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第七話 HATAKE〜楽園と地獄〜

 

 丈二は気をとりなおし、冷蔵庫を屋敷の中へと運び込む。

 購入したのはかなり大型の冷蔵庫で、あまりにも大きいせいで狭い玄関からは入らない。なので残念娘の手を借りて中庭側から搬入するしかなくなったのだが、手伝わせることへの罪悪感はない。

 むしろ業者に搬入してもらえば済むところを、彼女達のために丈二の手で運ばねばならなくなったのだから、感謝されてしかるべきだ。


 丈二が後ろ向きになって先頭に、杜松子ねずこが後について「せーのっ」で冷蔵庫を持ちあげる。そして余った蜜柑が脇をささえる。

 背が低いせいでうまく持てないのか、そもそも力が弱いのか。蜜柑は懸命にダンボールの下を支えようとはしているが、正直いなくても変わらないだろう。

 それを指摘してまた蜜柑箱に引き篭もられても嫌なので、丈二は黙って冷蔵庫を運ぶ。


 屋敷の横を通って進み、そしてコの字型の屋敷の先端部分までくると、ダンボールハウスが目に入る。丈二がこの角度でダンボールハウスを見るのは初日以来だ。

 よくよく考えたら残念娘達のせいで、裏山どころか庭すら探索できていない。電化製品を片付け終えたら色々と確認しなければと考えながら、コの字の先端を折り返してぐるりと回り――


 ――そしてさっそく裏庭に、見てはいけないものを見た。


「……………………」

「どうしました、犬飼さん?」

「……なんでもない」


 まったくもってなんでもなくはないのだが、丈二は開きたがる自分の口を必死に閉じて、黙々と冷蔵庫を運び続ける。


 今ではない、今ではないぞ。丈二よ、ここは我慢の時だ。いずれ言わねばならないが、今は冷蔵庫を運ぶのだ。

 あれは冷蔵庫の搬入よりも、きっと何倍も重労働だ。今ここで口を開いたならば、確実に今日一日分の気力を失う。それどころか冷蔵庫の搬入作業すら中断される。

 丈二よ、お前はこのあと玄関の家電製品だって片付けなければならないし、洗濯機の設置作業もしなければならない。嫌な仕事は後に回そう。

 どうせ、既に手遅れだ。


 丈二達は大窓の前で靴を脱ぎ、冷蔵庫を屋敷の中へと運び込む。杜松子と蜜柑は初めて入る屋敷の中を物珍しそうに眺めていたが――丈二は冷蔵庫を運び終えるとひとこと「ご苦労様」とだけ伝え、彼女達を中庭へと追い出した。


 それからはモヤモヤする気持ちを抑えつけ、黙々と家電製品を片付ける。

 そのまま夜中まで片付けていたので、この日はそれ以上残念娘たちとの接触はなかった。



 *   *   *   *   *



 そして、あくる日。

 丈二は朝一で玄関から外にでると、足音を殺して裏庭へと向かう。その顔にはうっすらとクマが浮かび、手には何故か赤のマジックを握りしめている。


 丈二は屋敷のわきを歩きつつ、幼い頃この屋敷に遊びに来た時の風景を思い出す。


 まず、中庭には洗濯物を干せるだけのスペースと、それに小さな池があった。池には数匹の鯉が泳いでいたが、それは祖母が入院した際に誰かに譲ったと聞いている。

 裏庭には祖父が植えたという木々があり、過去の時点でどれも老木に近かった。桃栗三年柿八年、八朔はっさくに温州蜜柑などの柑橘類も植えてあり――そういえば松や椿の木もあった気がする。


 …………。

 いやいや、さすがに偶然だろう。


 裏庭の奥側は狭い畑になっていて、更にその奥には裏山が見えていた。裏山の一部は竹林で、春にたけのこを掘ったことがある。



 そして、現在――



 中庭には巨大なダンボールハウスだけが鎮座している。

 池は間違いなくダンボールハウスの下敷きになっている。いったい内部はどうなっているのか? あと中庭には物干し台があった気もするけれど、丈二の記憶違いだろうか?

 かなり気にはなりつつも、今日の本題はこれではない。


 続いて裏庭を観察する。

 残念なことに、桃と八朔の木は既に朽ちてしまっていた。

 他の木は無事なように見えるが、長らく剪定されていないので見栄えが変わり、庭というより茂みといった印象を受ける。

 何とかしなければならないが、今日の本題はこれではない。


 そう、本題は裏庭と裏山の間にある畑。


「畑だ……」


 そこに初めて、昔と変わらぬ光景があった。

 土が耕されてうねがあり、野菜が等間隔に植えられている。背伸びをしているトウモロコシは、この朝一ぐらいに収穫したものが一番美味しい。朝露に濡れた真っ赤なトマト達が、競い合うように自身の存在を主張している。


 祖父母のいない、家具も残っていないこの屋敷の中で、畑だけが時間を止めていたかのように変わらぬ姿をとどめていたのだ。

 これが感慨深くないわけが……ある。


「あ、おはようございます犬飼さん」

「――っ! お、おはようございます」


 丈二が畑を眺めて呆然としていると、背後から杜松子と蜜柑の二人に声をかけられた。

 笑顔の眩しい杜松子に対し、蜜柑は丈二の剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、ビクビクしながら目を逸らす。

 これから畑の水やりをするのだろう。杜松子の手には水の入ったポリタンクが、蜜柑の手には象を模した小さなジョウロが握られている。


「これは君達が育ててるの?」

「はい! 最近ようやく収穫できるようになったんですよ!」

「へえー、そっか。良かったね」


 嬉しそうな声を上げる杜松子の言葉を、丈二はさらりと受け流す。

 てっきり怒られるとでも思っていたのか、妙に穏やかな様子の丈二の姿に、蜜柑が首を傾げている。


 文句を言いたいのは山々だったが、今日の本題はこれでもない(・・・・・・)


 もちろん、丈二がこの畑に一太刀浴びせられたことは間違いない。

 見た瞬間に憤慨し、一時は全て引っこ抜いてやろうかとすら考えたが……そんなことをして新たに野菜を植えた所でまったく楽しめないことに気づき、かろうじて思いとどまった。

 完全に丈二の泣き寝入りだが……もしもあのまま怒りに任せて引っこ抜いていたら、一生のトラウマになって二度と家庭菜園などできなかっただろう。そう考えると背筋が凍る。


 それに、今回は救いがあった。

 しばらく悶々として考えているうちに、丈二の傷はかなり浅いことに気付いたのだ。

 杜松子も言っていたが今は八月、春に蒔いた夏野菜の種が成長し、ようやく収穫できる頃合いである。植え付けに適した時期というわけでもなく、数日前に引っ越してきたばかりですぐ園芸に励みたかったわけでもない。

 そもそも丈二は日本の大学進学を理由に帰国したのだ、今年は大々的にやるわけにもいくまい。


 ならばこの楽園は笑って許そう。あと一ヶ月の辛抱なのだし、いっそ耕す手間が省けたくらいに思えばいい。

 残念娘がいなくなってから、冬野菜のニンニクでも植えてみよう。受験前に自分のニンニクで喝を入れるのも悪くない。



 本題は――丈二の骨を断つような一撃を浴びせた地獄は、畑の端にたたずんでいる。

 丈二はそこに向かって一歩踏み出す。



 一メートル四方くらいのスペースが、青いビニールシートで囲まれて、『W.C.』と書かれた看板が掛けられているその場所へ。



 丈二が数本歩いたところで、その目的地に気付いた蜜柑と杜松子が丈二の前に回り込んだ。

 二人は共に笑顔を作るが、顔に青筋がたっている。

 対する丈二は無表情だった。


「あ、あの、その、えっと!?」

「そうだ犬飼さん! 良かったらトマトはいかがでしょうか!? おすそ分けですっ!」

「……ねぇ二人とも、W.C.ってなんの略だか知ってる?」

「へ?」


 丈二の思わぬ質問に、二人はきょとんとして顔を見合わせる。


「わ、ワイルドカード?」

「あれ? そういえば何でしょうか? ワールドカップですか?」

「違うから。ワイルドカードでもワールドカップでもワシントンクラブでもないから」


 混乱する二人の間をすり抜けて、手に持っていた赤マッキーのキャップを外す。


「W.C.は Water Closet、水洗式(すいせんしき)トイレの略なんだ。

 ……つまり、これにWをつけるのは間違ってる」


 固唾を飲む二人の前で、丈二は手に持っていた赤マッキーでWに大きく×(ペケ)をつけた。

 その際ビニールシートの中から「ひっ」という椿の小さな悲鳴が聞こえた気がしたが、空耳だろう。

 

 踵を返し、それ以上は何も言わずに屋敷に戻る丈二の背中を、二人は目をパチパチさせながら見つめていた。



 *   *   *   *   *



 彼女達には、丈二がなぜ怒らなかったのかはわからない。

 丈二の中で、どれほどの葛藤があったのかも気づいていない。


 丈二だって本当は、すぐにでも撤去したかった。

 そんな所にトイレなんか作るな、肥料のつもりか、いったいどんな冗談なんだと怒鳴りたかった。


 だがしかし、思いついた代替案は、どうしても口にできなかった。


 トイレだけは別の誰かの土地に作れ。熊や猪がいるかもしれないけど裏山まで行け。片道三十分歩いて無人駅まで行ってこい。嫌なら出て行け。

 そんな口に出せば後悔しそうな選択肢を排除して、丈二に与えられた選択肢は二つしかなかった。


 このまま現状を黙認するか。

 それとも代替案として、屋敷のトイレを貸しだすか。


 屋敷のトイレを貸す――それは彼女達を信用して、丈二の聖域に受け入れるという決断だ。

 冷蔵庫の搬入を手伝わせるだけとはわけが違う。合鍵を渡すなり大窓を開けっ放しにするなりしなければならない。まさかトイレのたびにインターホンを鳴らしてもらい、丈二がつきそうわけにはいかない。



 今の丈二に、自分の家族すら受け入れられなかった男に、そんな決断ができるはずがない。



 進むも地獄、退くも地獄の状況で。

 昨日一晩悩んだあげく、それでもやはり退くほうを選んでしまった丈二の傷は、苦言の一つも言えないほどに深かった。

 

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