僕の爺ちゃんと幽霊少女
蝉たちが、祖母の住む田舎に到着した僕を出迎える。
乗客がゼロになった路線バスは、黒い排煙を漏らしながら更に山奥の道へ進んでいった。周囲の木々は青々と茂り、夏の太陽の日差しを存分に受け止めていた。
「いつもながら、何もないな。ここは」
川を流れる水の音、遠くから聞こえる野鳥のさえずりを聞きながら、祖母の家を目指した。真新しいアスファルトが日光を照り返し、顔をじんわりと焼いていく。サンダルからはみ出した指が地面に触れそうになった時、火傷になりそうな熱さを感じてビックリするほどだ。
熱烈な夏の歓迎を受けながら、僕は誰もいない舗装された山道を登っていく。
「婆ちゃん、来たよ~」
渓谷沿いに建てられた一軒の民家。その家の玄関の引き戸を開けて呼びかける。奥にある台所からは、いつものAMラジオの雑音交じりの放送と聞き慣れた声が返ってきた。
「司か? よう来たね。婆ちゃんね、今昼ご飯作ってるから、居間で座っとって」
婆ちゃんは、台所から姿を見せないまま料理を続けていた。シャキシャキと、野菜を切る音が婆ちゃんの返答のあとに加わってきた。
「飲み物は~?」
「机に、麦茶置いてあるよ」
僕は居間の座卓の側に座り、水滴がたくさん付いている麦茶入りの容器に手を伸ばし、湯飲みに注いだ。
ぬるい。
冷蔵庫から持ち出してしばらく経っているのか、麦茶の温度はぬるく、猛暑の中を歩いてきた少年の喉には物足りなかった。
柱時計の秒針の音が耳に聞こえるほど穏やかな空間。
周りには、爺ちゃんが好きで集めていたコケシや祭りで使用する鬼の仮面が飾られている。これらは幼かった頃は怖い怖いと、僕は泣き喚いて親にすがりついていたが、今となっては顔なじみと会っているかのような大切な場所になっていた。
僕は、この静かで少し涼しいこの居間が好きだ。
「司~。もし、退屈ならテレビつけなさい、テレビ」
と、台所から料理中の婆ちゃんの声が聞こえてきた。
「……この時間、好きな番組ないし別にいいわ~」
僕は、テレビのリモコンを自分から一番遠い座卓の端に滑らせて、常備されている煎餅から数枚を取り、ボリボリかじりながらスマホをいじりはじめた。
「司、昼ご飯作ってるって言ったでしょ。煎餅はご飯食べた後に。あと電話も」
煎餅を食べ始めた途端、婆ちゃんが昼ご飯を持って居間にやってきた。僕は渋々スマホをポケットに突っ込み、煎餅を急いで平らげて、座卓の上を布巾で綺麗にし始めた。
「今日は司が好きな、鶏の唐揚げだよ。婆ちゃん、たくさん作ったからいっぱい食べなさい。残ったのも持って帰っていいから」
確かに僕は唐揚げは好きだ。
だけど、まだ午前九時半だ。朝食の食パンも満足に消化できていない状況だ。婆ちゃんはいつも僕にご飯を食べさせようとする。今回のように時間帯が早くても『昼』と言い、張り切って料理を作る。
不味いわけではなく、むしろ母さんより美味いから尚更、たちが悪い。
僕が朝からの唐揚げに悪戦苦闘していると、婆ちゃんは僕の顔をまじまじ眺めていた。
「司は、爺ちゃんに似てるね」
「それ、何度も聞いた」
「あれ、そうだったかな? 司の顔、子どもだった頃の爺ちゃんにホントそっくりよ」
以前にその話を聞かせてもらった時に、婆ちゃんから僅かに残っていた爺ちゃんの幼い頃の写真を見せてもらった。
僕と爺ちゃん、まるで双子のようにそっくりだった。
顔だけではなく、体格も身長も同等。その写真を見た時両親も僕も、心底驚いた。これは、隔世遺伝とかそういう類のものなのかと思うほどだ。
そして、そのことを知ってから僕には、ある『秘密』ができた。
「……ねえ、婆ちゃん」
「なんだい?」
「爺ちゃんって、モテた?」
婆ちゃんは待ってましたかとでも言わんばかりの表情で口角を緩んだ。
「うむ! モテたモテた。カッコよかったよ。学校中の女子たちが宗太郎のことを好いていてな。その中で出し抜くのは大変だったわ。最終的には地主の娘だった婆ちゃんが勝ったんだけどね。うふふっ」
最高の惚気と最高のドヤ顔を祖母から見せつけられたともに、何故それだけモテモテの爺ちゃんと比べ、外見が似ている自分は万年恋人いない太郎なのか、この悲しみは押さえられない。魂の差か。
「……でもぉ」
その言葉とともに婆ちゃんの顔が曇った。まるで喉に魚の骨が刺さったかのような、角に小指をぶつけたような、そんな不快な表情。
「……一人いたなぁ。宗太郎が婆ちゃん以外に心を開いた女の子が」
「婆ちゃんね、その女の子と話している時の宗太郎の顔を、一度も向けれたことはなかったよ」
「……それって、実は爺ちゃんは婆ちゃんのこと好きじゃなかったということ?」
「いや。宗太郎も婆ちゃんのことが大好きだったとも。色々と凄かったし」
何が凄かったのかは触れないでおこう。
「でも、この歳になって思うのは。どんなに愛し合う仲でも、相手の特別な異性というものは、相手の頭の片隅にずっといるかもしれないということだね」
そういうと婆ちゃんはおもむろに胸ポケットから煙草を取り出して、火を点けようとするとハッとした表情を向けた。
「あら、やだ。人がいるところで煙草吸うの止めるって決めたのに。司、煙でご飯が不味くなっちゃうから、婆ちゃんちょっと外で吸ってくるわね」
「あいよ。僕ご飯食べたら、爺ちゃんの墓参りに行ってくるから」
「あぁ。お線香とライターは玄関先に置いてあるから、いってらっしゃい」
婆ちゃんが外に煙草を吸いに行き、食事を再開した。
先ほどまで揚げたてだった鶏のから揚げは、少し冷えていた。
村の集合墓地までは、祖母の家から徒歩十分ほど。
片手に線香とライターが入ったビニール袋をぶら下げながら、再び猛暑の中を歩いていく。
今回の目的は、爺ちゃんの墓参り。
うちの家では家族全員で毎年墓参りに行くことになっているが、両親は仕事の関係でお盆前に帰郷して既に爺ちゃんに手を合わせている。
僕も両親と一緒にお盆前に帰郷すれば効率的だが、『お盆にちゃんと爺ちゃんに挨拶したい』とそれらしい理由をつけて、両親との同行を拒否した。
拒否したのは、爺ちゃんの墓参り以外にやりたいことがあるから。いや、僕にとっては墓参りよりも大切なことになりつつある。
崖下のカーブミラーが設置されている『事故多発』『対向車注意』『落石注意』など黄色い看板が目立つ、急な曲がり角までたどり着いた。
僕は、深呼吸をしてその曲がり角をゆっくりと祈るような気持ちで歩み、カーブミラーの位置まで歩いていった。
「あっ、宗太郎。おはよう、いつもより早いね」
女の子だ。村民の姿も見かけないような田舎道にセーラー服姿の女の子が立っていた。彼女は、僕に挨拶とし、ニッコリとほほ笑む。
そして、僕も返事をする。
「おはよう、『零』。僕って、言われるほど遅刻してないと思うけど?」
「何言ってるのよ。宗太郎は遅刻の常習者でしょっ」
「ははっ、ごめんごめん」
僕は、この謎の女の子と話したいから今ここに来ている。
おそらく、僕のことを爺ちゃんと勘違いしている幽霊か何か、だ。
彼女の名前は零。苗字は思い出せないらしい。
数年前から突如、お盆の時期にこのカーブミラーのあたりに出るようになった。出会ったときは怖くて逃げだしたが、その次の日、その次の日も普通に曲がり角にいるので怖くなくなってしまった。
それから、田舎に戻っても来ても爺ちゃんの墓参りしかないため、いつしか暇つぶしも兼ねて、僕は零のおしゃべりに付き合うようになった。
零は、家族のこと。学校のこと。友達のこと。勉強のこと、部活動のこと。飼っている犬のこと。色々な話を聞かせてくれた。
でも、どれも同じ内容の繰り返しだった。話すことがなくなると消えてしまう。
翌年に会う時には、零は僕と話した内容はリセットされていた。
もっと、零と喋りたい。
そう思った僕は、爺ちゃんの部屋から日記やノートなどをかき集め、宗太郎に関する情報をかき集めた。
その情報を零との会話のネタとして使うと、零は今まで見せたことがない反応を見せてくれた。
しょうもない教室での出来事で笑い、教師にイタズラをしたことを告白して怒られ、部活動で怪我をしたことを心配し共感をしてくれた。
彼女との他愛もない会話が僕にとって宝物になりつつあった。
「零。わりィ。これから爺ちゃんの墓参りに行かねえといけないから、おしゃべりはまた今度な」
「うん。またね、宗太郎。お爺さんによろしく~」
無邪気に大きく手を振ってバイバイする零にお返しのバイバイをしつつ、僕は墓地へ向かった。
やはり、カーブミラーに零の姿は映っていなかった。
僕は宗太郎のフリをし続けた。零と話したい、その一心で。
「爺ちゃん、今日も暑いな」
倉庫にある桶に水を流し込み、それを持って墓石まで持っていく。腰を下ろし線香に火を点けて、手を合わせる。
「今日、零と話してきたよ。彼女、爺ちゃんの話題を話すと楽しそうだったよ。嬉しそうで、しかも可愛かった」
「……でも、僕のことを話してもちっとも反応してくれないんだ。そりゃ、幽霊だもの。未来の人間のことや出来事を話しても分からないよね。仕方ないよね……」
「あっ、まだ墓石を洗ってなかったね。少し待ってて」
僕は立ち上がり、たっぷり水が入った桶を持ち上げた。
そして、備え付けられたひしゃくを使わず、そのまま桶一杯に入った水を上から乱暴に墓石にぶちまけた。飛び散った水で線香の火が消えてしまうほどに。
僕は、幽霊の女の子に恋をしてしまった。そして、自分の祖父に嫉妬してしまった。




