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第十四話 風雲急を告げず

 

 夜、丈二は布団の上に寝ころびながら、スマホの画面に表示された時計を眺めていた。

 と、次の瞬間、時刻が23:59から0:00へとかわる。


 寝る直前のスマホは安らかな睡眠の妨げになる……というお小言は今は置いておくとして。

 重要なのは今日が終わってまたひとつ九月に近づき、引っ越しからもうすぐ一ヶ月になるということ――彼女達が中庭から出て行く日が近いということだ。


 丈二はついこの前まで、三人娘が本当に出て行くのか疑っていた。なんだかんだと理由をつけて、居座られるのではないかと思っていた。

 しかし蜜柑が就職し、中庭に散乱していた彼女達の私物の数も徐々に減っているように見える。もう少し居させてくれとも言ってこないし、裏庭の畑に新たな作物が植えられる様子もない。

 残念な少女達との一つのきの下の生活は、もうまもなく終わりを迎えるらしい(・・・)


 らしい、というのは丈二がきちんと確認していないという意味で、丈二は初日に「とりあえず一ヶ月の猶予を与えるから、それまでに自立しろ」という旨の話をしたっきり、その後の進捗などは聞いていない。

 そもそも一ヶ月という期間が曖昧なもので、三十日なのか三十一日なのか、あるいはサバを読んで四十日くらいなのかもわからない。その辺りは彼女達がどう解釈したのか次第だ。


 ――ただ、具体的な日時はわからないが、そんなに遠い日ではないのだろう。


「……喉、乾いたな」


 丈二はのっそりと起き上がると、廊下に出て台所へと向かう。


 廊下は寝室よりも涼しかった。人の出入りができる中央の大窓は閉めてあるが、いくつか小窓は風通しのために網戸の状態で開けてある。

 それらの小窓からはダンボールハウスの側面しか見えないので、開けておいても変に三人娘の様子を覗き見てしまうこともない。


 普段は気にも留めないそんな小窓に、今日は人の影が映ったのに丈二は気づいた。

 どうせ三人娘の誰かだろうとは思いながらも、一応確認のために窓の外を覗く。


 案の定そこにいたのは三人娘の一人、蜜柑だった。相変わらずのシャツにステテコという残念な姿で、家の壁にもたれかかってぼーっと空を眺めている。

 田舎の夜空は綺麗だろう……と丈二もつられて空を見上げるが、曇っていて星はまったく見えなかった。


「蜜柑、そこで何してんだ」

「……特に、何も」


 窓越しに話しかけた丈二に、蜜柑はさして驚いた様子もなく小声で返す。


「いいけど、蚊に喰われるぞ」

「……そうですね。もう戻ります」


 またポツリと呟くように話した後、蜜柑はダンボールハウスの入り口の方に歩き始めた。

 丈二も小窓から離れ、再度台所へと足を向ける。



 ――と、丈二はそこで、自分の驚くべき行動に気づいて立ち止まる。


 前は窓の外に三人娘を見かけても、話しかける様なことはしなかった。というよりできなかった。

 それがたったいま、特に躊躇うこともなく、窓越しに蜜柑に話しかけたのだ。

 国境をまたいでまで逃げてきた丈二にとって、これは驚くべき変化である。

 思えばジュクジュクに膿んでいたはずの大傷の痛みすら、最近は思いだすことも少なかったのではないか。


 ……あまりにも彼女達が残念過ぎて、気遣うことすら忘れただけかもしれないが。

 …………次から次へと小さな傷を付けられ続け、そっちの痛みが気になって仕方ないだけかもしれないが。


 それでも、丈二は彼女達に――


「そういえば……頭の治療費、請求してなかったな」


 ――感謝する気はまったくなく。


 餞別として病院の領収書は捨ててやるか、というのが丈二の中での落とし所だった。



 *   *   *   *   *



「おはようございます。犬飼さんって、今日は街に行く予定ってありますか?」


 翌日、朝一で丈二の屋敷の呼び鈴を押したのは、椿と杜松子の二人だった。

 杜松子は屋敷から出てきた丈二に、開口一番でそんな質問をする。


 彼女達がこうして呼び鈴を押して丈二を呼ぶことは滅多にない。今までに呼び鈴を押したのは、野菜のお裾分けの時くらいか。


「どうかしたのか?」

「いえいえ、たいしたことではないんですけど……もし街に行くんなら、帰りに食材を買ってきてもらえないかと思いまして」

「食材って、蜜柑に頼まなかったのか? 今日も仕事だろ?」

「その蜜柑を励ますための食材なのよ」


 椿は頬を掻きながら、引き継ぐようにして事情を説明する。


「蜜柑が最近、あまり元気ないっていうか……ボーっとしてることが多くて。たぶん仕事が大変なんだと思うんだけど、だったら何か精のつく食べ物でも食べさせたいなって思ってさ。

 ただ電車代だって馬鹿にならないし、私も杜松子もあんまり人目につくところには行きたくないし……」

「なので、もし丈二さんが街に行くなら、帰りに何か買ってきてもらえないかなって思ったんです」


 困り顔の椿に、あくまで笑顔の杜松子。

 二人の頼みごとの内容に、丈二は少し驚いていた。


 彼女達にこういう直接的なお願いをされるのは珍しい……というよりも初めてである。


 彼女達には、一応、丈二に極力迷惑をかけないようにという意識がある様で、何かお願いをしてくることが滅多にない。

 例えば庭の水道の使用許可は丈二の方から切り出したものだったし、このまえ裏山に山菜採りに行った時も、彼女達は入山許可を求めただけだった。許可さえもらえれば自分達だけで行くつもりでいた杜松子と椿に、丈二が付いて行きたいと言ったのだ。

 台風の時ですら、丈二が招き入れるまでは大雨の中で立ち尽くしていたほどである。


 そんな彼女達が丈二に対し、ついでとはいえ買い物を頼むということは、いよいよ彼女達も丈二のことを舐めてきたらしい。


 ……待て、その結論はあまりにも悲しい。

 まずはそうじゃないことを祈ろう。丈二を舐めているわけじゃない、きっと別に理由があるのだ。


 そして考える理由としては……二人がそれだけ蜜柑の事を心配している、というところだろうか?

 確かに昨日の夜に見かけた蜜柑は、星も出ていない曇った夜空をただ無表情に眺めていたし、反応も鈍かったように思う。

 椿や杜松子が本気で心配し、タブーだったはずの丈二への助力を求めてでも元気づけたいと思うくらい、蜜柑は疲弊しているのか。


「そういえば、蜜柑の仕事って何なんだ?」

「建築業だって言ってました」

「建築!?」


 あの貧弱で小柄な蜜柑に、そんな重労働の代名詞のような仕事が務まっているのか不安になる。

 務まっていたとしても、それは疲弊して当然だろう。椿と杜松子が「精のつく料理を」と言い出すのもよくわかる。


「それは、大変そうだな。……うん、ちょうど今日出かけようと思ってたから、買ってきてやるよ」

「それは良かったです! ありがとうございます!」

「……ありがと」


 本当は外出する予定はなかったが……考えてみれば、餞別が破いた病院の領収書というのも悲し過ぎる。特に予定もなかったのだから、街に出るのもいいだろう。

 無邪気に喜ぶ杜松子と違い、椿には丈二の思いに気づいた節があるが……まあ、ここまでお互いに馴れ合わないようにと努めてきたのだ。最後くらい優しくしたって罰はあたるまい。


「それじゃあ買ってきて欲しいもののリストがこれで、予算がこれで――あと、もう一つお願いがありまして」

「うん?」

「料理をするのに、お台所を貸して欲しいんです。携帯コンロだけじゃたいした物は作れなくて」

「そっか。ま、ちゃんと片付けるなら今日くらいはいいぞ」

「ありがとうございます! できれば食器もいくつか貸して欲しいんですが」

「お、おう」

「それからですね――」


 杜松子から、小さなお願いを次々とされる。



 やっぱり舐められ始めたのではなかろうか……という考えと、丈二は脳内もぐら叩きを始めるのだった。


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