第三話 緑川真冬
私、緑川真冬は幼馴染みの少年に恋をしている。
相手は言うまでもない。
富士崎根黒。
根黒に初めて出会ったのは、幼稚園の頃だった。
私はその頃から大人しい………いや、大人びた子どもだった。
子どもらしくないと言っても良い。
両親は海外への出張が多く、仕事が忙しいからと連れて行ってももらえなかった私は、必然的に一人で何でもしなければならなかった。
家には両親に雇われた家政婦しかいなかった。
その家政婦も両親と同様、私に興味を示す事はなかった。
だからだろうか。
私は幼稚園児にして、既に他人に不信感を持つようになっていた。
誰とも遊ぼうとしない私は、子ども達の無邪気な悪意に晒される事となった。
子どもの悪戯というのは、時として大人の虐めよりも残酷で非道だ。
私は毎日のように、虫の死骸を投げつけられ、頭から土をかけられた。
先生は妙に大人びた私を気味悪がって、積極的に助けようとはしなかった。
とても辛かった………気がする。
そんな日々が続くと、段々と自分が感情を無くしていくような気がしていた。
抵抗する気も起きず、誰にも助けを求める事はできなかった。
その日も同じように虐められるはずだった。
両手一杯にダンゴムシを乗せた男の子がニヤニヤと笑いながら近付いてきて、私の服の中に虫を入れようとしたのだ。
私は恐怖で声も上げられず、ただただ無言で泣いていた。
いつもならばこのまま抵抗もできずに虐められる。
しかし、その日は違った。
数人の子どもに取り抑えられて泣いている私を、彼が助けてくれたのだ。
彼は数日前にこの幼稚園に転入してきた子だった。
どこか腐ったような眼をしていて、私とは違った意味で子どもらしくない印象を受けた。
「ねぇねぇ、そういうの良くないと思うよ?」
「はぁ?いきなりなんなんだよ!」
「いや、だからさ。女の子の服に虫入れるとか、駄目だよね?」
「別に良いんだよ!こいつはいっつも一人だからな!!」
「………何それ?意味わかんないんだけど。」
彼は虐めっ子の言葉に呆れたような顔をした。
その反応に虐めっ子は逆上して、彼を殴った。
するとーーー
「いたっ………僕これ知ってる!正当防衛ってやつだ!!」
急にそんな事を言い出したと思ったら、彼は虐めっ子が落としたダンゴムシを拾って次々と投げ出したのだ。
自分で触るのは良いが投げられるのは嫌なのだろう。
虐めっ子達は喚きながら逃げ出した。
そして彼はふーっと息を吐いて私に向き直った。
「えっと………大丈夫だった?」
「…………ん、大丈夫。」
「そっか、良かった!」
私は、その笑顔を眩しく思った。
「………どうして、助けたの?」
「え?どうしてって………女の子には優しくしなさいって、お母さんが言ってたから。」
「そう………良いお母さんなんだね。」
「うん!大好きだったんだ!!」
その笑顔が羨ましくて、妬ましかった。
「………もう私に話し掛けないでね。」
「え?……どうして?」
「私、あなたの事嫌いだもん。」
彼は悲しそうに顔を歪めた。
「僕、何かいけない事しちゃった?」
「………あなたみたいな幸せな人には、私の気持ちなんてわからないよ。」
「………よくわかんない。」
とにかく早く彼と別れようと思った。
「もう良い、気にしないで。それより、もうそろそろお迎え来るんじゃない?お部屋に戻った方が良いよ。」
「僕、お迎え来ないよ?」
「…………なんで?」
「時間になったら一人で帰らないといけないの。」
「お父さんとお母さんは?」
「いないよ。」
急に、息が詰まったような感覚がした。
「………家にいないって事?」
「ううん、違うよーーー」
その時、彼はどんな顔をしていただろうか。
何故か、思い出す事はできない。
「ーーーお父さんもお母さんも、死んじゃったから。」
私は、これまでにないくらい酷く狼狽した。
「え、あ……えっ……と…………」
私が何も言えずにオロオロとしていると、彼は優しく笑った。
「でもね、今は新しい家族がいるんだ!」
話を聞くと、一ヶ月前に両親が亡くなって、彼は私の家の近くにある孤児院に引き取られたようだった。
新しい家族とは、その孤児院の人達だったのだ。
彼は楽しそうに新しい家族について話していた。
私はなんて愚かな子どもだったのだろう。
両親に放任されている?虐め?彼はその歳で両親を亡くし、一人で新しい環境を楽しもうと必死なのに。
そう思うと涙が溢れてきて、また心配させてしまった。
「だ、大丈夫?どこか痛いの?」
「……ううん、大丈夫。…………私、真冬。あなたは?」
そう聞くと、彼は安堵した表情を浮かべた後、ニカッと笑った。
「僕は根黒!よろしくね、真冬ちゃん!!」
これが、私と根黒の出会いだった。
それからはいつも一緒にいた。
根黒は私が虐められているといつも助けてくれた。
虫を投げたり、乾いた雑巾を敷いて滑らせたり、反撃の手段は男らしくはないけれど、私はそんな根黒に惹かれていった。
小さい頃、珍しくお母さんが絵本を読んでくれた事があった。
お姫様を助けてくれる王子様。
きっと私にとっての王子様は彼なんだって、本気でそう思った。
彼が両親の事をどれほど愛していたか、今では良く知っている。
だからこそ疑問に思った事がある。
どうして大好きな両親が亡くなったばかりなのに、あんなに元気だったのか、と。
それに対する解答はこうだった。
「だって、子どもは元気なのが一番だって、お父さんが言ってたもん!!」
とのこと。
小学生になると人前ではその元気な姿を見せなくなったけれど、楽しそうにしている時の顔は変わらない。
私はそんな根黒が大好きだ。
小学校で春香や秋人とも知り合った。
根黒以外の人をすぐに信じる事はなかったけれど、その二人は根黒が信じた人達だから。
だから私も、信じる事ができた。
でも、一つだけ困る事が起きた。
春香が根黒の事を好きになった事。
想い人が親友と同じなんて………。
最初はそう思った。
けどある日、春香が言った。
「私は根黒君の事が好き!大好き!………でも、同じくらい真冬ちゃんの事も大好きなの!!」
私も同じだった。
根黒の事も、春香の事も大好きだった。
だから二人で決めた。
負けても恨みっこなし。
親友との勝負。
私達の絆は、また一つ強くなった。
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異世界に来てから色々な事があった。
遂に春香が根黒に告白した…………しようとした。
けど、根黒はそれを聞かなかったらしい。
根黒の気持ちは理解していた。
向こうの世界にいた時から理解していた。
だから私は告白しなかった。
彼が望んでいるのが『幼馴染みとしての私達』だとわかっていたから。
その壁を壊す、勇気がなかったのもあった。
でも今は違う。
壁は壊れた。
私達の関係も変わる。
変わらざるを得なくなった。
だから根黒、早く戻ってきて。
そして、私の気持ちを聞いてほしい。
あんまり遅くなるようだったら、こっちから行ってやるから。