールから始まってグローブの匂いとか、何から何まで好きなんだ。敵味方関係なしにファインプレーとかエラーとかも。スライディングした時にさ、ユニフォームが砂まみれになって、それをバシバシ叩いたり。あんまりこんな事言ったことないんだけど。俺さ、野球場そのものが好きだしな。ダグアウトからフィールドに出た時に視界がぐぁって広がるだろ。それもいいし。正直、野球場であればどんな野球場でもいいんだよ。河川敷とかでも。でも最高なのはやっぱり天然芝だよな。俺、恵まれているのがさ、今まで渡り歩いた4球団中2球団が天然芝だよ。今回ここの球場も天然芝。あとさ、試合ってゲームだろ。ゲームだからいいんだよね。使命感じゃないだろ、むちゃくちゃ練習して、ゲームだよな」

彼は嬉しそうに笑う。

僕は明後日のデイゲームに観に行くことを伝えた。出る機会はほぼ無いけどな、と彼は笑って言った。



午後2時に始まるデイゲーム。この球場に来るのは高校野球の仕事などで3回目だが、一番客が少ない。晩夏のリーグ終盤に5位と6位の試合を見に来る客はそう多くはないのだろう。

秋の気配が球場を包む。昨夜まで降っていた雨は上がり、薄曇りだ。予報では夕方からまた雨らしい。

久しぶりのプロ野球。彼女を誘おうかと考えたが一人で来た。何だかそれが良い気がした。天然芝のフィールドは前日の雨の影響はさほど無いようだ。一塁側の内野席に座り、ビール飲む。一塁側だと三塁側にいる彼の様子がわかるからだ。


別会社の映像プロダクションの知り合いと会う。

「今日、仕事じゃないですよね。どうしたんですか」

「何となくね」

「こんな天気の悪そうな日に、それも5位と6位ですよ」

「いいじゃないか。それより今日はこの試合の映像?」

「そうです、僕、野球好きなんで楽しいですけどね」

手を振って持ち場へ戻って行った。


先発メンバーに彼の名前はない。それでも良かった。この球場に一緒に野球をやった仲間が選手としているだけで良かった。


彼のチームがビジターなので先攻だ。試合は5位と6位のチームらしく、締まらない。両チームのピッチャーが四球、そして味方のエラーで塁を満たすも攻撃側が攻めきれずに無得点。それがお互い続く。

いつの間にか空はかなり暗い。


5回の表。雨が降り始めた。観客少し帰り始める。

彼のチームの攻撃。ツーアウトランナーなし。前の回に守備で負傷退場した選手に打順が回る。

代打が告げられた。彼の名前がアナウンスされる。

ピンチでもチャンスでもない場面、それもツーアウト、おまけにビジターチーム、1軍に上がったばかりの無名選手。

観客からは何のアクションもない。

僕は立ち上がって拍手をした。少し離れた客が僕を見る。僕は更に大きな拍手をする。


ダグアウトから出て素振りを繰り返す彼のフォーム。高校の時とは少し違うがその美しさは変わらない。無駄な力が入っていない滑らかなスイング。

3回、4回。左のバッターボックスに入る。一塁側の僕からは彼の背中が見える。ユニフォームの背番号が歪んでいない。彼は昔から背筋がしっかりと立っていた。

相手の右投げベテランピッチャー。昔は速球で鳴らしていたが年齢を重ねてそのスピードは落ちた。しかしスピードへのこだわりは捨てきれていない。


ストレート2球で簡単にストライクを二つ取る。2球で簡単に相手を追い込んだとピッチャーは思っている。

バッターボックスの彼はここから勝負だと考えているはずだ。

3球目、外角低め、チェンジアップ、ファール。

4球目、外角高め、ストレート、ボール。

5球目、内角低め、スライダー、ボール。

6球目、外角低め、ストレート、ファール。

7球目、内角低め、チェンジアップ、ボール。

スリーボール、ツーストライク。フルカウントだ。

彼はいつもこの様な形で相手ピッチャーを追い込み、出塁率を上げる。プロの世界だと1打席あたり4球以上投げさせるとピッチャーとしてはしんどい。彼は既に7球投げさせている。


8球目。内角低めのストレート。彼の体が滑らかに動き、バットがボールを芯で捕らえた。

快音が球場を貫き、ボールは美しいラインドライブで一塁線を襲う。ファーストの選手は一歩も動けない。ボールはライトポール際前に落ちフェンスに当たり転がって行く。2塁打コースだ。彼はバッターボックス2歩目から素晴らしい加速をする。体の軸が全くぶれない。トップスピードで一塁を通過する。その時彼はライトの選手の動きを見た。ライトの選手が僅かにもたついている。トップスピードだと思っていた彼の走りが更に加速した。

三塁を狙うのか。二塁打であればここで加速する必要はない。


まずい。ライトの選手は球界でも1,2の強肩スーパープレイヤーだ。ここでアウトになるのは彼にとってまずい。プロ野球ニュース、シーズン終了後の特集、そしてyoutubeなどのネット動画でこのライトのファインプレーが必ず取り上げられる。このまま彼がアウトになるとその姿が様々なところで延々と流れてしまう。

彼は更に加速し二塁を回る。ライトの選手がボールに追いつく。

糸を引くような、ライトと三塁を切り裂くような素晴らしい送球。彼は三塁にヘッドスライディングで飛び込む。ほぼ同時にサードの選手が捕球しタッチする。

彼はサードベースを抱え込んだまま、サードの選手はグラブを高々と上げたまま、審判をみる。


審判は両手を広げた。セーフ。三塁打。

僕は両手拳を握りしめ声にならない叫びを上げた。

彼は抱え込んでいたサードベースから立ち上がり、泥まみれのユニフォームを払い、ヘルメットを被りなおした。


雨が強くなってきた。試合は一時中断する。彼はダグアウトに引き込み、僕は屋根のある所に移動した。


30分後、主審がグラウンドに出てきた。試合打ち切り。ノーゲーム。

彼の三塁打は記録に残らなかった。



後日、球場であった映像関係の知り合いに試合のマスターデータをコピーさせてもらった。

編集し、2つのデータを作る。

一つは野球中継でよく見るパターン。ピッチャー/バッター。打球を追う。走者を追う。ライトの守備と送球、サードでの交錯。


もう一つはそれに音声をいれた。地元放送局に野球中継で著名なアナウンサーと解説者が来るスケジュールをつかんだ。仕事をかねて会いに行く。事情を話したら快諾してくれた。放送局のスタジオを借りる交渉は解説者自らがしてくれた。彼の事を良く知っているらしい。


スタジオで映像を見ながら、二人とも目の前でそのプレイが繰り広げられているかのように演じてくれた。特に持ち上げてくれとか、話してほしい事を指定するなどはしなかったが彼のプレイを素敵な言葉で表してくれた。


「彼のスイングはいつ見ても本当に滑らかですね」

「そしてこの選球眼が出塁率を上げるんですよね」

「彼を先発にするのであれば、どの打順で使いますか」

「そうですね、何番と特定はしませんが、そのチーム一番のパワーヒッターの前ですね、ピッチャーは彼に集中力を奪われてしまいます。そして出塁を許しパワーヒッターを迎えることになります」

「今まで出場機会が少ない事をどうお考えですか」

「それはチームの事情、一言につきますね。ただ、もう少し出てもいいかなと思いますけどね」


打った場面では迫真の演技力の実況をしてくれた。


最後にアナウンサーが言った。

「この一打は今日のゲームを左右する大きな一打です」



彼に動画データを送った。

その後シーズン終了まで彼は何試合か出場し、いずれも良い結果を残した。

後日メッセが来た。多分トレードはされるが、現役はしばらく続ける、と。


トレードされた先は僕が住んでいるところの球団だった。次期、首脳陣が入れ替わる。その監督は現役時代からデータを駆使したスタイル。


「良かったな、また天然芝じゃないか」

「そうだな、恵まれてる。またゲームが出来るし。たまには見に来いよ、チケットやるから」

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