願いをこめる色
訳がわからないまま首を傾げると、なんとも言えない沈黙が流れる。
動かなくなった指が気に入らないルーナが身じろいで音もなく、すとんと着地したみたいだった。
見えないルーナに戸惑っているとプルンバーゴの枝がもぞもぞ動き出して、ひょこり顔を現した。
あんなところに抜け道があったなんて知らなくて、まじまじと見ていたらルーナが、たたっと駆け寄ってきたので切り株を降りてラベンダーの籠を置いて腕を広げる。それなのにルーナは手前にある日向に止まって毛繕いをはじめてしまった。猫は気まぐれというけれど気まぐれすぎて目眩がする。
「――フィリップ副団長! 早く戻ってください!」
遠くからフィリップ様を呼ぶ声が聞こえてくる。
気になって切り株に戻ると孔雀のようなピーコックブルーの髪色の騎士様が急いでこちらに向かっていた。
視線を戻すと僅かにフィリップ様の眉が寄っていたが、すぐに何かに気が付いたように表情を和らげてこちらを見つめ返してくる。
「ジャスミン、俺に恋人はいない。幼馴染と呼べるのはジャックという男だけで、そいつには妻も子供もいる」
「えっ、あ、あの……あれ? それじゃあ、昨日聞いたのは……?」
混乱したまま疑問を口にすれば、フィリップ様は目を細めてにこりと微笑んだ。
「フィリップ副団長! どれだけ探し――」
「こいつは、幼馴染の恋人がいてクリスマスにプロポーズをする予定のフィーリプ副隊長だ。騎士の剣に誓って嘘はついていない」
騎士様にとって一番の誓いをされてしまい動揺して視線が二人の顔を交互に何度も泳いでしまう。
フィーリプ副隊長が苦笑いを浮かべてうなずいた。
「副隊長のフィーリプです。名前が似ているので、よく間違えられます――事情はよく分かりませんが、フィリップ副団長にずっと恋人がいないのは保証します」
明るいピーコックブルーの目で興味深々に見つめられ気まずくてうつむいてしまう。
「フィーリプ、名前を改名しろ。それから彼女をジロジロ見るな、減るだろう。すぐに戻るからもう帰れ」
「ええ? 本当に早く戻ってきてくださいね」
「わかったわかった」
ため息をつくフィーリプ副隊長をひらひらと手のひらで追い返すと、フィリップ様にまっすぐな眼差しを向けられる。
「ジャスミン、誤解は解けただろうか?」
「あ、あの、本当にすみませんでした……」
「いや、誤解が解けたならよかった。名残惜しいが、そろそろ行かないとだな――」
眉尻を下げて困ったようにあごを触るフィリップ様の姿に、切なそうな声に、先ほどの言葉を思い出して心臓がどきどきと早鐘を打ちながら身体が熱くなっていく。
フィリップ様の視線に、勘違いした恥ずかしさと誘われた嬉しさで茹だるくらいに熱を帯びた顔を両手で覆った。
「にゃあ!」
毛繕いを終えたルーナが籠の中にあるラベンダーを一本咥えて私を見上げる。ルーナが選んだなら私の摘んだ中で一番いいものに決まっている。
「っ! フィリップ様、少しだけ時間をください」
ルーナからラベンダーを受け取り、細い茎の先に紫色の小さな花を今にも咲かせそうな花穂に語るようにおまじないをささやく。
女王のハーブと呼ばれるラベンダーは様々な効果があるが、魔の物を寄せず、遠ざける。魔の物の討伐に私ができることは、なにひとつないけれどフィリップ様の無事を願わせてほしかった。
「魔女は願う 植物の精霊はよりそい 禍は遠ざけ 無事を祈る 魔女はここに願う」
魔力をゆっくり吸い込ませていくと花穂がきらきら煌めきラベンダーが澄んだように香り立った。紫をずっと濃くしたサファイアブルーの光の粒子がすう、とひとすじ青空にとけていくと香りがぴたりと消え去る。
精霊の力を借りて魔の物にだけ届くようにしたラベンダーを青の小花を刺繍をしたハンカチにそっと包んで、フィリップ様に差し出した。
「フィリップ様、禍を遠ざけるよう精霊にお願いしてあります。どうか気をつけて……」
「ジャスミン、ありがとう」
フィリップ様と視線が絡み、口をひらこうと思うのにうまく言葉が出てこなかった。目の前にいるフィリップ様を見ているだけで心臓が跳ねて、視界がにじんでしまう。
それでも、どうしても伝えたくて……。
「あ、あの、えっと、わ、私――薬師の魔女になったらフィリップ様と一緒に食事をしたいです……まだ、大丈夫でしょうか……?」
「もちろんだ! すぐに討伐を終わらせて、クリスマスまでに戻ってくるから待っていてほしい」
ふわりと微笑んだフィリップ様のあたたかな親指が私の目尻にたまった涙を優しくぬぐった――。
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