第四話 赤瀬夏樹
俺、赤瀬夏樹は同級生の少女に恋をしている。
相手は言うまでもねぇ。
白峰春香。
白峰に初めて出会ったのは、高校一年の冬だった。
認めたくはねぇが、俺は平凡な人間だ。
家族はそれなりに厳しい会社員の父とそれなりに優しいパート主婦の母。
兄弟姉妹はいねぇ。
集団のリーダーになれるような人間でもねぇが、集団から外れるような人間でもなかった。
そんな平凡な俺が不良じみた人間になった理由も平凡なものだった。
中学三年生の頃にとある不良漫画に嵌まり、その影響で親に隠れて煙草を吸うようになった。
そして親に言われるままに地元の進学校へ。
この頃はまだ親の言う事を聞いていた。
しかし、高校に入って不良モドキな奴らとつるむようになり、俺は変わっていった。
一般的とは言え一応は進学校だ。
気合いの入った本物の不良なんてのはいねぇ。
今まで一度も集団のリーダーになどなった事のなかった俺は、不良モドキの集団で初めて中心的な人物となった。
親に反抗して髪を染めて煙草を吸った。
つってもそれだけだ。
他校の不良と喧嘩する事も、深夜徘徊を繰り返して補導される事もなかった。
うちの不良モドキなんてのは所詮その程度だ。
高校に入学して、そんな中途半端な不良となって数ヶ月が経った時の事。
冬休みも間近に迫り、入学してからの不毛な日々に想いを馳せていた。
最初は楽しかった。
それなりに悪い事をして、集団の中心に立って、意味も根拠もなく周りの人間を見下して満足していた。
しかし最近では、常に何かが欠けているような気がして、何をしていても満足できず、まるで世界が灰色になってしまったかのようだった。
飽きちまったのかもしれねぇな。
そんな風に思っていたある日、俺の世界が再び色づいたんだ。
その理由は乙女チックで何だか恥ずかしいが。
一目惚れだった。
その日の放課後、俺は度重なる遅刻を教師に咎められ、指導室にて説教を受けていた。
何とか解放されて昇降口を出た時には、空には夕焼けが広がっていた。
校門に向かって歩いていると、木の下に佇む女生徒が見えた。
両腕を上に上げて、木の上の何かに向けて語りかけているようだった。
無性に気になって近付いて見てみると、木の上にいるのは猫である事がわかった。
木に登って降りられなくなった猫を助けようとしているのだろうか。
そんな事があるのか?
なんて思ってしまった。
手を貸そうとも思えず、しかし帰る事もなく見ていると、やがて猫は意を決して飛び降りた。
女生徒の顔面に。
女生徒は「ふぎゃっ!!」というような声を上げて尻餅をついた。
その隙に猫は走り去って、後に残されたのは小さく唸りながら顔をごしごしとしている女生徒と、それを微妙な距離で見ている俺だった。
女生徒はやがて溜め息を吐きながら立ち上がり、そして俺に気付いた。
「え………い、いつからいました……?」
顔を赤くして恐る恐る聞いてくる。
「十分前くらいからだ。」
「えっ!そんな前から!?…………は、恥ずかしい……。」
「あー……まぁ良かったな、猫助かって。」
何とも言い難く、つい口調が柔らかくなる。
「う、うん!本当に良かったよ!!」
そう言って女生徒は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔が夕日に映えるように輝き、俺はそのあまりの美しさに唖然とした。
こんなに美しいものは見た事がない。
冗談でなく、そう思った。
柄じゃねぇ事はわかってたけどな。
女生徒は更に言葉を紡ぐ。
「私、白峰春香です!一年生です!!」
「あ、あぁ………俺は赤瀬夏樹。俺も一年だぜ。」
「あ、そうだったんだ?宜しくね、赤瀬君!!」
俺の人相は決して良いとは言えず、髪も真っ赤に染めているのに、彼女はそんな事は気にせず笑顔で握手をしてきた。
俺は彼女の手の柔らかさを感じながら、胸の鼓動が喧しいくらいに速くなったような気がした。
彼女の名前は聞いた事があった。
不良仲間の一人が言っていたのだ。
学校で一番人気の女がいると。
その女の名前が白峰春香であると。
一目惚れした男は数多いとか言っていたが、その時は話半分で適当に聞いていた。
まさか俺まで一目惚れするなんて。
初恋だった。
俺なんかじゃ手が届かねぇ事にも気付いていた。
その日以降、俺は白峰を廊下で見かけた時なんかに目で追うようになり、彼女の情報が耳に入ると忘れねぇようになった。
彼女には仲の良い男子がいた。
青島秋人。
幼馴染みらしい。
入学当初から女子に人気な男だった。
俺は愕然とした。
勝てっこねぇ。
元から付き合えるなんて思ってもいなかったが、俺は酷くショックを受けていた。
そして二年生になり、白峰や青島なんかと同じクラスになり、アイツを見つけた。
富士崎根黒。
目が腐ってて暗くていつも眠そうな奴。
女子からの人気なんてあるはずもなく、むしろ誰からも話しかけられねぇような奴だった。
そんなアイツに、何故か白峰はいつも話しかけていた。
その様子を見てすぐにわかった。
白峰は富士崎の事が好きなんだって。
許せなかった。
彼女が富士崎みてぇな底辺を想っている事が。
青島と同じく幼馴染みである事は後に知ったが、そんなものは俺の醜い嫉妬を慰める理由にはならなかった。
だから俺は、事ある毎に富士崎に絡み、その鬱屈をぶつけた。
それが白峰に嫌われる要因になるとわかっていながら、俺はそれを止める事はできなかった。
そして時が経ち、俺達は異世界へと召喚された。
俺に希有な才能がある事を喜び、アイツが無能である事を悦んだ。
これでアイツは正真正銘の底辺になる。
白峰も見限るかもしれない。
そう思った。
しかし、アイツは何も変わらなかった。
誰に蔑まれても平然とした顔をしていた。
白峰も相変わらずアイツに話しかけていた。
俺の心を嫉妬と憤怒が支配した。
鍛練の手伝いという名目で半殺しにした。
いや、あの王女が止めなければ殺していただろう。
それくらい俺の心は真っ黒に染まっていた。
そこを宰相に付け込まれたのだろう。
付け込まれた自覚さえなかったが。
気付いた時にはアイツを呼び出し、欲望のままに痛めつけていた。
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予定通り、アイツは脱走した事になった。
その報告を聞いて白峰は呆然としていた。
呆然とした後、宰相に掴みかかって激怒していた。
そんな彼女を見たのは初めての事で、彼女にそこまでさせる富士崎を更に憎んだ。
しかしアイツはもういねぇ。
脱走どころか死んでいるのだが、それを知るのは俺だけだ。
俺はこみあげる笑いを必死に抑え、廊下に出た。
「ねぇ、ちょっと。」
部屋に向かって歩いていると、突然後ろから声がかかった。
全く気配を感じなかった事に驚きながら振り返ると、そこには同級生の浅黄結がいた。
「浅黄か……驚かせんなよ。」
「それは悪かったね。あんたに話しがあるんだよ。」
浅黄は鋭い目付きで睨み付けてくる。
「あぁ?何だよ?」
「あんたが何かしたんでしょ?」
凍りついた。
何故わかった、何を知っている………そんな思いでいっぱいだったが、何とか誤魔化そうとする。
「何かって何だよ?……つうか何の話だ?」
「誤魔化すんじゃないよ。富士崎の事さ。」
「はぁ?アイツは脱走したんだろ。宰相が言ってたじゃねぇか。」
「あれは嘘だね。」
強く確信しているような顔。
「………何でそう思うんだ?」
「あいつはそんなに弱い男じゃないからさ。………誰かさんと違ってね。」
一転、俺を蔑むような冷たい目付きをする。
頭に血が上るのを感じた。
「てめぇが俺の何を知ってるってんだ!?」
「少なくとも、惚れた女を口説く事もできずに恋敵の妨害に執心するような下らない人間だって事は知ってるよ。…………そもそも、アタシは別にあんたの事だなんて言ってないけどね。自覚はあるんだ。」
「なっ!……て、てめぇ!!」
そう言って掴みかかろうとしたがら逆に腕を取られて背中から地面に投げ出されていた。
そして心まで凍てつくような怒気を込めて囁く。
「良いかい、もし今回の件があんたの仕業であるという証拠が見つかれば、その時はただじゃおかない。」
「ぐっ………ど、どうしててめぇがそこまでアイツの事を…………」
「あんたには関係ないさ。今まではあいつが黙っていたから何もしなかったけどさ。もし富士崎の身に何かあれば………それがあんたの仕業であるとわかった時は…………殺してやる。」
その声音に俺は情けなく竦み上がってしまった。
その様子を見た浅黄は小さく鼻で笑って、何も言わずに立ち去って行った。
今でも忘れられないあの瞳、あの声。
本当に殺されるんじゃないかと思った。
頼む、富士崎。
頼むから死んでいてくれ。
頼むから…………もう二度と現れないでくれ。
胸にこみあげる一抹の不安を圧し殺しながら、俺は何度もそう願った。