第二話 槍と棍棒とバトルアックス
転げるようにしてダンボールハウスの中から飛び出してきたのは、三人の若い女性だった。
ただし飛びかかってきたわけではなく、今は立ち止まって三者三様の顔で丈二を見ている。
一人は怒り心頭という顔で丈二を睨む、髪を二つに縛った眼鏡の女だった。背は身長170㎝の丈二よりもほんの少し低く、おそらく年齢は丈二と同じ十代後半くらいだろう。髪は毛先半分が茶色く、以前染めていたのをそのままにしているらしい。
黒のセーラー服でも着ていれば文学少女に見えるだろうが、その服装は白いシャツにステテコだった。
今は丈二から距離を取り仁王立ちしているが、眼鏡の奥のその眼光は鋭い。
一人はひどく怯えた表情の、一番年上に見える女性だった。身長は丈二を少し上回り、そして発育が良いのは背丈だけではないようで、胸も他の二人よりもひと回り大きい。背中まである長い黒髪を今はゴムで縛っている。
ゴムを解いてドレスでも着ていれば良家のお嬢様といった印象を受けただろうが、その服装は白いシャツにステテコだった。
一度は他の二人と共に飛び出してきたものの丈二を見るや否やダンボールハウスの影に隠れ、顔半分だけ出してこちらを不安げに覗いている。
一人は無表情で頭がぼさぼさの女の子だった。童顔で線が細く、丈二よりも年下だろう。身長は小学生だとすれば高いほう、中学生だとしたらだいぶ低い。一見ものぐさに見えるボサボサのショートヘアは、きつめの天然パーマなのかもしれない。
失礼な話だが、丈二は白いシャツにステテコという彼女のいでたちが他の二人よりもずっと似合っていると思ってしまう。
一見すると丈二の事を冷静に見つめているが、右手にお玉、左手に鍋の蓋、頭にお鍋本体を装備して、他の二人を守るようにして前面に出ている。
なるほどダンボールハウスにしては大きいと思ったら数人で住んでいたのか――などと得心している場合ではない。武装した背の低い女の子がじりじりと丈二のほうへと近づいてきている。
丈二は慌ててスマホを懐へとしまい、竹ぼうきを槍の様に構えて威嚇する。
リーチでは丈二に分があるものの、竹ぼうきは槍としては重心が先端に寄り過ぎている上、空気抵抗もかなり大きい。攻撃速度では到底お玉には勝てないだろう。
いっそ手放して素手になった方が戦いやすいかもしれないが、丈二は槍を構えて動かない。武器を持った敵と戦うのに、割り切って得物を手放すのは簡単な事ではないからだ。
しかし女の子も丈二の間合いに入る手前で立ち止まり、ジト目で見つめるばかりで動かなくなった。竹ぼうきのトゲトゲはシャツにステテコという薄着に対しては一撃必殺に近い破壊力を持っているため、迂闊に丈二の懐に飛び込むような真似はできないのだ。
さらに彼女は背が低い分腕も短く、丈二に一撃浴びせる為にはさらに二歩三歩と踏み込まねば足りない。
そうしてお互いに動けないまま、緊迫した睨み合いが続き――一匹の蝉が二人の間を通り抜けてダンボールハウスの壁に取りついた。
カナカナカナカナカナカナカナカナカナ……
ダンボールハウスに取りついたヒグラシのどこか物悲しい求愛の声に、丈二は正気を取り戻す。
丈二、お前はいったい何をしているのだ。そもそもどうしてこうなった。
ああそうだ、丈二がホームレスの家を勝手に撮影した事がばれて、彼女達はその事に怒り狂って飛び出してきたのだ。普通ホームレスといえば都会に住んでいる(?)ものなのに、こんな房総の田舎に隠れているくらいだ。写真を撮られたり、あまつさえSNSに載せられる事など許せないのだろう。
しかし丈二に一切の非はない。何しろここは丈二の家で、証拠を撮るために自宅の中を撮影したに過ぎない。確認するまでもなく、非は不法滞在者であるホームレス達にある。
いや、そもそもこんな美少女達が本当にホームレスなのだろうか? 子供の秘密基地ごっこの延長で、ここを溜まり場にしているだけかもしれない。
とにもかくにも今一番の問題は、おそらく彼女達が丈二がこの家の主である事を知らない事だ。
丈二の事を女の園に踏み込んできた変質者か何かだと思っているのなら、屋敷の主だと伝えれば話し合いで解決できる。
たぶん。
なのでまず闘う意思がない事を伝えよう。
そう思った丈二は竹ぼうきの先端を地に下げて構えを解き、停戦交渉を始めようとした。
「あー、ちょっと待ってくれ。俺は……」
――それは、臨戦態勢の敵に対して大きく隙を見せる行為であり、
「隙ありっ!」
「がっ!?」
女の子は隙だらけになった丈二の姿を勝機と見てその懐に一気に踏み込み、得物を下から上へとすくい上げる。
その武装はお玉やお鍋という冗談みたいなものだったが、しかし丈二の顎にクリーンヒットしたおたまには、丈二の脳を強く揺らして意識を刈り取るだけの威力があった。
* * * * *
「丈兄、日本の大学を目指すのはともかくお婆ちゃんの家に住みたいだなんて、本気? 正気?」
「本気で正気で常軌だよ。凛はお婆ちゃんちに遊びに行くの嫌だったのか?」
「そりゃあ、そう言われたら楽しかったけどさ……」
それは日本に来る少し前の記憶。
そうやって妹に嘘を吐いた記録。
確かに田舎への憧れはあるが、そんなのはただの後付けの理由でしかない。
「本当にそれが理由?」
「――もちろん。日本に、日本の田舎暮らしに憧れただけ、それだけだよ」
そう言って、胸中の泥は呑み込んで、丈二は微笑みながら妹の鋭い問いに返答する。
両親は丈二の想いに理解を示し、日本行きをすぐに許可してくれた。
兄も優しく見送ってくれた。
妹は寂しがってふて腐れてくれた。
裕福な家庭に生まれた、ごく平凡な次男坊は。
自己嫌悪に苛まれながらもその場所を離れ、日本に向かう飛行機に搭乗した。
* * * * *
「……うぅ、ん?」
丈二が目を覚ました時、目を開いても真っ暗だった。頭があまり働かないが、どうやら蒸し暑さと顎の痛みに目を覚ましたらしい。
ジンジンと痛む顎に無意識に手を伸ばそうとして、その手が何か硬くて軽いものを触って動かすと、丈二の視界に光が差した。
そこでようやく大地に倒れた自分の上に、ダンボールが布団のように被せられているのだと理解した。丈二がダンボールを払い退けると、夏の強い日差しが丈二の顔を照りつける。
おそらく先ほどの少女たちが丈二にダンボールを掛けたのだろう。確かに直射日光のもとに放置されるよりはマシなものの、せめて日陰に移動させるくらいの事はして欲しいものだ。これではダンボールの下が暑すぎて、熱射病になってもおかしくはない。
丈二は顎をさすりながら上体を起こす。
後頭部にも痛みを感じて手を伸ばすと髪に濡れた感触があり、確認すると血が出ていた。
一瞬ヒヤリとして焦った丈二だが、どうやら倒れ込んだ時に頭皮を切ってしまっただけの様だ。出血も今は止まっている。
一応頭の怪我なので、早めに医者に行くのがいいだろう。それにも電車に乗らなければならないが。
丈二は冷静を装いつつ周囲を見渡す。
――と、屋敷の軒下に、先ほど戦った女の子が体育座りをしているのが見えた。彼女はうつむいて顔を膝に埋めたまま動かないので、あの体制のまま寝ているのかもしれない。
あとの二人の姿も探すが中庭や裏庭には見当たらない。ダンボールハウスの中にいるのか、それとも外出しているのかはわからないが、今のうちに逃げるのが賢明か。
丈二は女の子の様子を伺いながら撤退を始め――しかし彼女のすぐ横に置かれているスマホを見て足を止めた。嫌な予感がして自分の体をまさぐるが、やはり懐にしまったはずのスマホが何処にも見当たらない。となればあそこにあるのが丈二のスマホなのだろう。
このあと家族や警察と連絡を取るのにスマホだけは回収しておきたい。
女の子は既に武装を解いていて、相変わらず俯いた体育座りの姿勢で動かない。
覚悟を決めた丈二はゆっくりと、音を立てないように女の子の方へと進んでいく。うっかり足元の小枝を踏むようなこともなくそろりと近づき、そして地面のスマホへと手を伸ばし――
「うぇっ、うぅ……ひっく」
そこで女の子が小さく嗚咽していることに気づいて手を止める。
どれほどの間そうしているのか時々肩を震わせて、抱えている膝には涙の染みが広がっていた。
何に泣いているのかはわからない。こんな場所に住み着いるのだ、彼女達にも何らかの事情はあるのだろう。あるいは丈二を傷つけた罪で少年院に入れられるのではと恐れているのかもしれない。
ここはひとつ男としてハンカチでも差し出して相談にのるべきではないか……などと一瞬でも考えてしまった自分が恨めしい。
落ち着け丈二、見た目に騙されるんじゃない。お前の目の前にいるのは不法侵入者にして自分をノックダウンした犯人だ。可愛い女の子だと判断がおかしくなるのであれば、これが汚いおっさんだったらと想像してみろ。
今、シャツにステテコの汚いおっさんが膝を抱えて泣いている。丈二を殴り飛ばしてスマホを奪った汚いおじさんが泣いている。どうだ丈二よ、これでもまだこのホームレスおじさんに救いの手を差し伸べたいと思うのか。ならばお前は聖人だ、神父になるべく神学校の門を叩くがいい。
……ああ、それもいいかもしれない。
カトリックの神父は親に反対されると思うが、プロテスタントの牧師なら許可を得られるだろうか。
そんな風に妄想が明後日の方へ飛んでた丈二の右手を、泣いていた汚いおっさん――女の子が不意に握った。
たいした握力ではないものの、ぎょっとして真っ白になった丈二は手を引き抜くことも忘れて固まる。
対する女の子の反応は鈍い。
「……ふぇ?」
本当はスマホに手を伸ばそうとしたのだろう。予想とは違う感触に女の子が顔を少し上げて右手を確認し、そのまま視線を丈二の腕、肩とずらしていく。最後に丈二の顔を見る。
「――っ!? お、おば、おば……ゾンビッ!?」
口をパクパクさせながら、みるみる顔を青くしていく。あまりのショックに丈二の手を放すことも忘れているらしい。
「蜜柑さん、気分はどうですか?」
「穴掘り終わったけど、変質者の死体はどこにや――」
そこへ残りの二人、長髪の女性とおさげ眼鏡の女が屋敷の陰から現れた。二人はそれぞれシャベルとスコップを装備して、腕や顔を土で汚している。
そして二人とも丈二の顔を見るなり立ち竦み、青ざめた顔で丈二を見つめる。
丈二は状況を整理する。
彼女達は頭から血を流した丈二を見て、変質者をうっかりと殺してしまったという勘違いをした。
なのでせっせと穴を掘っていた。
それはつまるところ――ああ、これは丈二が聖人でも見逃せない。
丈二は生唾を飲み込んで喉を鳴らす。
得体のしれない恐怖と怒りが込み上げて来るが、ここで丈二がわめいたり怒鳴りつけたりしようものなら彼女達が驚きのあまり失神してもおかしくはない。
いや、失神してくれるなら丈二に害はないが、錯乱して反撃されるのは本当にまずい。なにしろゾンビと言えばスコップ、スコップと言えばゾンビだ。お玉ですら武器たり得たのだから、スコップは本気で丈二の命が刈り取られかねない。
何を差し置いてもゾンビ疑惑を解いて、おさげ眼鏡の女からスコップを手放させるのだ。
「……えっと、初めまして? この屋敷の主人の犬飼丈二と申します。生きてます」
丈二は不器用に笑顔を作り、そして努めて冷静に、遅すぎる自己紹介を告げるのだった。