黒の色彩 感情隠喩表現
※死についての記載が含まれております。
暗い話が苦手な方は、ご注意ください。
私は自作品で、色彩を隠喩として使用することが多いです。
現在はダークファンタジーを連載中ですので、『黒』を使用することが増えました。
なので黒について、思うことをつづってみようと思います。
黒い感情といえば、何を思い浮かべるでしょうか。
例えば憎しみ。
人を殺したいほど憎んだ経験はありますか。
私は十代のときに一人だけいました。
その方は血縁者でした。
憎しみの黒には、たくさんの色が混ざっています。
束の間に得た喜び。
それを失った悲しみ。
奪った相手への怒り。
抗えなかった自分への怒り。
無力な自分への悲しみ。
救ってくれない周囲への怒り。
救ってもらう価値のない自分への悲しみ。
毎日毎日、様々な色が折り重なって、そのぐちゃぐちゃに混ざった色彩は、いつしか黒としか呼べないものへと変わり果てていく。
それが私の感じる憎しみの黒です。
余談ですがその方は、ある日びっくりするくらい唐突に亡くなりました。
不思議なもので、亡くなってから冷静に考えてみると、その人は別に私のことを疎んでいたわけではなかったんだなと、気づきました。
その人が教えてくれたことは、今でも自分の中で根付いています。
学んだことも、とても多かった。
幼い頃は気づかなかったけれど、感謝することもたくさんあった。
その人が亡くなってからというもの、私は誰かを強く憎むということがなくなりました。
殺したいほど憎いと思っていた相手が、実はそこまで憎くなかったかもしれないと思うようになったからです。
不思議なもので、ときどきふと、こんなふうに思うことがあります。
もしかしたら、その人が空に昇って行くときに、私の中の憎しみも一緒に連れて行ってくれたのかも……。
だとしたら、本当に感謝しきれません。
まあ、それも結局、私のただの妄想的解釈ですけど……。
叶わないことだけれど、もっとその人と、たわいもない話がしたかったなと、今では思います。
あんなに憎んでいたはずなのに。
不思議なものです。
子供の頃は、一度思い込んでしまうと客観視ができず、盲目的に自分の解釈にしがみついていたような気がします。
いまなら自分は疎まれていたわけではなかった。憎まれていたわけではなかった。
そう思うことができます。
ただあの頃はそうとしか思えなかった。
結局、自分の色彩を黒く塗り潰し続けたのは、誰でもない自分自身だったんだと、今では思えます。
それが、私の感じた憎しみの黒です。
もう一つ、黒で表現するものとして絶望があります。
闇の中へ堕ちるような絶望を感じたことはありますか。
私が希望を絶たれた瞬間の黒を感じたのは、エリザベス・キューブラー・ロスのワークショップを体験したときでした。
エリザベス・キューブラー・ロスはご存知でしょうか。
『死ぬ瞬間』『死の受容のプロセス』などで有名な女性です。
彼女が提唱した受容のプロセスの5段階は、死を前にした人のみにとどまらず、受け入れがたい現実に直面した人たちが辿るであろうプロセスを的確に示しています。
まだ薬剤師になりたての頃、とあるご縁でカウンセリングの学会に所属することになりました。
ワークショップに参加することができたのも、その学会のおかげでした。貴重な経験をさせていただきました。
もう10年以上前の話なので、詳細は覚えていないのですが、ワークショップの内容を少しだけご紹介します。
事前準備として自分の大切なものを規定数、紙に書き出しておきます。
そして、『あなた=私』が、がんを告知されるシナリオが始まります。
治療も虚しく進行していくがん。
『あなた=私』の命の灯は、少しずつ、着実に小さくなっていきます。
シナリオの進行とともに、最初に用意した大切なものを書いた紙を、1枚、場合によっては2枚、捨てなければいけないのです。
あとに残るのは、捨てられずに残していた、本当に大切なものばかりです。
最後に紙は、なにも手元に残りません。
すべてを手放して、ワークショップは終了します。
あのとき感じた感情は、何と呼べばいいのか分かりませんでした。
誰もいない。
空っぽ。
なにもない。
真っ暗な世界に、自分だけがひとりぼっちになってしまう感覚。
それが、私の感じた絶望の黒です。
涙が止まらなかったですね。
20代で参加したのは私一人だけで、他の参加者はもう大ベテランも大ベテランな医療従事者の方々ばかりでした。
めちゃくちゃ優しく慰めてもらいましたよ。
大先輩のお姉様に。
恥ずかしいことこの上ないのに、もう自分の力では涙が止められなくて、ポケットティッシュをたくさん分けてもらいました。
何人くらいに分けてもらったんだろう。もう覚えてません。
私の前にはポケットティッシュが山盛りになっていました。そしてあたたかい声もたくさんかけていただきました。
ちなみに号泣してるのは私ひとりだけでした。たぶん。
あの当時は、なんでこの人たちはこんなに平気でいられるんだろうって不思議でしょうがなかったですが、きっとすでにたくさんの別れを経験したからだったんでしょうね。
みなさん、とても穏やかな表情をしていたのが印象的でした。
いまの自分がもう一度参加したら、もしかしたら違う景色が見れるのかもしれません。
残念ながらもう学会には所属していないので、こういう特殊なワークショップに参加する機会はなくなりました。
でも――。
いつかはそのときを迎える日が来るんですよね。
いまの自分は、紙に何を書くんだろう。
何にギリギリまでしがみつこうとするのだろう。
何を手放したくないとあがくのだろう。
大切な人に別れを告げるとき、自分はどんな表情を浮かべているのだろう。
自分が最後に見る色は、何色なのだろう。
願わくば、ワークショップで感じたような、空虚で冷たい黒だけは感じないで済みますように。
あたたかい色に包まれて、そのときが迎えられますように。
そう思うのです。
……なーんて、気が緩んでくると、ついつい暗くて重い話をしたくなってしまうのです。
重くてどうもすみません。
思い出話におつきあいいただき、ありがとうございました。
どうかあなたの人生が、あたたかい色で包まれたものでありますように。