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鏡屋に行ってから二日が経った。あの玩具みたいなお守りのお陰なのだろう影女に悩まされることは無くなっていた。時折視界の遠い片隅にその姿を見ることはあったがその姿は真っ黒に塗りつぶされその詳細を見ることは無い。
紫色の小袋を枕の隣に置いたまま真琴はベッドの上でぼんやりとあの日のことを思い出していた。
「個人情報保護法もあるため詳しくはお話できない所もありますが、お話し出来る範囲でお伝えするならば川村様は七瀬さんがこういった厄介ごとに巻き込まれると知っていたようですね。恐らくは川村様も我々と同業者であったのと思われます。非常に申し上げにくいことではありますが、私たちも何とか頑張ってはいるつもりなのですが、思いのほかご依頼の件数が多く民間の企業にもお手伝いを頂く有様でして……」
お化け退治の民間委託。思わず「はぁ」としか言い様が無かった。おばあちゃんが同業者だったということにもびっくりだが、こんなことに巻き込まれることを知っていたのならもっと早めに教えて欲しかったと切実に思う。
恭介は手に持った台帳をちらりと見ると頭を掻きながらも更に続けた。
「七瀬さんが生まれたその年にご依頼を承っています。その際にはご寄付まで頂いているようですね。ありがたいことです。その後も度々足を運んで頂きご寄付を頂いています」
「全く知らなかったです」
時々家を留守にする事はあったがこの鏡屋にでも来ていたのだろうか?そう真琴は思ったが今となっては確認する術は無かった。ただ、おばあちゃんがずっと自分のことを心配してくれていたのだと思うと感謝をせずにはいられなかった。
知らず知らず自然と祖母に向け手を合わせて拝んでいた真琴が顔を上げると、恭介は何やら難しい顔をして考え込んでいた。
「どうしましたか?」
「うーん、お伝えできる内容であるかちょっと悩んでいます」
「え、そんなこと言われたら気になるに決まってるじゃないですか」
「あ、そうですよね。いや、失敗しました」
「思いっきり難しい顔をされていましたよ」
「隠し事には向かない性格のようです」
恭介は眼鏡を少し上げ眉間を揉みながら溜息をつく。
「ここからはオフレコでお願い致します」
「分かりました」
真琴は少しだけ緊張しながら次の言葉を待った。
「影女は昔から七瀬さんの周りにいたようです。ただその際には無害といえる範囲内で存在していたようですね。ですが川村様はそれがよくないものだと分かっておられたのでこちらにご依頼をあらかじめされていたとの事です。私もまだ見ていないのではっきりとしたことは言えませんが恐らく今回の件と同一のものでしょう」
「じゃあ何で無害だった影女が突然見えるようになって私の周りに現れるようになったんでしょうか?やっぱり肝試しをしたのがいけなかったんでしょうか?」
昔からあれが周りにいたと言われ血の気が引く思いがした。おばあちゃんは巻き込まれることを知っていたというよりこうなることが分かっていたのだろう。真琴は聞かなかったほうが良かったかもしれないと後悔しながらも疑問を口にしていた。
「全く関係が無いとは言えないでしょうね。教室で見た影は件の影女で間違いないでしょう。ただ、それだけが原因で影女が急速に接近したとは思えません」
「じゃあ何で……」
「分かりません。それを探すのが今回の依頼の鍵になりそうですね。あと川村様は恐らくですが七瀬さんに必要の無い恐怖を与えなくなかったのだろうと思いますよ。深くお考えにはならないで下さい」
恭介はそういうとあの笑顔を浮かべ言葉を切った。つまり話はここまでと言う事だろう。
「では、ご期待に添えられるよう努めます」
「……よろしく、お願い致します」
その後念のためという事で自宅付近まで恭介が車で送ってくれた。車から降りる間際、思い出したように渡された名刺の裏に個人の物だろうか電話番号を書き足してくれていた。何かあれば直ぐに連絡をするようにとの事だった。
あれからこちらから連絡をする事は無く、向こうからの連絡も無かった。若干の不安はまだ残っているものの以前のような生活を送ることが出来ている。生まれつき楽天家な性格の真琴は影女の直接的な害が無くなったならこのままでも良いかも知れないと本気で思っているほどだった。
ベッドから起き上がると思いっきり伸びをした。久しぶりに昨日は良く寝れたようで頭はすっきりしていた。
ふと思い出し鞄を開くと眼鏡ケースを取り出した。思い切ってケースを開けると眼鏡をかけてみる。直ぐにぼやけた世界は実線を取り戻した。
思えばあの日に突然鏡屋のことを思い出したのは偶然なのだろうか。祖母が思い出せるように力を貸してくれたのだろうか。……多分恭介が言っていたように私のことを守っていてくれたのだろう。
真琴はそう結論付けると少し汚れていた眼鏡のレンズを袖で拭いた。