第五話 ライフライン
※馬加駅は架空の駅です。
「えっと……あ! そこの地域、つい先日に光回線がひかれたばかりですよ。良かったですね」
そう言って電気屋のネット契約専門コーナーのお姉さんは、丈二に営業スマイルを向けた。
「え、ええ。ありがとうございます」
丈二はやや引きつった笑顔でそう返す。
携帯の電波などなくてもWiFiを使えばいい――そんな風に考えていた丈二だったが、まさかネットまで使えない可能性があったとは思わなかった。おまけに日本ではADSL(既存の電話回線でインターネットにつなぐ方法)が過去の遺物とされ、新規契約ができなくなったと脅されては丈二が引くのも仕方あるまい。
曰く、丈二が住む地域の世帯数は年々減ってきているものの、近辺に乱立しているゴルフ場やホテルからの要望で光回線をひくことになったらしい。
丈二の父は故郷の森が切り拓かれてゴルフ場に侵食されていくのを嘆いていたが、そのゴルフ場に助けられた形になってしまった。
斬られたとまではいかないが、微妙にチクリと痛む話だ。
「では次に、工事についてご説明致しますね」
お姉さんは営業スマイルを絶やさないまま、丈二に契約の説明をつづける。
目の前のお姉さんは良かれと思って裏事情を教えてくれたのだろうが、その優しさがどうにも恨めしかった。
* * * * *
待ち時間二時間、乗車時間四十五分の移動を経て、丈二は終点である馬加駅に到着していた。そこは地方都市と呼ぶには小規模だが、それでもデパート、銀行、ホームセンターなどが駅から徒歩十分圏内に集まっている。
駅中のうどん屋で朝食のつもりだった昼食を済ませた後、丈二は一応病院に向かった。頭皮の傷の他には特に問題なしとなると、今度は電気屋に向かい――そして冒頭のやり取りに戻る。
ちなみに蜜柑はこの街には来ていないし、他の駅に向かった訳でもない。丈二にくどくどとお説教された蜜柑は「今日はもう無理」と言い残し、意気消沈した様子でダンボールハウスへと引き返してしまった。
確かに朝から駅で延々とお説教というのは、少しやりすぎだったかもしれない。丈二が同じことをされたならば、その日から二週間位は何かの拍子に思い出しては陰鬱な気分になる事だろう。いや、お説教の理由がアレでは二ヶ月は引きずるかもしれない。
そしてお説教した丈二自身も引きずりそうだ。
やってしまったものは仕方あるまい、明日には蜜柑がケロリと立ち直っている事を祈ろう。
明日以降も気にした様子を見せるならフォローを入れよう、我が身の為に。
それはさておき、銀行やホームセンターなどを一通り見て回った丈二は、見つけておいたネットカフェへと足を運ぶ。たった今ネットの契約をしたばかりだが、一ヶ月後の工事の日までは自宅でネットは使えないし、やはり検索や調べ物はスマホよりパソコンの方がやり易い。
ただし調べ物を始める前に、実家に無事に到着した旨のメールを送る。それとネット回線が引かれるまでは連絡がろくに取れないことも。
そして肝心のダンボールハウスについては……残念娘達が出て行く意思を見せている以上、今日のところは保留にしよう、取り敢えず。
――田舎、水道光熱費、家電、税金、CS放送、大学、自動車免許、秋野菜、予備校……
――ダンボールハウス、ホームレス、指名手配、椿、杜松子、亀崎蜜柑、野崎子供園……
一応残念娘の事も検索してみるが、成果はほとんど上がらなかった。
まず、『椿』で検索しても植物の椿や芸能人の椿さんなどが大量に引っかかってしまう。これは丈二も予想の内だったので諦めた。
兵庫の野崎子供園という孤児院は実在したが、孤児院が自分の所の出身者を晒すはずもなく、蜜柑が本当に出身者なのかはわからない。亀崎蜜柑で調べても蜜柑農園しか出てこなかった。
意外だったのは杜松子の検索結果で、世の中には杜松子というお酒の香り付けに使う木の実が存在するらしい。だからどうした。
少なくとも指名手配の賞金首ではなさそうなので、もうそれで良いだろう。
良いわけあるか!という真っ当な突っ込みの受け付けは、丈二の中でとっくの昔に終了させた。
丈二はネットカフェを後にすると、最後にスーパーで数日分の食糧を買い込み、電車で屋敷に帰宅した。
……という一言で済ませてしまうには、帰路は少し辛すぎる。
「お、重い……」
右手にスーパーのレジ袋、左手に雑貨の入った紙袋。背負う新品の鞄にはシャンプーやペットボトルなどが詰まっている。気温の下がり始めた夕方だし、何も白物家電を背負って帰ってきたわけではないのだが、それでもこれだけの荷物を運んでいれば汗もかこうというものだ。
重たい子供を背負って買い物に向かう、世のお母さん達のなんとパワフルなことだろう。スーツケースを持ってくれば良かったなどと、今更後悔しても遅い。
初日には自転車が欲しいと思ったが、ここの電車の本数と運賃を考えるとやはり車が必要だろう。アメリカで取った免許はそのままでは使えず、確か日本でもう一度試験を受けなければならない。
しかし丈二よ、車を買うとなれば今の仕送りだけではやや厳しいくないか? バイトでもしたいところだが、大学受験が半年後ではそれもできない。
それでも食糧確保のためには何らかの足が必要で――
「……ん? あいつらって、何食ってんだ?」
そこでようやく、丈二は気づく。
食事に限らず、残念娘達がこの地でどうやって生きてきたのか、まったくもって想像がつかない。
ホームレスとは本来、食糧の確保が容易な都会に住んでいるものである。
アメリカのホームレスと違って日本のホームレスは物乞いをする事は少ないらしいが、飲食店の廃棄食品を狙い、教会やNPO主催の炊き出しをもらい、ゴミの中からお金になるもの集め、そうして生活しているはずだ。
ネットカフェに寝泊まりしつつバイトに励む、身綺麗なネットカフェ難民と呼ばれるホームレスもいる。
では、あの三人娘は?
この田舎には物乞いする相手も炊き出しに来てくれる人もいない。ゴミもなければバイトの募集もないだろう。食糧の確保は困難で、丈二が帰国するまでは庭の水道の水も出なかったはずだ。
川で洗濯し、山できのこやたけのこでも採っているのだろうか? リアルなきのことたけのこについて、どっちが美味しいかを論じているのか。
――そこまでしてなんで犬飼家の中庭に住み着いた?
後半のよくわからない妄想はすべて疲れのせいにして、丈二は重たい荷物を抱えて帰路を歩く。
今残念娘達に遭遇したら、お駄賃を渡してでも荷物運びをさせるのに。
「あ、犬飼さんおかえりなさい」
そんな丈二の想いがうっかりと天に通じてしまい、丈二は残念娘の一人、杜松子に遭遇してしまった。
出会った場所は駅から十分くらいの場所にある国道を横断する交差点で、考え事をしていた丈二は国道の方から来た杜松子には気づいていなかった。
これ幸いとばかりに丈二は杜松子に荷物を持たせ……ることなどできはしない。
それには心情的な理由ではなく物理的な理由がある。
杜松子の手には二十リットル入りのポリタンクが、それも左右の手に一つずつ握られていた。
中身の液体の色は見えないが、おそらくどこかの公園で汲んだ水だろう。水泥棒云々はさて置いて、ポリタンク二つで単純計算して計四十キロ。
明らかに丈二の荷よりも重い。
「今朝は蜜柑さんが変なことを言ったみたいですいません。実は戻って来てからその話で椿さんにも怒られまして」
「ああ、うん……」
今朝は杜松子に露骨に避けられた気がしたのだが、今回は彼女は普通に丈二の隣を歩く。
これは蜜柑へのお説教の効果が良い方向に出ているのだろうか?
ただ、出来れば今は勘弁して欲しい。
その重たいはずのポリタンクを何でもないように持ちながら、平然と丈二に話しかけるのはやめくれ。自分のひ弱さが身にしみる。
丈二は全身汗だくで、いい加減ひと休み入れたいという衝動にかられている。しかし涼しげに歩く杜松子の手前、見栄を張らざるをえなくなった。休むのに良さそうな日陰を見つけても、その場を恨めしく見つめるだけで通り過ぎる。
「それで、蜜柑さんは落ち込んで箱の中に引きこもっちゃったんですよ。これ以上は蜜柑さんが立ち直れなくなりそうなので、できれば……」
「わかった、もう言わないよ」
なるほど、杜松子は蜜柑のためを思い、丈二に釘を刺しにきていたらしい。言われるまでもなく丈二はこれ以上蜜柑を責めるつもりはなかったし、むしろさっさと立ち直ってもらわないと丈二が辛い。
正直この話題を続けるのも億劫なくらいなので、丈二は話題を変えることにした。
「ところでそれ、重たそうだけどどこかの水か?」
「慣れればそんなに重たくもないですよ? 一日に何往復もしてますからね」
そう言って杜松子はダンベルを持ち上げるようにポリタンクを上下して見せる。
本当にとても軽そうに見えてしまうが――その肘が曲げられた時に上腕二頭筋が気高い山を作り上げた瞬間を、丈二は見逃しはしなかった。
「でも公園の水って、そんなにとっても平気なのか?」
「え? ああ、これは犯罪じゃないですよ!? そこの国道沿いに湧き水が汲めるところがあるんです」
「へー」
どうやら水泥棒ではないらしい。それが今更なんだというのか。
今のところ被害届は出してないが、病院の診断書はしっかり貰ってきている。少なくとも病院での検査費用は彼女達に請求するつもりだ。
まあ、その話は今切り出すこともないだろう。
ともあれこれで、残念娘達の生態の一つが明らかになった。生きていくうえで一番必要は水は、湧き水を確保して使っていたのだ。
それにしても、近所に湧き水が湧いていたとは風情があって素晴らしい。日本に着いてからようやく明るい話題に出会えた気がする。
「湧き水って美味しそうだな」
「はい、ちょっと硫黄臭いですけどおいしいですよ。……それと、雨が降らなければ?」
「うん、それって絶対美味しくないよね?」
たいして明るい話題でもなかった。
丈二はその場で飲料水だけは庭の水道水を使用していい事に……というより絶対に湧き水は飲まず水道水を飲めと命令を出した。
日本の水道代はアメリカよりは少し高いが、それでもたいした金額ではない。
少なくとも、三人娘が湧き水に中って残念な最後を遂げるよりはマシだ。今彼女達に死なれたら、丈二も世間的にただでは済まない。
「ほ、本当にいいんですか!? ありがとうございます!」
杜松子はそんな丈二の憂いを知らず、キラキラとした笑顔でお礼を言う。やはり湧き水は嫌だったのか。
その瞬間、急に手荷物が重さを増して、丈二を押しつぶそうとするのだった。