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婚約破棄シリーズ

婚約破棄と虹の花

作者: 佐崎 一路

う~~ん、ジャンルとして恋愛でいいのかなぁ……まあ、とりあえず。

「殿下! この場所に足を運ばれるなど、何を考えていらっしゃるのですか! 再三に渡り立ち入り禁止ですと……!」

 はしたなくもドレスの裾を膝までたくし上げ、王宮付きの女官やメイドたちを、薬草採りのため野山で鍛えた健脚でもって振り切って、ジャルベール伯爵家の令嬢であるクラリスが血相を変え、虹色の海のように光り輝く国の宝――王宮中庭に秘匿され、王家のみが管理をする“虹の花(イリス)”――が咲き誇る大温室へ、口元を特別製のハンカチで押さえながら足を踏み入れ……息を整えながら飛び込んだ。


 その途端――。

「黙れ、クラリス・ジャルベール! 私のやることに事あるごとに口出しし、小言を口挟むお前のような女はこりごりだ! そもそも王太子である私と、伯爵令嬢ごときとの婚約など初めから不釣り合いであり、私の意に添わぬものであったのだ。大方、元老などに袖の下を渡しての仕儀であろうが、もはや我慢ならぬ! お前との婚約を破棄して、私にふさわしい公爵令嬢エリシアと生涯添い遂げることを、私はこの花――国花である〝虹の花(イリス)”に誓って、ここに宣言しよう!!」


「……はぁ?!」


『花の国』と呼ばれるアルカヌム王国でも、王族のみが専売する――万一隠れて栽培した場合、たとえ貴族であっても有無を言わせず死罪になる――光の加減で虹色に輝く〝虹の花(イリス)”。

 鉱物資源などに乏しい代わりに気候が穏やかなアルカヌム王国を代表する特産品にして、広く他国へも知れ渡っている〝虹の花(イリス)”。

 それを王家伝来の特殊な加工を施して、プリザーブドフラワーとしたものは、それ一輪でサファイアにも匹敵すると言われる、まさに自然の宝石であった。


 その生花が咲き乱れる、世界のどこを探しても存在しないであろう幻想的な花園で、いささか軽薄そうな雰囲気――とはいえまず美男子で通る、この国の王太子であるロマーノ王子が、黒髪を動きやすいように編み、装飾の少ない地味なドレスを着た婚約者(元婚約者と言うべきか)クラリス・ジャルベール伯爵令嬢に向かって、一気呵成にそう言い放った。


 その傍らには胸元が開いていまにも豊満な胸がこぼれ落ちそうな、煽情的なドレスをまとったメリハリの効いた(ぼっきゅんぼん)体型をした、金髪の美女がうっとりとした表情で侍っている。

 言うまでもなく彼女が公爵令嬢エリシアで、さらに背後にはロマーノ王太子の腹心(取り巻き)である五人の若き高位貴族の令息たちが佇んで、突然のことに絶句しているクラリス伯爵令嬢に睨みを利かせていた。


 日頃ろくに口も利かない婚約者に突然、大温室へ呼び出され――指定された場所を知って、慌てて登宮して足を運んだ――その先で、突然の婚約破棄宣言と半ば吊し上げにあうという、出合頭の理不尽を前にして、唖然呆然……こぼれ落ちんばかりに目を見開いて言葉にならないクラリス。

 才媛として名の知れた元婚約者の、初めて見る呆気にとられた表情に大いに留飲を下げながら、ロマーノ王太子が口角を上げて、ねちねちとなぶるように問いかける。


「なんだ、言いたいことがあるなら特段の慈悲によって聞いてやろう。言うがよい!」


 そこで我に返ったらしいクラリスが、ハンカチ越しに軽く息を整えてから、改めてロマーノ王太子の顔をまじまじと眺めて一言――。

「……正気ですか?」

「無論、本気だとも!」

「(正気かって聞いたんだけどなぁ)国王陛下はご承知の上での決断でしょうか?」

「父上には後ほどご理解いただこう。なぁに、多少薬学を通じて財を成していようとも、吹けば飛ぶような伯爵家と広大な自治領を持つ公爵家との縁組なら、誰がどう考えても後者を選ぶに決まっている。ましてや私とエリシアとの間には真実の愛がある! ――それを、何代か前にたまたま貴様らの頓服(とんぷく)だか転覆(てんぷく)だか知らんが、秘伝の薬で助けたからといって恩に着せ、挙句に娘を娶わせようなどと不敬極まりない!」


 悲劇の主人公のように、芝居がかった仕草とともに朗々と言い放つロマーノ王太子の糾弾に、エリシア嬢と五人の貴公子たちがうんうんと頷いて同意する。

 その糾弾の言葉にあずき色の目を何度か瞬かせたクラリス嬢が、ゆるゆると首を横に振りつつ反駁しようとした。


「何か誤解があるようですが、そもそも私が殿下の婚約者に選ばれた経緯は、殿下が七歳の折に――いえ、それよりも大温室(この場)は国王陛下の許可がなければ、王族といえども足を踏み入れてはいけない禁足の地のはずです。私は特別な許可を得ているので問題ございませんが、他の皆さま方がこの場にいることは違法であり、まして殿下は――」

「黙れ! 貴様の小言などいまさら聞く耳もたん!! ここに貴様との婚約を白紙撤回する書面も用意した。法律にのっとって貴族籍の五人の立会人の署名も入っている。当事者である私の署名も記入済みだ。あとは貴様の署名があれば、晴れて私と貴様とは赤の他人というわけだ」


 だが即座に切って捨てたロマーノ王太子の宣言とともに、取り巻きのひとりで司法長官の息子であるエドモンド子爵(父は侯爵)が、王家と伯爵家分二枚の書類とペンをクラリスへと、押し付けるように差し出しながら嘲笑を放つのだった。

「我が国は法治国家ですからね。法に則ってこうして公正に手続きを行えば、門閥貴族や国王陛下といえど、否と言えるものではございません。おわかりですか、クラリス嬢?」


「……ですが私がいなければ殿下のお薬が……」

 それでも渋る様子のクラリスに、ロマーノ王太子が断固とした口調で言い放つ。

「ふん、貴様の処方する薬など城付きの典医であれば助手でも作れるわ。下らぬ理由をつけてすがるつもりだろうが、私に貴様に対する愛も情も最初からない。四の五の言わずに、いい加減に観念してサインをすることだ。わかっているのか? 王太子である私とこの場にいる腹心たち。そして公爵家の姫であるエリシアがその気になれば、吹けば飛ぶような伯爵家などゴミ同然。言わば貴様らの生殺与奪権は、私が握っているのだと!」


 勝ち誇ったその宣言に、クラリスはロマーノ王太子を初めて目にする異国の……まったく価値観の違う人種を見るような眼差しで、まじまじと見つめた。


「そもそもだ。公爵令嬢であるエリシアに比べて身分、器量、能力すべてにおいて劣るお前に拒否権はない。だいたいなんだこの地味で下手な刺繍は! それに対して見ろっ、この素晴らしい作品を!」

 そう言って汚らわし気に、三年前にクラリスが一針一針丹精を込めて刺繍を入れたハンカチーフを取り出し、床に叩きつけ靴底で踏みにじるロマーノ王太子。

 貴族社会においては、女性から男性に贈られる刺繍付きの小物は幸運のシンボルとされている。

 婚約者に対する礼儀として、かつて贈られたその素朴な野の花をあしらったハンカチーフを文字通り足蹴にしたロマーノ王太子は、次いで大輪の虹の花(イリス)が所狭しと描かれている、絢爛豪華なハンカチーフをこれ見よがしに広げて見せた。


(……ドロンワークが、刺繍ブランドの『メゾン・デュプレ』が得意とする技法ね)

 一目で自作ではなく、ブランドに特注させたものだと看破したクラリスであったが、そのことを指摘するだけ無駄だと悟って、踏みにじられ蹴り飛ばされてボロ雑巾のようになった自作の刺繍入りハンカチーフを、やるせない思いで見詰めてため息をつくのだった(地面に落ちたものを拾うのは下人の仕事であるので、仮にも伯爵家の令嬢であるクラリスが屈んで手を伸ばすようなことはできない。それをわかった上での仕打ちであろう)。


 そんなクラリスの諦観の思いをどう受け取ったものか。エリシア嬢が嘲笑を浮かべてロマーノ王太子にしなだれかかりながら、さも同情をした風な口調で言い添える。


「ロマーノ様、あまり追い詰めては可哀想ですわ。いかに身の程知らずの高望みであろうと、王太子殿下……ましてやロマーノ様のような魅力的な殿方との婚約者の地位を手放すなど、光り輝く珠玉を手放すも同然。であるなら最後のお情けとして、行き遅れにならないように手配して差し上げるのも尊き者の度量かと存じます。――そういえば、バルドヴィーノ辺境伯が後妻を探していたようですので、そちらを手配されてはいかがでしょうか?」

「おおっ! さすがはエリシア。なんという心配りだ! まさに私の連れ合い、将来の国母にふさわしい采配だな。――感謝しろよ、クラリス」


 ちなみにバルドヴィーノ辺境伯は現在五十一歳。十七歳のクラリスとは、ちょうど三回り近く年齢が上回る計算になる。

 感じ入った様子のロマーノ王太子と含み笑いをするエリシア嬢の猿芝居を目前で眺めていたクラリスはため息すらつくことなく、何もかも達観したかのような淡々とした感情を感じさせない口調で応じた。


「……わかりました。婚約破棄、お受けいたします。ですがこうなった以上、アルカヌム王国国内に私の居場所はないも同然。ならば新天地を求めて他国へ退去することをお許しください」


 その言葉にしてやったりの嗤いを浮かべるロマーノ王太子とエリシア嬢。

「ほほう、殊勝なことだ。そういうことであれば、エルウィン!」

「は、ではクラリス嬢並びにジャルベール伯爵家の関係者は、国境を越えられるように手形を手配いたします」

 ロマーノ王太子に水を向けられた外務大臣の嫡男であるエルウィンが、慣れた仕草で従者を呼んで指示を出した。


「これで心置きなく国を出られるだろう。せいぜい他国で薬屋でも始めることだな」

「そうですわね。手に職がある貴女なら何とでもなるでしょう。自ら労働するなど、貴族とは思えませんけれど」

「しょせんは成り上がりの名ばかり貴族だからな」

「「「「「くくくくくくっ」」」」」


「――承知いたしました。ロマーノ殿下、エリシア様、並びに皆様方のご健勝を、遠い空の下よりお祈りいたします」

 侮蔑を隠そうともしないロマーノ王太子とエリシア嬢。そして嘲笑う五人の取り巻きたちに、慇懃に頭を下げたクラリスが暇乞いをして踵を返し、大温室から退出するのだった。


「ふん、当てつけの捨て台詞か。最後まで可愛げのない女だったな。――ごほんッ!」

 憎々し気なロマーノ王太子の追い打ちを背中で聞きながら、クラリスは最後に聞こえた咳払いに沈痛な表情で瞑目し、

「……手遅れにならなければいいけれど。いずれにしてももう無理ね」

 そうハンカチの下で、誰にも聞こえない声で呟いたのだった。


 ◇ ◆ ◇


「――ということで、ロマーノ殿下との婚約は破棄となりました。申し訳ございません、お父様。私の不徳といたすところです」


 その足で急ぎ実家(王都内にあるタウンハウス)にとって返したクラリスは、緊急事態ということで集まってもらった両親と兄、そして使用人の筆頭並びに次席である顧問弁護士と家令(スチュワード)も同席する中、事のあらましを告げて深々と家族に頭を下げた。


 口頭での説明の他、クラリスが持参してきた婚約破棄の書面、国境を越える手形を確認したジャルベール家の当主であるテオドーロ伯爵は、穴のあくほどその内容を精査し、これが洒落や冗談でないことを完全に理解したところで、汚らわし気に書類をテーブルの上へと放り投げ、感情を押し殺した声で呻いた。


「いや、謝るのは私の方だ。まさかロマーノ殿下がこれほど愚かで不義理な男だったとは……クラリスには十年にも渡って貧乏くじを引かせた。すまないことをした」

「なんと愚かな……。婚約の意味をなんと心得ておられるのか、ロマーノ殿下は……」

「おいたわしや、お嬢様……」

 沈痛な表情のテオドーロ伯爵同様、ロマーノ王太子の暴挙に開いた口が塞がらない様子の顧問弁護士と、クラリスの心の傷を慮って悲痛な面持ちで、ハンカチで目元を拭う家令(スチュワード)


「しかし、我が家の『生殺与奪権を握っている』とは大きく出たものですね、殿下も。王家の継嗣が理解していないのでしょうか、ジャルベール家の秘薬の効果を?」


 続いてほとほと呆れた顔で、ため息をつくクラリスの四つ年上の兄ヴィルフレード。

 この兄はジャルベール家の生業(なりわい)である薬関係の事業を、父に代わって一手に引き受けているため、あまり社交界に顔を出さないため、年が近い割にロマーノ王太子とはあまり接点がなかった。

 そのため間接的な評価でしか彼の人となりを知らなかっただけに(クラリスは婚約者とはいえ、王族の個人情報を家族にも漏らさない分別があった)、まさかここまで愚かだったとは……という驚愕と呆れの混じった口調で、父であるテオドーロ伯爵に確認を取る。


「……まず最初に教えられるはずなのだが。虹の花(イリス)”が群生する大温室に安易に足を踏み入れる軽挙妄動を考えると、耳や目の機能とは関係なく節穴なのだろうな」

 辛辣なテオドーロ伯爵の慨嘆に合わせて、クラリスも嘆息する。

「私も事あるごとに殿下に進言したのですが、あの様子ではただ口うるさい小言を言われている……としかご理解いただけなかったようです」


「せめて周りが諫言するのが真の忠臣だと思うのですが、聞いた話では殿下に追従する腰巾着ばかりのようですし、これはダメかもしれませんね。この国は」

 次期国王とそれを補佐する将来の側近であろう高位貴族の令息たちの有様に、早々に愛想を尽かせるヴィルフレード。


「それよりも、クラリスちゃんの将来についてが急務でしょう。まさか身一つで国外に放り出すわけではないですわよね、あなた?」

 憂国に顔を曇らせる夫と息子を一瞥して、クラリスの母である伯爵夫人が問いかけた。

「当然だ。私もこの国には未練がない。前々から帝国から貴族待遇での勧誘を受けているところであるし、この機会に家族全員で帝国へ移住しよう」


 あっさりと爵位と国を捨てることを即決する父の判断に、身一つで他国へ移住することを覚悟していたクラリスが大きく目を見開いた。


「よ、よろしいのですか、そんなあっさりと……」

「構わんよ。もともと我が家は旅の薬師が是非にと乞われて、この国に居ついただけだ。病人を見捨てるのも寝覚めが悪いので、そのままズルズルと惰性で居たわけだが、必要ないというなら元の漂泊の薬師に戻るだけさ。第一、我がジャルベール家とはいえ馬鹿に付ける薬はないからな」


 人の悪い笑みを浮かべるテオドーロ伯爵の当てつけに、ヴィルフレードも同様に嘲笑を放つ。


「クラリスの価値を見出せない、頭に花の咲いた連中などに、僕らにとっても価値はないからね」

「ともあれ時間との戦いだな。さすがに王の耳に入れば国境を封鎖されるだろうから、その前に帝国へ抜けるぞ。家財を処分している暇はないので、可能な限り身一つで移動しよう。使用人で希望する者は同行させるとして、大部分はいったん解雇しなければならんが、次の紹介状を書いている暇はないな……」


 家人や雇用者を慮るテオドーロ伯爵に対して、顧問弁護士と家令(スチュワード)が胸を叩いて後の始末を請け負った。

「法的手続きについてはすべて私どもが遺漏なく処理いたしますのでご安心ください」

「使用人については商会の者に任せましょう。しばらくは『ジャルベール薬事商会』も休業せざるを得ませんので……。もっとも再開したとしても、『ジャルベール薬事商会本店』から『ジャルベール薬事商会アルカヌム支店』へ、看板を変えることになるでしょうが」


 目の前であれよあれよという間に決まっていく、夜逃げ(とんずら)……もとい帝国への移住。

 家族の割り切りの良さに唖然とするクラリスであったが、まあ考えてみればジャルベール家としては王家に百年以上、クラリス本人も十年にも渡って王太子殿下相手に身を粉にして尽くしてきたのだ。十分に義理は果たしたと言えるだろう。


 そうとなればクラリスの腹も決まった。

「わかりました。動きやすいように普段、薬草取りに使う乗馬服に着替えてまいります!」

「うむ、そうだな。馬車では時間がかかる。全員、馬での移動としよう。――大丈夫か、お前? 久しく乗馬はしていないだろう」

 そう妻を気遣うテオドーロ伯爵に対して、不敵にほほ笑む夫人。

「ふふふ、馬術競技ではいつも私の後塵を拝していたのは、どなたでしたかしら?」

「それを言われると痛いな……」


 競技にこそいまではもう参加していないが、休日にはクラリス()とふたりで(当然護衛はついているとはいえ)身軽な服装で馬に乗って、領地へ赴いては薬草や毒草などを採集している夫人の手綱さばきは騎士とも遜色ないものであった。


「では、移動の準備と帝国への移住の打診、そして王国籍からの除籍を可及的速やかに行うこととする。可能であれば明日の朝一番で国境を越えられるよう手配するので、そのつもりで」

 当主であるテオドーロ伯爵の言いつけに、その場にいた全員が頷いて、各々の役割を果たすべく即座に行動に移った。


 ◇ ◆ ◇


 婚約破棄から四日後――。

 連日、エリシア嬢を脇に侍らせ、取り巻き達と朝な夕なにドンチャン騒ぎを繰り広げていたロマーノ王太子は、父であるモルガン国王からの呼び出しを受けて、王宮にある謁見の間へと近衛騎士に囲まれて、

「……嫌に物々しいな。父上も話があるなら私室へ呼べばいいものを……ごほんっ……なあ――?」

「「「…………」」」

「???」

 いつもの調子でのんべんだらりと遅参したのだった。


「父上――こほっ……失礼いたしました――しかしながら、これは何事ですか?」


 謁見の間にはモルガン国王の他、腹違いの弟にあたるラウル王子、侍従長、宰相、法務大臣、外務大臣、エリシア嬢の父であるミストラル公爵、さらには主だった重臣たちが雁首をそろえていた。

 いやに物々しい雰囲気と顔ぶれに小首を傾げながら、ここのところ喉の具合が悪いのを抑えつつ、ロマーノ王太子がそう尋ねると、モルガン国王は玉座に座ったまま無機質な眼差しを息子に対して向けて一言――。


「……わからぬか?」

「は?」首を傾げたロマーノ王太子だが、その視線が渋面を浮かべているミストラル公爵に向けられたところで、「ああ!」と、にわかに喜色満面となった。

「エリシア嬢との婚約の件ですね! 報告が遅れましたが、さすがは父上と公爵閣下、耳が早い。ええ、その通りです。私はエリシア嬢との真実の愛に従って、彼女を将来の伴侶とすることを誓ったのです!」


 途端、謁見の間全体にどよんとした厭世的な空気が澱んだ。


「……そうか。間違いないのだな? クラリス嬢との婚約を破棄して国外追放としたというのは?」

 呻くようなモルガン国王の問いかけに、

「え、ええ……こほん……まあ、多少語弊はありますが、本人(クラリス)の希望で出国する手はずは整えましたが……?」

 微妙な居心地の悪さを感じながら頷くロマーノ王太子。


 それを受けてちらりと視線で促された外務大臣と法務大臣が、それぞれ沈痛な表情で頷いた。

「はい。二日前にジャルベール伯爵以下、ご家族が国境を越えて帝国領へ入国されたのが、記録に残っております」

「同時にテオドーロ卿並びにご子息のヴィルフレード卿より、アルカヌム王国への爵位返還並びに関係者の王国籍からの除籍申請がなされ、すでに受理済みでございますな」


 言うまでもなく婚約破棄と、それに付随する諸々の手続きに関する融通は、ロマーノ王太子及び取り巻きたちによる現場への圧力によって、異例の速さで手続きが通ったものである。


「……すでに手遅れか……」

 慙愧の念に堪えないモルガン国王の嘆きに、宰相が同じく懊悩に染まった声で同意した。

「はい。仮に特例として取り消したところで、もはやジャルベール家が我が国に戻ることはないでしょう。すべては終わったのです。陛下……」


「あの……父上……?」

 さすがに周囲の風向きがおかしいことに気づいたロマーノ王太子が、おそるおそる声をかけると、モルガン国王が害虫の羽音でも聞いたかのような表情と眼差しを、王太子である息子へと向けた。


()()()()()()()。貴様の希望通り、エリシア嬢と()()()()()()()()()()()()()()

「お……おおおっ!!」

 歓喜に湧くロマーノ王太子だが、当人以外の全員が氷よりも冷たい目で見据える。


「――本来なら廃嫡後、次の王太子はラウルとすべきであろうが、()()()とその愚かさを見抜けなかった、馬鹿な親の詰め腹を切らせるのは忍びない。ゆえに王太子位は、しばし空位といたす」

 続くモルガン国王の自嘲混じりの宣言に、居並ぶ重臣たちが息を呑んで……次いで暗澹たる表情で無言の肯定を示すのだった。


「はぁ!? い、いったい何の話ですか、父上?! 廃嫡とは……それに身分の低い側室の子であるラウルが次の王太子など!」

 声を荒げるロマーノ王太子。この場に集まった半分が射殺しそうなほど苛烈な視線を、もう半分がその存在自体を目にしたくないという風にソッポを向いて無視する。


「……これほどまでに愚鈍であったとは。亡き妃の忘れ形見と甘やかした余の怠慢であろう……」

 一気に二十も年を取ったような精魂尽き果てた風情で、玉座にもたれかかるモルガン国王。

「いえ、国王陛下。すべては我ら家臣、並びに教鞭をとった者たちの不徳の致すところでございます。責任をとりまして、私をはじめロマーノ殿下の侍従、侍女たちは本日を限りに職を辞し爵位も返上する所存でございます。また、殿下の家庭教師を務めていた者たちも、全員職を辞して全財産を国へ返還する旨の届けを受けております」

「なっ……!?!」

「……そうか。大儀であった」


 あ然としたのはロマーノ王太子だけで、モルガン国王はごく自然にそれを受け入れる。


「一体何が……? いかなる……」

「兄上」

 (あえ)ぐようなロマーノ王太子の形にならない問いかけに、異母弟にあたるラウル王子が責めるような、嘆くような口調で割って入った。

「どうやらこの期に及んでもご自分が何をされたのか、今この国に何が起こっているのか、その事態の深刻さをまったくご存じないご様子ですので、はばかりながら私から説明させていただきます」

「ラウル?」

「まず兄上らの()()()()()()、ジャルベール伯爵は爵位を返上し、一族郎党揃って二日前にこの国の国境を越え、帝国へと亡命なされました」

「それがどうした? ――いや、乱心とは何事だっ!」

 噛み付くロマーノ王太子を冷ややかな眼差しで見据えて、聞き流すラウル王子。

「帝国ではもろ手を挙げて歓迎し、帝国侯爵位と広大なジャルベール領。そして非公式にですが、我が国――アルカヌム王国を所領として与えることを()()()()とのことです」


「決定だとぉ!?! ゴホン、ゴホンッ……くっ、何を馬鹿な! たとえ帝国といえども我が国の独立を侵害する権利など――!!」

「あるのですよ、兄上。本当にご存じなかったのですか? 歴史書を紐解けば一目瞭然でしょう。覇権国家である帝国と隣り合った、吹けば飛ぶような小国である我が国が独立を保てたのは、ひとえに〝虹の花(イリス)”の栽培という()()()()()()()()()()です」

「そうだ! 我が国、我が王家にのみ伝わる秘伝により、〝虹の花(イリス)”を大陸で唯一手がけられたがゆえに、帝国からも一目置かれているのだ!」


 そう言い放ったロマーノ王太子の言葉を聞いて、謁見の間にどうしようもない沈黙が落ちる。

『うつけが……』

『……暗君とはまさにこのこと』

『常識を知らぬことを堂々と公言するとは……』

『何かの病気ではないのか?』

 続いてさざ波のような侮蔑の言葉が、そこかしこから木霊(こだま)するのだった。


「――兄上。それは表向きの理由……国民向けのていのいいプロパガンダに過ぎません。ある程度の教養がある者、いえ無学な者でも目端の利く者なら、たかだか花ごときで帝国の目こぼしが叶うなどあるはずがない、その程度のことは自明の理でありましょう。まして兄上は帝王教育の初歩の段階で教師からも婉曲に示唆され、周囲からも再三に渡って忠告されていたはずですが……?」

「な、何を言っている。知らん。私は知らんぞ!」

「……ふう。どうやら兄上はご自分が知りたくない事実や聞きたくない諫言(かんげん)など、目にすることも耳に入れることも拒んでいたようですね。実に都合のいい節穴だ。なるほど、クラリス嬢の苦悩がしのばれます」

「なっ――!? ラウル、貴様、王太子である私に向かって無礼であろう!」


「もはや貴様は王太子ではない。乱心し廃嫡された元王族……できれば親子の縁など切りたいところであるが、愚かな息子よ。せめて共に責任を負うのが、余からの手向けと思うがいい」

 身分の低い側妃の子として下に見ていたラウル王子の当てつけに、激昂したロマーノ(元)王太子に向かって、モルガン国王が一切の反論を認めない断固たる口調で言い放った。


「なっな、な……!?!」

「そもそも前提が間違っているのですよ、兄上。なぜ〝虹の花(イリス)”が我が国、我が王家の庭でしか栽培されていないのか、他で見つけ次第厳罰に処して、跡形もなく駆除するのか、おわかりですか?」

「それは国の宝であり……」

「違います。実のところ〝虹の花(イリス)”は繁殖力が高く、種どころか切り挿しを地面に挿しただけでも、あっという間に増殖するほど強靭です。そのために見つけ次第油を撒いて根絶やしにして、温室で限定的に栽培するしかなかった。……なぜなら〝虹の花(イリス)”は人にとって猛毒に等しいからです」

「――なっ――?!?」

「正確にはその花粉が人体に有害だとか。そのため花粉が飛ばないよう、プリザーブドフラワーとして処理して売買しているのですが……国の根幹にかかわる、そんな初歩的なことすらご存じなかったのですか?」

「ふん。下賎な商売のことなど王族たる私が関与する必要があるまい」


 あくまで王侯貴族は労働などという行為とは無縁だという頑なな選民思想。それに凝り固まったロマーノ(元)王太子の悪びれることない反論に、ラウル王子がゆるゆると首を横に振って続ける。


「そういう問題ではないのですよ……。〝虹の花(イリス)”の病について、詳しくはジャルベール卿やクラリス嬢からの受け売りですが、花粉が人体の免疫機構に過敏な反応を引き起こし、よくて気管支炎や皮膚の湿疹かぶれ、むくみ、そして症状が進めば――生涯に浴びた花粉の量と体質にもよりますが、仮に不用意に〝虹の花(イリス)”の花畑などに三十分もいたとしたら、血管中に溜まった花粉が――血栓となっていつ心の臓が止まってもおかしくない……とか」

「う、嘘だ! でたらめだ! ……そ、そうだ。私から婚約破棄された当てつけで、クラリスが口から出まかせを言ったに違いない! あの悪女め、後ろ足で泥をかけるような真似を……!」


 ラウル王子の解説の途中でムキになって否定をするロマーノ(元)王太子に対して、あきれ果てたため息とともに宰相が口を挟んだ。

「事実でございます。王家に所蔵されている図書館に収蔵されている歴史書にも医学書にも、その旨が記載されており、原因のわからなかった過去には、流行り病と見なされて多い時には数百万人規模の犠牲者が出たという記録がございますが、はて、まさかロマーノ殿下は二十年近く暮らしていて、図書館に行かれたことがないのですかな?」

「…………」

 図星を指されて黙り込むロマーノ(元)王太子。


「ロマーノよ。我らはていのいい農奴に過ぎん。かつての帝国領であったこの地で、〝虹の花(イリス)”を栽培するためだけに集められた流民や犯罪者。その中で特に〝虹の花(イリス)”の病に抵抗力のあった者たちを代表として、帝国領を割譲して――万一、事故があった際にトカゲの尻尾切りをするために――国としたのがアルカヌム王国であり、わが王家の成り立ちなのだ」

 疲れ切ったモルガン国王の懺悔のような告白に、選民思想の権化のようなロマーノ(元)王太子が、己の足元が崩れたような表情で黙り込む。

 だが、細かな咳が絶えないその様子を目にして、モルガン国王はついでにのように追い打ちをかけるのだった。

「だが、長い年月の中でその体質も薄れかけてきておる。事実、お前の母である正妃は若くして儚くなり、お前も幼いころからわずかに漏れる〝虹の花(イリス)”の花粉に抵抗力がなく、ずっと寝たきりであっただろう?」


 そう言われてロマーノ(元)王太子は、物心つく前後はちょくちょく熱と喘息のような発作で、ずっとベッドに横になっていたことをおぼろげに思い出した。だが、成長とともに発作は軽くなり……いや、まて、確か一日三回服用している薬が――。


「!!!」

「思い出したか? 貴様のために幼き頃より才媛として名高かったクラリス嬢が、朝な夕なに特別調合してくれた薬により、いまの貴様があることを……!」

「ゴホン、ゴホッ……な、ならば、もう一度クラリスを――」

「すでに遅いのだ! 薬はあくまで症状を現状維持のまま抑えるもの。だが、貴様は勝手に王家の温室に足を踏み入れ、取り返しがつかないほど花粉を浴びた。いつ重篤な症状が出てもおかしくはない。ゆえに同じく禁忌を破ったエリシア嬢ともども、せめて王家の塔へ幽閉して最期を迎えさせてやろう」


 王家の塔というのは終身刑を言い渡された王族が、生涯出ることがかなわぬ牢獄のことである。


「なっ!? バカな、なぜ私が――私とエリシア嬢が王家の塔へ!?!」

 すがるような視線を向けられたモルガン国王は、無言でロマーノ(元)王太子を見返し、ミストラル公爵は、感情のない淡々とした口調で言い放つ。

「本来であれば他の五人同様に死罪相当にすべき我が娘に対し、国王陛下のあまりあるご寛容を心より感謝いたします」


「死罪? 他の五人とは、まさか……?」

 ロマーノ(元)王太子の脳裏に五人の高位貴族たちの令息である取り巻き達の顔がよぎった。

「当然でしょう。王家以外が足を踏み入れることを禁じた〝虹の花(イリス)”の温室に足を踏み入れた。これだけで国家反逆罪に相当いたします。五人とも速やかに毒杯にて、黄泉路へ旅立たれました」

 その懸念をあっさりと肯定するラウル王子。

 そのついでに従者から汚れたハンカチーフを受け取って広げた。

「せめてこのハンカチーフで口元を覆っていれば花粉を防げたものを。稀に見る才能をもったクラリス嬢が、三年前に開発した〝虹の花(イリス)”の花粉を完全に防ぐ防護布。これによって我らアルカヌム王家の存在そのものが、もはや過去のものとなったのです。――これを贈られた際に説明があったはずですが、どうせ聞き流していたのでしょうね」


「……せめてクラリス嬢を王妃として、防護布の作成方法ともども秘匿できれば、帝国からの横槍も防げたものを」

 外務大臣の嘆息にその場の全員が頷いた。


「もはや帰趨は決した。帝国からの要求を従容と受け入れ、余は王国を滅ぼした無能な王子とその親として、運命と後世での笑いものという汚名を受け入れよう。ロマーノよ、お前はクラリス嬢へ『生殺与奪権は、私が握っているのだ』と口にしたそうだが、それは大間違いだ。お前の命とこの国の生殺与奪権は、ひとえにクラリス嬢の手に握られていたのだ」

 モルガン国王の宣言に、膝から(くずお)れたロマーノ(元)王太子。ついでに精神的ダメージが高揚していた気分を打ち砕いたショックでか、軽く咳き込んでいた程度の症状が一気に進んで、止まらない咳によって半ば呼吸困難になる。


 秀麗な顔をぐしゃぐしゃにして苦しむ兄を見下ろしながら、ラウル王子は手にしたクラリス嬢の刺繍の入ったハンカチーフを眺めて、しみじみと述懐するのだった。

「ここに描かれているのは黄色のマリーゴールド。花言葉は『健康』ですね。それに対して虹の花(イリス)の花言葉は『移り気』『欺瞞』そして『裏切り』……あなたにピッタリですね、兄上」

最近WEBに書いてなかったので習作といったところです。


挿絵(By みてみん)

来週発売です。

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― 新着の感想 ―
[一言] とりあえず、バカが可愛かったとしても、国の根幹にかかわる花に毒に耐性がないいつ死ぬかわからん病弱くんを王太子認定して育成は駄目でしょと思った。主人公が開発した防護布常につけるにしても、開発し…
[一言] クラリス嬢と彼女の一族を王家に取り込んで、防護布その他の情報漏洩防止にしなければならなかったのは分かるけれど。 国全体にとっての命綱でも、生理的に駄目って事もあるかも知れないし、個人的に恋愛…
[一言] 「恋愛カテゴリでない」と言われているけど、なろうで女性向け作品を探すなら異世界恋愛カテゴリ、という現状ですから、対象読者に見てもらうには恋愛カテゴリに置かざるを得ないんですよね……。 気にす…
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