第八話 お届けものです
その日の朝、目を覚ました丈二が自室の雨戸を開けると、空はどんよりと曇っていた。
丈二はその天気にため息をつくと、他の雨戸も開けるためにパジャマのままで廊下へ出る。
帰国した当初は三人娘の目が気になって、まず着替えてから部屋を出ていた丈二だったが――一週間も立てばその気遣いに何の意味もないことに気付き、中庭側の窓でも躊躇うことなく開けていく。
何しろ三人娘の方がジャージだったりステテコだったりと残念な姿を晒しているのだから、裸でさえなければ十分だろう。
今日はどこの窓からも、三人娘の姿は見えない。
裏の畑で収穫作業でもしているのだろうと思いつつ、それ以上は気にかけずに台所へと向かう。
ここ二、三日はずっと馬加駅に買い物に出かけていたので、台所に設置した大型冷蔵庫は満杯になっている。
加工食品や冷凍食品で埋め尽くされた冷蔵庫から、丈二はヨーグルトと魚肉ソーセージ、それに昨日のうちに茹でておいたトウモロコシを朝食に選んだ。トウモロコシは三人娘からお裾分けされたもので、他にはトマトやキュウリなどが野菜室に入っている。
すごく美味しいとはいかないが、まあまあ甘いトウモロコシをシャリシャリと齧りつつ、頭の中で今日一日の予定を立てる。
当たり前の話だが、丈二は三人娘に翻弄されるために帰国してきたわけではない。表向きは日本の大学に通いたくなって、はるばる日本に帰国したことになっている。
実際は田舎で一人暮らしできれば十分であり、それは三人娘が出て行った段階で達成される見込みである(そもそも三人娘がいなければ、とっくに達成されているのだ)が――ここでの一人暮らしを続けるためには、半年後の大学受験は失敗できない。
……が、それ以前の問題として、どこの大学を受験するかから決めなければいけない。
丈二には行きたい大学があるわけでも、学びたい分野があるわけでもなかった。
もはや両親も兄も、自分に高学歴やMBA取得などは期待してはいないはずだが、かといってあまり偏差値の低い大学では彼らを納得させることができない。できれば今後のことを考えて、人生を生きやすくなるような資格や技能も欲しいところだ。
その条件を満たしつつ、この屋敷から通える大学を探す必要がある。
そうして物思いにふけりながら食事していると、気づけばヨーグルトまで平らげていた。
丈二は食器を手早く片付けると、ようやくパジャマを脱いで洋服を着る。脱いだパジャマは洗濯機に突っ込み、昨日着ていた洋服と一緒に洗う。
天気はあまり良くないが、丈二は洗濯物を廊下に紐を張って干しているので、雨を気にする必要はない。
未だに物干し台は見つかっていない。元々無いのか捨てられたのか、それともダンボールハウスに取り込まれているのか。
三人娘には聞いていないし、ダンボールハウスに踏み込むこともしていない。万が一骨組みに使われていた場合、トイレ事件の時のように悶々と悩まされる未来しか見えないからだ。
仮に物干し台が見つかったとしても、彼女達の行き来する中庭や裏庭に干すのは躊躇われる。
結局、丈二は洗濯物を日当たりのよい南向きの廊下に、紐を張って干すことになった。季節柄それでもよく乾くし、一人分の衣類しかないので、紐に負荷がかかりすぎるということもない。
ちなみに三人娘は洗濯物を、裏庭の木に張ったロープに干している。洗濯には汲んできた湧き水を使っているらしい。下着の類は見たことがないが、さすがに丈二の目を気にしてダンボールハウスの中にでも干しているのだろうか?
丈二よ、あまり気にするな。
「……今日も行くか」
丈二は今日の予定を、馬加駅へ出かけることに決めた。ただし買い物重視の昨日までとは違い、ネットが使える環境で受験に向けた調べものをするのが目的だ。
天気が悪いので雨が降るかもしれないが、ちょうど折り畳み傘しか持っていないので、帰りに長傘を買って帰ろう。行きしなに降られるのは勘弁してほしいので、早めに家を出たいところだ。
丈二はそれから一時間ほどかけて軽い掃除と洗濯を済ませると、鞄を手に取って玄関を出た。
――その玄関先に、道路の方を向いて仁王立ちしている椿の背中を見れば、丈二の平和な日常ごっこも終わりを告げる。
椿の二本のおさげが風に揺れている様が、無駄にかっこよく見えて苛立たしかった。
「……何してるの?」
「え? あー、お構いなく」
問いかける丈二に、椿は振り向いて素っ気なく答えると、すぐに道路の方へと視線を戻した。
丈二はてっきり出待ちでもされていたのかと思ったが、自意識過剰だったらしい。
ならば放っておくかと思って丈二が椿の脇を抜けたところで、前から一台の宅配業者のトラックが走って来るのが見えた。
トラックを見た瞬間に、丈二は玄関へと引き返す。この近辺には廃墟化した空き家しかないので、目的地は丈二の屋敷で間違いないからだ。案の定、トラックは屋敷の門の前に止まる。
丈二は判子を取り出すため、閉めたばかりの玄関の鍵を開けにかかる。
身に覚えはないが、アメリカからの追加の荷物だろうか?
「亀崎蜜柑さん宛ての宅配便です」
「はい、いつもありがとうございます」
――そうして丈二が鍵をあけている間に、荷物は椿が受けとっていた。
「は?」
運転手からダンボール箱を受け取る椿は、丈二には見せたことのないスマイルを運転手に向けている。
そしてトラックが走り去っていくと、彼女はダンボール箱を両手に抱え、裏庭に向かって歩き始めた。
「いや待て」
「何よ?」
「何よ、じゃなくて……そのダンボール箱は?」
「ああこれ? 普通にネット注文した食料品だけど」
そう言うと椿はダンボール箱を玄関前に降ろし、ガムテープをぺリぺリと剥がす。中には即席麵や缶詰などの、常温保存できる食料品が詰まっていた。
とりあえず家の住所が勝手に使われていたことが発覚したが、深く突っ込まないことにした。もともと就活中の蜜柑には、履歴書にこの屋敷の住所を書く許可を出しているのだ。
椿は屋敷のインターホンが押されないように、朝からトラックを待っていたのだろう。そうやって丈二に迷惑が掛からないようにしているのであれば、とやかく言うこともあるまい。
「あれ? でもどうやって注文したんだ? ここって携帯電話つながるのか?」
「ここはつながらないけれど、しばらく国道のほうに歩けば電波あるわよ。
――ま、これはずっと前にネットカフェに行った時に頼んでおいたんだけどね。到着日付をちょっとずつずらして、数日ごとに届くようにして頼んでおくのよ」
「なるほど。賢いな、それ」
ここ数日、買い出しのたびに大変な思いをしていた丈二には、彼女の買い物方法は参考になった。
三週間後にインターネット回線が引かれるまでの辛抱だと思っていたが、今日にでも頼んでおきたいところである。
丈二が素直に褒めると、椿は「でしょ?」と言って胸を張る。
「――で、その資金はどこから出てくるんだ?」
「…………」
続く丈二のツッコミには、彼女は答えずに視線を逸らした。
勝手に住所を使われていた件には目を瞑ってもいいが、こちらは絶対に看過できない。
彼女達にお金があるならば、今すぐにでも追い出そう。
「おい、まさか……」
「ち、違うのよ!? 貯金を切り崩してるの! お金なんて全然ないから!」
そんな丈二の剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、椿は慌てた様子で釈明を始める。
「ここで暮らし始めた時に、私達が持ってたお金を使ってるんだけど……三人合わせてもすずめの涙しかないからね? 部屋借りられるような金額じゃあなかったし、これだって配送料の掛からないギリギリで頼んでるんだから」
「それならまあ、出ていけとは言わないけど。自給自足の生活ってわけじゃなかったんだな」
「当たり前でしょ、畑の野菜だけじゃ生きていけないし。 ……ジリ貧だけど」
ジリ貧というより既に極貧だろう、という突っ込みは飲み込む。
なんだかんだあっても、こうして一人暮らしを許されているくらいには、丈二の家庭は裕福だ。貧乏を馬鹿にするような台詞は確実に彼女達からの嫌悪を誘発するし、それは丈二に突き刺さる。
椿は口を尖らせて「もういいでしょ!」と吐き捨てると、屋敷の裏へと引っ込んで行った。
「ジリ貧、か……」
椿の言葉に嘘偽りがないのであれば――本当に部屋を借りるには心もとないくらいのお金しかなく、それを切り崩して生活していたのであれば、そんな生活が長く続くはずはない。
三週間後には出ていく約束になっているが、そんな約束しなくても、遅かれ早かれ崩壊していたのだろう。
帰れる家のない少女達の行く末を気にしつつ、他人事ではない丈二も駅へ向かって歩き始めた。