いってきます!
『ながながと語る気はありません 心から幸せでした ごめんね』
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私より幾分早起きな妻が、いつもどおりテーブルに新聞を置いてくれている。おかげで私は、ポストまで直行することなくくたくたになってきたソファにそのまま腰を沈められるのだ。いつもどおり1面に目を通しながら。
最近は新聞をとる家が激減しているだなんていうけれど、アナログ派のビジネスマンにとっては欠かせない媒体なんだよな。
「お父さん、ごはんできてるよ」
「うん」
手持ちのカップからいつもどおりのコーヒーを香らせる、いつもどおりの優しい妻。
娘は…………まだ起きてこないようだ。まあいい。いつもどおりのことなのだ。
「そういえばネ、あの子ったらお父さんの誕生日に何あげよっかなってウンウン悩んでるのよ。金欠だー! ってわめいて、休みの日のバイトだって早番増やして」
「へえぇ。そりゃ驚いた。あの寝ぼすけがなぁ」
驚きよりも嬉しさが勝って口元が綻んでしまう。こういうことがあるもんだから、我が子はこの世で一番愛おしい。
「ちょっと、なぁにニヤニヤしてるの? もう」
全てお見通しのくせに、わざわざ肩をパシンとやって茶化してくる妻。言わずもがな愛おしい。
朝食のトーストをいつもよりも控えめにかじりながら、窓の外を見やる。まあまあ晴れている秋空。変わらない安らぎをくれる家族。
今日が……今日が、いつもどおりで、本当によかったと、心から思う。
神様、私は、とんだエゴ人間だ。
今の私は、ただ自分の幸せな気持ちだけに追従している。私に対する他人の気持ちなど、微塵にも考えられない。たとえそれが、愛する家族であっても。まあいい。もういい。仕方がない。仕方がないのだ。これも全て、存在しなくなった会社が悪い。
いつもどおりネクタイを整えて、靴を履いて、いつもどおりだった場所の、てっぺんまでさあゆこう。
「気をつけてね〜〜」
「ありがとう」
スローモーションのように感じられるかと思っていた特別な挨拶は、いつもどおり一瞬で終わってしまった。
妻に背中を見せたまま玄関ドアにかける手が、ふと止まってしまう。私は必死に心の中に言い聞かせた。開けろ、これは真の開放の扉だ。決めたのはお前だろう。
振り返ってしまった。同時に、まあいいやとも思えた。
「あの…………ありがとう」
もう一度言わずにはいられなかった。
私は一体、どんな顔をしていただろうか? いつもどおりでいられただろうか? そこばかりが気がかりだ。
妻が腕組みしながら、随分と可愛げな愚痴をこぼしている。
「でも、大流行なこのご時世の中未だにリモート? ワーク? じゃないなんて本当時代遅れよね。で、帰りは? 遅くなりそう?」
「分からないなぁ」
私は最後から2番目の嘘をついた。
どうか許してほしい。男というのは弱みなど、決して堂々と見せるものではないのだから。直接であろうと稚拙な作文であろうと、長々と語るつもりはない。
「逝ってきます!」




