第十話 音は響く
丈二は中庭の大窓を開けて三人娘を招きいれた。
ただし、びしょ濡れの彼女達をそのまま部屋には入れられない。今日ばかりは風呂を貸すことにして、まずは洗面所へと案内する。
三人は薄着で台風の中に飛び出したため、塗れた服が肌に張り付き下着の形も透けて見えてしまう状態だった。丈二は目のやり場に困りながらも洗濯機と風呂の使い方を説明する。
「そういやお前らって、普段は風呂はどうしてるんだ?」
「ああ、それはですね……へっちん」
「あ、ごめんごめん。さっさとお湯に入っちゃって」
今夜は雨もあってそこそこ涼しく、早く体を温めないと体調を崩してもおかしくはない。
鼻をすする杜松子を見て、丈二はそそくさと洗面所の引き戸を閉めた。
「…………」
そのまましばらく引き戸を見つめて立ち竦む。
何も覗こうというわけではないし、服を脱ぐ音に聞き耳をたてる趣味もない。
別に興奮したわけでもなく……と言い切れないのが残念なのものの、丈二は三人娘を自分のテリトリーに迎え入れてしまったことに、形容しがたい胸の騒めきを感じていた。
だが丈二よ、ここにずっと立っていては変に誤解をされかねないぞ。さっさとこの場を離れた方がいい。
「……スープぐらいは入れてやるか」
丈二はフリーズドライのスープの素が買ってあるのを思い出す。
理由はどうあれ、こうして迎え入れてしまったからには最低限のもてなしはしよう。むしろこのまま何のほどこしもしないでいると、丈二の方が気になって寝付けない。
これは自分の心の平穏のため、そう思いながら丈二は台所へと向かった。
* * * * *
湯を沸かし、貸し出す部屋の掃除を終え、布団……は丈二の使っているものを貸すのもどうかと思い、座布団やタオルで我慢してもらうことにして。
準備を整えた丈二は台所でお茶を飲みながら、三人が出てくるのを待っていた。
壁掛け時計を見上げれば、彼女達を風呂場に案内してから一時間が経過していた。そろそろ出てきてもいい頃合いだが、まだ誰ひとり姿を見せない。
「遅いな……」
たぶん長風呂を楽しんでいるだけだろうとは思いつつ、気になった丈二は椅子から立ち上がる。
他の部屋にはいないことを確認しながら廊下を歩いて洗面所へと向かい――途中、中庭側の大窓を閉め忘れているのを発見した。三人娘を迎え入れた時に、そのまま閉め忘れていたらしい。
雨戸は閉まっているので雨が入ってくることはないが、雨戸が台風に煽られて、バンバンガタガタと大きな音を立てている。
その音が気になったので、丈二は窓を閉める前に雨戸の下にあるロックをかける。それでもなお揺れてはいるが、多少はましになっただろうか。
洗面所の前に到着すると、中から椿と杜松子の声が聞こえた。
声の感じからして、既に風呂は上がって洗面所にいるようだった。
「やっぱりあったかい風呂はいいわね」
「そうですねー。うちのお風呂はちょっと浅いですし」
「あれをお風呂と称する勇気は私にはないわね、そもそも水だし…… けどほんと、風呂とトイレだけでも借りられないかしら」
「え? 椿さんが借りるのはやめておこうって言ったんじゃないですか。覗かれるかもしれないし、見返りに変な要求されるわよって」
「それは出会った最初の頃の話でしょ。大丈夫よ、観察してた感じ、あいつにそんな甲斐性はないわ!」
やかましい。
事実なだけにチクリと刺さった。的確な分析をするんじゃない。
「あれこそ、泣いて土下座すればヤらせてくれるタイプよ!」
黙れ。
そんなわけあるか! ……と怒鳴りたいところだが、事実として土下座と泣き落としによって三人に中庭を貸している手前、シャレにもならない。
「なんだかよくわからないけど、そこで素直に『優しい人だから』って言えない椿さんが可愛いです」
「ちょ、人をツンデレみたいに言わないでくれる!?」
おお、いいぞ杜松子、もっと言って追い詰めてやれ。
「照れてる椿さんもかわいいです」
「照れてない」
「私達に遠慮なさらず、犬飼さんと付き合っちゃってはどうですか?」
「遠慮してない!」
「椿さんが犬飼さんとくっつけば、ここから追い出されなくて済むんですけど」
「ってそれが本音じゃない!? だったらあんたが付き合いなさいよ」
「絶対嫌です」
そして鳩尾を抉られる。
絶対嫌か。
絶対がつくほど嫌だったのか。
どうにも雰囲気の暗い蜜柑や何かと嫌味な椿にくらべ、いつも陽気な杜松子は一番親しみやすいと思ってたのに。もしや内心ではこいつうざいなぁとか思われていたのだろうか?
これは、あれだ。そんなつもりはなかったが、結果的に女子トークを盗み聞きしてしまった丈二が悪い。
そう思って忘れよう。
…………いや、それができれば苦労はしてない。
ともあれ三人中二人は風呂から上がってきているし、声をかける必要はない。
ならば丈二がやるべきことは――この場に居たのがバレないように、一刻も早く立ち去ることだ。
丈二は洗面所に背を向けて、足音を立てないように歩を進める。
その顔に表情はなく、その目には光はなかった。
* * * * *
それから更に二十分以上が過ぎて。
いまだに三人娘の誰一人、洗面所から出てくる気配がない。
「遅い!」
さすがに三十分は待たずして、丈二は異変を察知する。
丈二が使わないのでドライヤーなどはないし、化粧をしていることもあるまい。服を着るだけこんなに時間はかからないはずだ。
丈二は再び廊下を渡り――今度はスリッパを履き、わざとパタパタと足音を立てながら洗面所へと近づいていく。
さっきのような女子トークによって不意打ちされてないためである。足音が台風の音でかき消されているかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
丈二は洗面所の前で立ち止まり、引き戸をノックしようとして右手を小さく振りかざし――
「お前らいつまで風呂に……」
「お帰りなさい蜜柑さ……」
――その瞬間に引き戸が開いて、勢いあまった右手の拳は大きくて柔らかいものをポムンと叩いた。
「…………」
「…………」
「…………」
目の前には、バスタオルを一枚巻いただけのきょとんとした杜松子。
その奥には、同じ格好で口を大きくあけ放った椿。
外では相変わらず雨粒が屋根を叩き、風はバンバンと雨戸を揺らしているが――この場に落ちた静寂は、それらの轟音をも遮断する。
まるで時間が止まったかのような感覚。
脳が全て溶けつくしたかのような空白。
一秒一秒が永遠とも思えるほどに――
――などと無駄に詩的な現実逃避をしながらも、丈二はゆっくりと拳を引っ込めた。
自分のしでかしたことに青ざめながら。
引っ込めたその右手をそっと床に置いて、左手も床に置いて、さらに頭も床に置いて。
「申し訳ございません」
丈二は流れるように土下座した。
「えーっと……今のは事故ですよ、事故」
「本当に申し訳ございません」
丈二の頭頂部から杜松子の優しい声が聞こえたが、しかし丈二は知っている。
犬飼丈二は杜松子にとって『絶対嫌』な人物だということを。
「あの、本当に気にしないから頭を上げてください」
「いや杜松子、その体制でそいつが頭をあげると色々危ないから。まずこっちに来なさい」
杜松子が離れていく気配を感じてから丈二が頭をあげると、数歩離れたあたりで杜松子が困ったように笑っていた。その姿はやはりバスタオルを巻いただけである。
椿は風呂場に体を隠し、顔と肩だけを出して睨んでいる。
蜜柑の姿はどこにもない。
「ナ、ナンデマダソンナ姿ナンデショウカ?」
「あ、実は着替えをお家に忘れてきちゃって。それで蜜柑さんに着替えを持ってきてもらってるんです」
「そういえば居ないな」
「はい。もうだいぶ前に取りに行ったんですけど、全然戻ってこないから見に行こうかって話してたところなんです。そしたら足音が聞こえたので、てっきり蜜柑さんだと思って開けちゃいました」
杜松子は「たはは……」と苦笑しながら頬をかく。
その表情からは嫌悪感どころか羞恥心すら感じないが、はたして内心はどう思っているのだろうか?
それはさておき、杜松子の話だと既に蜜柑が風呂から上がっていることになるが、その痕跡はどこにもない。
――否、痕跡は、あった。
「なあ、それってもしかして二~三十分くらい前のことだったりするか?」
「えーっと、そうですね。そのくらい経ってます。さすがに遅いですよね」
「実は二十分くらい前に、中庭側の窓が開いてたのを見つけて閉めちゃったんだけど……」
「…………」
「…………」
「…………」
そして場に再び静寂が落ちるが――今度は雨戸が立てているバンバンという音が、先ほどの何倍の大きさにも聴こえた。
椿は口元をひくつかせ、丈二に胸を叩かれても顔色の変わらなかった杜松子でさえ、笑顔を貼り付けたままで青ざめている。
丈二はすくっと立ち上がり、重い足取りで大窓へ向かう。
さきほどロックをしたにもかかわらず、雨戸はバンバンガタガタバンバンガタガタ、大きな音を立てている。
丈二は生唾を飲むと、震える手で雨戸のロックを解除した。




