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「好きだよ、フェイル。世界中で一番君を愛してる」


 西の空は茜色に染まり、今日という一日の幕を下ろそうと、東の空には夜の色が迫ってきている。


 そんな中、二人っきりの部屋で15歳になったばかりの、まだあどけなさを残すフェイネルにそんな甘い言葉を吐くのは、この少女が長年片想いをしているルナーダだった。




 ルナーダは長身で、茶褐色の髪と、意志の強そうな琥珀色の瞳に凛々しい眉。かなりの美丈夫であり、パン屋を営むフェイルの家のお隣さんの長男でもある。


 そんな彼は、フェイルより5つ年上。がっしりとした体躯で、剣術が得意だった。

 そして、彼はもうすぐ王都に行ってしまう。


 長年、街の自警団を務めていたルナーダは、この度、とある騎士の目に留まって王宮騎士の見習いになってしまうから。


 

 ───だから、フェイルはルナーダに惚れ薬を飲ませてしまった。


 一月だけでも、恋人でいられるように。








 一人っ子のフェイルは12歳までは、ルナーダのことをお兄ちゃんと呼んでいた。


 でもルナーダが、同い年の女性と歩いているのを目にした時から、フェイルはルナーダのことを、お兄ちゃんと呼べなくなってしまった。


 その理由は、とても単純。

 フェイルがルナーダに恋をしていることに気付いてしまったから。


 でもルナーダは、フェイルが突然、お兄ちゃんではなく名前で呼ぶようになった理由を知らない。

 そして、いつまでも妹扱いするルナーダに、フェイルがどれだけ焦れた想いを抱えていたのかも、きっと知らないのだろう。


 このシャタンという村は、ノルドレリン国の東のはずれに位置している。

 そして、このシャタンという村で生まれた者の殆どが、この村で一生を過ごす。

 

 だけれども、こんな辺鄙な村で生まれたフェイルであっても、遥か彼方にある王都がどんなところかは知っている。


 沢山、綺麗な女性がいるところ。


 ……耐えられなかった。


 きらびやかで喧騒に包まれた大都会で生活をすれば、きっと村のことも、ましてや自分のことなど、忘れてしまうだろう。


 だから、絶対にやる。何が何でも、やってやる。誰にどう言われても、偽りの愛情だって、紡ぐ言葉が全て嘘だって、それも良い。虚しさなんて感じない。


 そんなふうに思うまで、フェイルは思い詰めていた。


 まだ親の庇護下にある15歳で、生まれてきてからコツコツと貯めてきたヘソクリを全部得体の知れない薬につぎ込めるほど。




 そしてフェイルは、とてもとても酷いズル───惚れ薬を手に入れてしまった。




***




 村の外れには、樹齢何百年と思わせる大きな楡の木がある。

 そしてその真下には、今にも壊れそうな小屋がある。


『絶対にあそこへ行っちゃいけないよ。悪い魔女に食べられてしまうからね』


 親は子供に、そんなふうに口うるさく言う。


 ちなみに、その親も子供時代には、同じことを親に言われてきた。

 そしてその親も、同じく。


 つまりこの村は代々、楡の木の小屋には近づくなと子供に言うのが伝統なのだ。


 ……でも、ある一定の年齢になると、気付いてしまう。あそこがどんな場所なのか。


 楡の木の真下の小屋では、薬師が取り扱うことがない、不思議なお薬が売っているのだ。


 頭のてっぺんが寂しくなってしまった殿方には、もう一度、ふさふさになるお薬を。


 目元と口元に、しっかりと皺が刻まれてしまったご婦人には、かつてのようなみずみずしい素肌を。


 そして、年頃の男女には、意中の相手を射止めることができる───惚れ薬を。


 取り扱う薬はどれも、大変高価だけれど、効き目はバツグン。

 どんなに努力しても叶わない願いは、神様にお祈りするより、あそこに行けばすぐに解決できる。

 

 努力ではどうすることもできない失われたものは、お金でなんとかする。

 夢は必ず叶うというキャッチフレーズになんて、もう心を震わせることはなくなった。 

 夢は見るもの、いつかは醒めるもの。


 そんな言葉を平然と吐くようになった人間が通う場所。


 そう。あそこは、大人だけが知る秘密のお店──魔女の住処だったのだ。




 そしてフェイルは、金の力で切実な願いを叶えようと、そのお店に足を向けたのだった。


 悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、悩みつくした結果、この結論に至ったのだ。

 だから、後は実行に移すのみ。


 なのに、現実は、なかなかしょっぱいものだった。





「───……そんなはした金じゃ、売れないよっ。出直しておいでっ」


 人の足元みやがって。このドぐされババア。


 ルナーダに映る自分を意識して、普段から”良い子”を心掛けているフェイルだけれども、さすがにこの魔女の言葉には憤慨して、こんな悪態を心の中で吐いてしまった。


 幼い頃から、フェイルの両親は口うるさく一人娘のフェイネルに楡の木の下の小屋に近づいてはいけないと言い聞かせてきたのだ。


 そして、夜更かしをしたり、食べ物の好き嫌いを言ったりすれば、すぐさま楡の木の下の小屋から怖い婆が出てくると脅かされてきたのだ。


 ちなみにフェイルは、良く言えば素直。悪く言えば、悲しい程、単純な子供だった。


 そんなフェイルがありったけの……いや、未来で使うはずの勇気すら前借りして、魔女の元にやって来たというのに、この仕打ち。


 どうやらこの魔女は、恋する乙女を応援する気持ちなど更々持ち合わせていない、守銭奴のようであった。


 そしてこの魔女は、なかなかえげつない性格でもあった。


「ま、でもどうしてもっていうなら、仕方がないねぇ」


 顔中しわくちゃで、目などどこにあるのかわからない魔女が、皺の奥に隠れた瞳を意地悪く光らせた。


 ここで、ある程度の大人なら、これからロクでもない提案をされること気付く。

 けれど、幼いフェイルは思わず前のめりになってしまう。


「魔女さん、お願いします!!」 


 つい今しがた、この魔女に悪態を付いたことなど忘れ、フェイルは懇願する。


 すかさず魔女は、口のすみだけに始めて笑いらしいものを漏らした。それは、皮肉な笑み痙攣とも、老人特有の痙攣とも思いなされた。


「じゃあ、足りない代金は、お前さんの身体で支払ってもらうとするか」

「は?……か、身体?」

「ああ。お前さん、絶世の美女ってわけじゃないけれど、若い女はそれだけで価値があるからね。しかも、10代ならなおさら」

「……ちょ、ちょっと、それは……」

「おや、良いんだよ。あたしゃ、赤字覚悟でお前さんに、提案してやっただけさ。嫌なら良いさ。とっととお帰り」

「……そんなぁ」


 涙目になるフェイルを、魔女はしっしと羽虫を追い払うかのように、手の甲を振る。


 けれど、長く生きてきた魔女は、慧眼の持ち主でもあった。だからフェイルがここで帰らないことを、ちゃんとわかっていた。


 そして、その通りになってしまった。


「魔女さん……私、……何をしたら良いんですか?」


 邪心の欠片もない表情で、そう問うたフェイルに、魔女はゆったりとした笑みを浮かべながら、惚れ薬の対価を口にした。そして、フェイルはそれを差し出した。




 惚れ薬の代金の不足分を補う対価とは──自分の笑顔だった。


 魔女の針で指を刺されたフェイルは、もう一生笑顔を浮かべることはできなくなったのだ。




***







「……ごめんなさい、お兄ちゃん」


 フェイルは、自分の笑顔を対価にして手に入れたルナーダの愛の言葉を聞いた途端、両手で顔を覆ってむせび泣いた。


 俯いた拍子に、栗色の髪が肩から滑り落ち、フェイルの顔を隠す。

 けれど、フェイルはそれを振り払うことはしない。それどころか、もっともっと俯いて、終いには白いうなじが見えてしまっている。


 フェイルはルナーダの顔が見れないのだ。見る勇気がないのだ。どの面下げて拝めばいいのだろうかと、罪悪感で胸が張り裂けそうに痛んでいる。


 惚れ薬を飲んだルナーダは、今、フェイルを心から愛している。

 なのに、フェイルはちっとも嬉しくなんてなかった。あるのは、虚しさと、激しい後悔だけ。

 

 フェイルは気付いてしまったのだ。好きな人の心を無理矢理歪めて、愛の言葉を貰っても、ただただ苦しいだけだということに。なのに───


「ねぇ、フェイル。どうしてそんなことを言うんだい?」


 フェイルの頭上に、ルナーダの穏やかで優しい声が降ってくる。


 その声が罪悪感を煽り、フェイルの胸をズタズタに差す。そして、とうとう耐えきれなくってフェイルは声を張り上げた。


「私、あなたに惚れ薬を飲ませてしまったのっ」

「惚れ薬?」


 穏やかな表情を浮かべていたルナーダは、ここで初めて表情を動かした。


「……フェイル、どうしてそんなことをしたんだい?怒らないから、言ってごらん」

「嫌っ」

「フェイル、答えるんだ」


 ルナーダは眉間に皺を寄せている。目付きも鋭い。自警団として働いている時の顔つきだった。


 普段、フェイルがつまらないことで拗ねたり、ワガママを言ったりしても、そんな顔などしたことないのに、だ。


 フェイルの細い肩が小刻みに震える。サクラ色の唇は色を失くしてしまっている。


 けれど、ルナーダはその表情をもっと厳しいものに変える。そして、根負けしたのはフェイルの方だった。


「私、お兄ちゃんに、王都に行ってほしくなんかなかったの。ずっと私のそばに居て欲しかったの」

「……」

「でも、それは無理だってわかってる。だからせめて、お兄ちゃんが王都に行くまでの間だけ、恋人になりたかったの」

「……」


 フェイルの悲痛な告白を聞いても、ルナーダの表情は、まったく変わらなかった。


 重い沈黙が部屋に落ちる。

 少し身動ぎするだけでも、衣擦れの音がやけに大きく響いた。


 そして永遠に続くと思われた沈黙は、ルナーダの静かな声音で破られた。


「……ねえ、フェイル、質問があるんだけど」

「……うん」

「僕のこと、そんなに好きだったの?」


 言うに事を欠いてなんてことを聞いてくれるんだ、この人はっ。


 フェイルはそう叫びたかった。

 けれど、できたことは、情けないほど弱々しく頷くことだけだった。


「……そうか」


 ため息と共に、そう言ったルナーダは、なぜだかすぐに豪快に噴き出した。


「あはは、ははっははっははっ。フェイル、お前、馬鹿だなぁ」

「なっ!?」


 意地悪く笑うルナーダは、ついさっきまでとは別人のようだった。

 

 突然の変わり様にフェイルの涙が、ピタッと止んだ。


 そしてルナーダは、呆然とするフェイルを見つめ、もう一度同じ言葉を吐く。


「お前、本当に馬鹿だな」

「はぁ!?」


 二度目の罵りの言葉に、フェイルは思わずカッとなってしまった。


 馬鹿なのは、あなたのほうだ。何の危機感も抱かず、こんなものを口にするなんて。


 そう言いたくても、突然、変わったこの状況にフェイルは唇を震わすだけ。


 そして、更に衝撃的な言葉がルナーダの唇から紡がれる。


「これ、惚れ薬じゃないぞ」

「……」


 なんて説得力の無い言葉だろう。フェイルは、泣けてきた。


 薬の効用は、飲んだ本人にはわからない。だからこその惚れ薬だというのに。


 再び、フェイルの瞳から涙が溢れる。


 それを見たルナーダは、やれやれといった感じで肩を竦めた。


「あのさぁ、」


 そこで言葉を止めたルナーダは、一度コホンと小さく咳払いをした。まるで、気持ちを切り替えるように。


 それから、いつものお兄ちゃんの表情になり、フェイルにこう問いかける。


「フェイル、これ、村の外れの楡の木の真下にある魔女の家で買ったんだろ?」

「うん」

「実はさ、あそこのばあさん、もう呆けてるから、薬なんて調合できないんだよ」

「えー!?嘘ぉ!!」


 フェイルの大絶叫が、カタカタと窓を揺らした。


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