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一台の車が校門の前に停まっている。勿論中には真琴と恭介がシートに座っていた。
社内のデジタルの時計は15:23と表示されている。空は数えるほどにしか雲は無く降り注ぐ日光は中々に強烈だった。
「とりあえず降りましょうか。あの日に歩かれたルートを教えて頂きます」
「……分かりました」
真琴は少し震えだした手を見られないようにきつく握り締めるとお守りが入っている小さなバッグをつかむと深呼吸をして車を勢い良く降りる。一方恭介はゆっくりと車を降りるとリモコンキーでドアをロックした。
帽子でも持ってくればよかったかな。そんなことを思いながら真琴は廃校を眺める。
流石に深夜と昼間では受ける印象はがらりと変わっていた。校庭で遊ぶ子供たちの姿があるわけは無かったが休日の様子だといわれてしまえばその程度の印象しか抱けないほどに。お化けなんて出る雰囲気は無い。
「あー、日焼けしそうだなぁ。七瀬さん日焼け止めクリームいります?」
恭介は何処からかサングラスを取り出すとそれを掛けていた。正直なところまるで似合ってはいなかった。更に手にはUVカットのクリームを持っており首元や顔等に手馴れた様子で塗っている最中だった。
真琴は女子力高いわー、などと思いながらここで断るのも女子として負けたような気がするのでおとなしく好意に甘えることにした。
「私日焼けすると真っ赤になっちゃうんですよね。日焼け止め無かったらこの時期出かけるの大変なんですよね」
緊張感のかけらも見せず恭介はそういうと日焼け止めをポケットにしまった。真琴は「そうですか」としか返しようが無い。
「それじゃあ行きましょうか」
「そうですね」
意を決して真琴が歩き出す。グラウンドの向こう側には学校の入り口が見えていた。
「ここで影女を祓うんですね。私何か手伝えることとかありますか?」
心臓が鼓動を早めている。バッグの持ち手を気づけば手が白くなるほどに握り締めていた。すると恭介の足が止まり、しまったと言いたげな顔で真琴を見つめている。
「何か心配なこととかあるんですか?」
もう覚悟は決まっていた。日常に戻るために、出来ることをやってやる。この頼りなげな色白男の手伝いくらいは買って出る。邪魔だと言われれば言われた通り邪魔にならない場所で待機をしているつもりだった。
「すっかり伝えるの忘れていましたけど、もうあの影女落としちゃってます」
「……はい?」
真琴は今度こそ理解をするのにしばしの時間を要した。
「もっと先にお伝えするべきでした」
「いや、まったくです」
「申し訳ありません」
「なんていうか、こう、やるせなさでいっぱいなんですけど」
「本当に申し訳ありません」
日差しを避けるために学校の玄関内で恭介は平謝りをしていた。ぺこぺこと頭を何度も下げている。
真琴は溜息をつきながら改めて周りを見回した。あの日は分からなかったが靴箱には何足か子供たちが残していったのだろう苗字が書かれた上靴が残っている。
「これでも結構緊張して怖かったんですよ?無駄に怖がって緊張して馬鹿みたいじゃないですか」
「……仰るとおりです」
ふぅ、とわざとらしく溜息をついた後真琴は恭介のほうに向いなおす。それを見た恭介は慌てて頭を下げようとして真琴の手に止められた。
「頭を下げるのはこちらの方です。……一寸突然すぎて言い過ぎました。ごめんなさい。そして有難う御座います」
そして深々とお辞儀をした。たっぷりと五秒ほどは頭を下げていただろうか、真琴が頭を上げると恭介はいつもの笑顔を浮かべていた。もっともサングラスのせいでその目は良くは見えなかったが。
「いえいえ、そう言って頂ければ私も助かります。今夜からは良く眠れそうです」
サングラスを胸ポケットにしまいながら恭介が言う。良く見れば恭介の目の下には薄っすらと隈が出来ていた。
「では用事を済ませに行きましょうか」
「分かりました」
帰りのコーヒーくらいは奢ってあげようかな。真琴はそう心に決めた。
二人は肝試しをした通りにゆっくりと歩いていく。時折恭介が立ち止まり真琴に質問をした。質問というよりは確認に近い聞き方だった。実際その通りだろう、鏡屋に行った際に出来るだけ詳しく説明をしているのだ。
玄関から三階に上がり教室などを一回りした後二階に降り、一階へ続く階段を降りていた。
一年一組の表札が見えてきた。扉はあの夜のまま開け放たれている。
流石にあそこに入るのは嫌だなぁ、そう思ったその時真琴の視界の端に黒い影が映りこんでいるのが見えた。それはあの夜と同じように教室の中で人のような姿でこちらを見ているようだった。
「あっ」
思わず声が漏れた。膝が笑う。
階段の手すりを握り締めていなければ危ないところだった。横では恭介がその声で全てを悟ったのだろう、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「柏木さん、今」
「私も気づきました。ここですか、記憶が抜け落ちた場所は」
「そう、だと、思います」
「始めにお渡ししたお守りは持って来られていますか?」
「はい」
真琴は震える手でバッグの中から紫色の小袋を取り出し恭介に手渡す。
「先程落としたと言いましたよね」
「申し訳ありません。これは私の落ち度です。完全に安全だったと思っていましたが予想外でした」
恭介は焦った様子も無く紫の小袋の中から手鏡を取り出す。
「完全に因果は断ったつもりでしたがなるほど、なかなか多芸な様ですね」
その手鏡を真琴に手渡す。小さい手鏡は陽の光を天井に反射していた。
「柏木さん、結構な速さで近づいてきてる!」
「その手鏡で影女を映していて下さい」
「え!?はい!」
真琴の視界の中ではこちらに気づいたのか地面を滑るようにして影女が近づいてきていた。もう距離は二十メートルも無いと言ったところだろうか。鏡屋の階段であったときよりも黒さは薄れ、肌色が目立っていた。
良く見ると何も着ていない様だった。だらりと伸ばした腕はがりがりに痩せ細っていて骨が浮いている。胸の辺りは胸骨と肋骨が浮き、およそ肉と呼べるものは見当たらなかった。顔はまだ髪に隠れて見えていないがその顔もゆっくりと持ち上がってきているよう見えた。
言われたとおり真琴は手鏡を影女に向ける。反射している陽の光が影女に当たるが意にも介さないのか影女は更に近づいてきている。
「柏木さん!!」
絶叫に近い声で真琴が叫んだ。言われたとおりにしても何も効果が無いじゃないか!文句を言おうと恭介を見るとその手にビー玉を持っていた。
「ビー玉持って何してるんですか!!もう来ちゃいますよ!」
「直ぐに終わります」
恭介は左手にビー玉を乗せ、何時取り出したのか右手には魔法少女がプリントされた箸を持ち影女の方へと歩いてゆく。
「ちょ……、もうそこまで!!」
影女の姿が見えていないのだろうか?ひょっとして今まで私騙されてた?真琴は必死に鏡で反射した光を影女に向けながらここ数日の出来事を走馬灯のように思い出していた。
あの影女にビー玉と箸を一本持って立ち向かう色白男をとてもだが正気だとは思えなかった。シュールすぎる。
もし影女が見えない人物が見たら恐らく見なかったことにするほどの光景だった。
「止まって下さい」
だが、恭介は影女から三メートルほどの距離まで近づくと左手のビー玉を少しだけ掲げると影女に向けてそう言う。
途端に影女の動きが止まった。後もう少ししていたら顔も見てしまうところだっただろう。
「断ちます」
恭介はそういうと指揮棒のように箸を持った右手を影女に向って持ち上げた。その格好だけはあの映画にもなった魔法使いの少年の様だった。
次にその箸を影女の胸の辺りまで素早く振り下ろすともう影女の姿は何処にも無かった。
「七瀬さん、ご協力有難う御座いました」
「え、終わり?」
「はい。終わりました」
「え?ホントに?」
「見ての通りいなくなりました」
右手の端をくるくるとペン回しのように回しながら恭介が階段を昇りながら真琴の横に戻って来た。左手にはビー玉が握られている。
「さて、では大本の処理といきましょうか」
固まっている真琴の横で恭介は階段の踊り場を眺める。別段変わったところの無い踊り場で、壁には子供の靴の跡が沢山付いている位だった。だが、恭介には何か別のものが見えているのだろうか、ある一点を眺めている様だった。
「七瀬さん、鏡渡して下さい」
「は、はい」
真琴は言われた通り手鏡を渡すと緊張が解けたのか階段に座り込み壁に背中を預けると恭介の方をボーっと眺めている。
恭介は手渡された手鏡を踊り場の一部分に向ける。その手鏡の反射した光が映っている場所にゆっくりとビー玉を置き、右手の箸を先程と同じように空中に向って振り下ろした。
「よし、全部終わりました」
振り返った恭介は笑顔で真琴に手を差し出した。