表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/21

第十五話 原因と結果


 夕方、丈二が窓際を歩いていると、帰宅する蜜柑の姿が見えた。

 それを見て、丈二はホッと息を吐く。


 椿と杜松子が調理を終え、ダンボールハウスに戻ったのがつい先ほど。料理はまだ温かいだろう。

 電車の本数が少ないので、帰りはこの時間になるはずだとは聞いていたが、それでも少し心配していた。


「蜜柑さん、お勤めご苦労様です」

「杜松子、それだとムショ帰りの組長みたいじゃない。……おかえり蜜柑、ささ、入って入って」

「え? え?」


 気になって中庭の方を覗いてみれば、待ち構えていた椿と杜松子が、蜜柑をダンボールハウスへと引き込んでいく様子が見える。


 彼女達の姿が見えなくなった後、丈二は中庭の雨戸を閉めた。

 無論、丈二は蜜柑の慰労会には参加しない。


 それよりも、ついさっきまで二人に台所を貸していたので、これから自分の夕食の準備をしなければならない。

 台所に向かい、まずは冷蔵庫を開けて。


「……使いきれるかな、これ」


 冷蔵庫から漂ってくる香ばしい匂いに、なんとも言えない顔で頬を掻いた。



 *   *   *   *   *



 本が売れないと言われる時代に、レシピ集ほど進化した本もないだろう。インターネットの普及によって、料理レシピはネットで調べるのが主流になったからだ。

 そのため最近のレシピ集は、かつての幅広いレシピをカバーした実用書的なものではなく、独特のコンセプトや美麗な写真が追求された芸術作品ようになり…………といった話はわきに置いといて。


 椿と杜松子が用意したのはシンプルな料理、ステーキだった。

 ここではクッキンパッドは使えないし、レシピ集なども所持していない。そして椿も杜松子も料理経験はほとんどなく、難しい料理は作れない。

 そこで、とりあえず焼けば何とかなるだろうという理由から、二人はステーキにしようと考えたらしい。


 丈二は彼女達に、スーパーの特売肉を買ってきてほしいと頼まれていたが――丈二は二人に安い肉を上手く焼く技術はないだろうと見越して、精肉店の少しだけ良い肉を買ってきてやった。


 それから二人は屋敷の台所を借りて、蜜柑慰労会の準備を始めたのだが……ステーキ用のオニオンソースは、実は丈二が作ったものだったりする。

 椿も杜松子も作り方を知らず、丈二もステーキソースの存在を忘れていた。二人がもう塩コショウでいいか、と話していたのを耳にして、丈二が作ってみると名乗りを上げたのだ。


 何しろ実家が日本料理屋なので、子供の頃から厨房に立っていた丈二の料理能力はプロ並み…………なんてことは一切ないが(子供が厨房に立つわけがない。そんな特技の一つでもあったなら、丈二はもう少しマシな人生を送っていただろう)、それでもコンビニも飲食店もないこの土地で、自炊していける程度には料理ができる。


 ステーキソースは専門外だったが、取りあえず玉葱をすりおろして炒めて、調味料で味を整えれば何とかなるだろう。そんな風に考えて、なんども味見しながら強引に作り――



 ――結果それっぽいソースは作れたものの、調味料を足していくうちに凄い量になってしまったオニオンソースが、冷蔵庫の中央に鎮座することになった。


 冷蔵庫を開ける度に拝むことになるそれは、どこか仏壇のお釈迦様を彷彿とさせた。



 *   *   *   *   *



 その翌日。


 昨日よりも早い時間に、再び丈二の家のインターホンが鳴らされた。

 それも今回は、一度ではなく連打である。


 丈二が一体何事かと飛び出せば、玄関前に居たのは椿ひとり。


「お前、こんな朝に――」

「ごめん、蜜柑は!? ここに来てない!?」

「い、いや、来てないけど…………って、居なくなったのか!?」


 こんなに狼狽した椿を見るのは、初対面の時以来だろうか?

 寝癖もそのままに詰め寄る彼女に、丈二はたじろいで一歩後ずさる。


「朝起きたら居なくってて、畑とか蜜柑箱とか、居そうな場所には見当たらなくて!」

「し、仕事に行ったんじゃないのか? いつもこのくらいの時間に出て行くだろ?」

「財布も定期券もプリペイド携帯も、置きっぱなしで残ってるのよ!」

「喧嘩は?」

「してない!」


 裏庭の方から、杜松子が蜜柑の名前を叫ぶ声が聞こえる。一人で畑の周りを探しているらしい。


 出勤でもなく、喧嘩して家出というわけでもないならば、蜜柑はいったいどこへ消えたのか?

 ――急病で茂みの陰に倒れているのかもしれないし、事故や事件に巻き込まれた可能性だって否定できない。


「……わ、わかった! 俺も探すのを手伝う」


 この緊急事態に、無視して屋敷の中でくつろいでいられる丈二ではない。

 慌てた様子の椿に、護身用にと藪漕ぎ用の鉈を渡し、杜松子と一緒にもう一度周辺をよく探すようにと言い聞かせた。

 そして丈二は素早く身支度を整えると、竹箒を手に敷地を出て、公道沿いに走り出す。


 この辺りには丈二の屋敷を除くと、廃墟化した民家くらいしかない。携帯電話の電波も届かない。

 端的に言って、人さらいにはもってこいの場所である。

 特に、最近働き始めた蜜柑なら、人目につく機会もあっただろう。最悪の事態を想定しないわけにもいかず、竹箒を握りしめる。


  丈二は走りながら、蜜柑が廃墟化した民家の中に連れ込まれている可能性も考えた。

 念のため近くの廃墟の中も、軽く覗きながら公道を走り――

 

「――っ!?」


 ――そして何番目かに覗き込んだ空き家の、外に設置された物置きの中。

 少し隙間の開いたその中に、人間の素足らしきものが見えた。


 丈二の背筋を、冷たいものが通り抜ける。


 ただの人形やマネキンの足か、それとも人間の足なのか。

 人間の足だったとして――生きているのか、それとも死んでいるのか。


 丈二はその家の庭に侵入し、物置きに向かってゆっくりと近づき……


 と、次の瞬間。

 足音に反応したのか、足が押入れの奥に引っ込んだのを目撃した。

 やはり、作り物ではなく人間の、それも生きた人間の足らしい。


「…………」


 丈二は周辺をよく確認し――そして急激に脱力した。

 物置きは狭く、中に二人以上入っているようには見えない。周囲を見渡しても不審者の姿などもない。

 そして何より……物置きの手前に、蜜柑が普段履いているスニーカーが綺麗に揃えられている。

 誘拐でも監禁でもあるまい。


 丈二は物置きに到着すると、力任せに開け放つ。


「ひぅ、ごめんなさい!」

「……いや、何してるの?」


 案の定、物置きの中の蜜柑には怪我した様子もなければ、紐で縛られているわけでもなく。


「い、犬飼さん? ……お、おはようございます」


 いつものTシャツにステテコ姿で膝を抱えていた蜜柑は、まるで悪戯して物置きに閉じ込められた子供のようで。


 丈二はシリアスな展開があっさりと終了し、深く大きなため息を吐いた。



「いや『おはようございます』じゃないって。蜜柑が急に居なくなったって言って、あいつら心配して探し回ってるぞ」

「うぅっ……」

「というか、この廃墟は危なくないか? ボロボロだし、そこの壁なんか今にも崩れそうだけど」

「――もん」

「え、何か言ったか?」

「いえ、何でもないです」


 椿と杜松子の二人は今も、蜜柑を心配して探し回っているはずだ。

 丈二は蜜柑を確実に連れ帰るべく、物置きの前で蜜柑が出てくるのを待つのだが……しかし彼女は、中々物置きから動こうとはしない。


 だんだん待つのが面倒になってきた丈二だったが、しかし蜜柑を強引に引っ張り出すのも気が引けて、もう少し言葉を重ねることにした。


「それで、こんなところで何してたんだ?」

「その……ちょっと考え事を」

「仕事は?」

「…………」

「サボったのか?」

「…………」


 蜜柑は無言のまま小さく頷くと、その目を徐々に潤ませる。


 丈二の人生で、初めて女の子を泣かせた瞬間だった。

 無論、女の子を泣かせた時の対処方法などわからない。


「あー、確か建設業だったって? そりゃ、蜜柑には辛そうな職場だよな」

「…………」

「えっと、具体的にはどんなことするんだ?」

「……………………電話」


 蜜柑は暫く押し黙った後、ポツリと呟く。

 なるほど、電話当番か。それなら非力な蜜柑にもできそうだ。



 ――いや待て、本当にそうだろうか?

 ただ普通に電話をするだけの仕事にしては、ここ最近の蜜柑は誰の目にも疲れて見えた。

 今日に至っては、会社をサボっているのだぞ?


「えっと、電話ってもしかして……クレーム対応とかの辛いやつなのか?」

「――っ!」


 蜜柑は一瞬肩を震わせた。丈二は図星かと思ったが、しかし彼女は小さく首を振る。


「じゃあ、どんな仕事なんだ?」

「…………電話を、かけるの」

「かけるって、誰に?」


 蜜柑は喋りたくないのか、再び押し黙るが――今度は丈二も黙って蜜柑を見つめ続ける。

 ここで誤魔化してはいけない、そんな気がした。


 この我慢比べに負けたのは蜜柑の方で、「誰にでも」と呟いて、そしてついに喋り始めた。


「大きな家とか、会社とか、病院とか薬局とか、あっちこっちにマンション買いませんかって電話をかけて…………反応が良かったら、すぐに偉い人と電話を代わることになってるけど……でも、だいたい嫌がられて。そんな人、全然居なくて…………」


 話しながら、蜜柑はついに、ポロポロと涙を流し始めた。




 ワンルームマンションの電話勧誘。


 誰にでも見境なく電話してくるという点で、この国で最も迷惑な、憎まれている仕事かもしれない。


 詐欺紛いなものが多く、素人がホイホイ買ってしまうと、あとで騙されたと泣くことになる。

 買わない人も度重なる電話攻撃に、貴重な時間と心の平穏を奪われる。

 本当に、誰からも感謝されない仕事の代表格。




 しかしそれが、丈二に『性風俗禁止、一ヶ月以内に独立しろ』という無茶な条件を突き付けられた蜜柑にも、なんとか見つけることのできた仕事だった。




 この一太刀はこれまでで一番深く――そして古傷を丁寧に抉りながら――丈二の体を切り裂いた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ