港町のレストラン
‐ここは名もない港町。人々の生活は質素で、まさに小国寡民という言葉が相応しい。
国の通貨も普及しているが、第一次産業が中心の街なため、物々交換も珍しくない。
大人たちは早朝の仕事を終え一時帰宅、子供たちは学校で授業中、そんな朝10時の人通りは疎らだった。
ハトが折々ホロロと鳴く平和な時間、それを乱すように騒がしい店が一軒…
「バイアル様特製!オリーブ味噌汁!!」
「なにその緑のテラテラは…不味そうを越えて気持ち悪い!パーティの罰ゲーム用でもお客さんに出せないわよ!」
また始まってしまった。僕が働くレストランの、一応オーナーシェフたちである、バイアル・リペアリアとアンプル・リペアリアの痴話喧嘩。
2人ともスマートな体型で、メガネをかけている。アルバイトの面接で初めて会った時は、その知的で鋭いオーラを前に萎縮したものだ。
しかし、第一印象という物は時として虚しさを生む。
今日だってお客が来る昼前に、創作料理についてギャーギャーと騒いでいる。いつもこんな調子だ。
最も今回のオリーブ味噌汁なるゲテモノについては、アンプルの方が正論と言わざるを得ないが…。
「なぁシー、この料理最高だと思わないか?最大のポイントはこれ、火をつけると燃える!」
バイアルは嬉々とした表情でこの僕、シー・シュエフタン・ミフニストにずんずんと迫り来る。
「…」
なにも言えない。この人は脳みそのシワにまでギットギトの油が詰まっているんじゃないだろうか。
その火が消えるのは燃料が尽きた時じゃないのか。それとも燃えたまま食えというのか。
「そんなもの食べたら体壊すわよ。オレンジジュースでも飲んで、この暑苦しいのから解放されましょ」
アンプルから受け取ったジュースは良い香りがした。…良すぎる香りだったかもしれない。
「あ、ありがとう。頂きます」
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目が覚めると自室の天井が見えた。
とんでもない物を口にしてしまった。苦いとか不味いとか味覚に訴えることはなく、舌にバナナナメクジを乗せたような痺れと、噴門までくっ付いて離れない、拭えない油膜に悶え、喘ぎ苦しみ…
最後には卒倒して…どうやら運ばれたらしい。
「はぁぁ~~~」
ため息をついて、窓の外に目をやると真っ暗になっていた。
午後9時を指している時計は、クラゲを模したお気に入りの物だ。
あのシェフたちからはキモイと言われるが、僕はカワイイと思っているので、間をとってキモカワイイ時計ということにしておこう。
全く眠くないので、階段を下りて1階にある店へ足を運んだ。
この港町ではお客さんは8時までには夕飯を済ませ、9時半には床に就くのが一般的だ。そして朝4時には起きて海へ出る。漁業を中心に暮らしている町なのだ。
ということで大半の店は8時半頃に店を閉め、後片付けや仕込み等を始める。この店も例外ではない。
僕は調理以外のすべての雑用を任されているので、多少胃もたれが残っていようとも、やる事はやらねばならない。
急いで厨房に入ろうとするが、電気が点いていない。
(あぁ、やっぱりそうだよな…そうですよね…)
分かってはいたものの二度目のため息をついてしまう。
足元に注意しながら電気を点けると、"子供がお菓子を作るところまでは夢中でやりました"風の調理台があった。それを白い目で眺める…。
「とりあえず皿洗いから始めよう…」
何故やっぱりと思ったかというと、オーナーのアンプルとバイアルがそういう奴らだからだと、僕が毎日虐げられているからだと言う他ない。
雇われてすぐの頃は普通に扱われていたと思う。
1ヶ月ほど働いた頃だろうか、バイアルが突然
「お前を疲れ知らずの体に改造してやろう!」
と言い出したのだ。
彼が科学者としての一面も持っていることは、その時には知っていたのだが、まぁ、ワケがわからなかった。
突飛な事だったのでつい生返事をしてしまったのがいけなかった。
「あの時ハッキリ断っておけば……」
とボヤいても反骨精神までは湧いてこない。あの日から今日までの3ヶ月間一度も。
僕の体には血液と呼べるか怪しいものが流れている。
主成分はオリーブオイルとオレンジオイル。
「油だから蒸発しないし、脱水症状にならないんだから休憩なしで働いてね♡」
アンプルもグルになって僕が夜寝てる間に肉体改造を施していたことを確信した一言だった。
そもそもバイアルだけだったらオリーブオイル100%の体液になっていただろうし、月に一度の透析(というよりメンテナンス?)だってもっとシンプルに済んでいただろう。
いや、実際は透析とかいう謎の儀式は僕が寝てる間に行われているのでプロセスの複雑さは分からないのだが、あの2人が毎回揉めながら油の浄化を行っている光景は想像に難くない。
これのせいで僕はここを辞めることが出来ないのだ…。
「アレ…?」
ウンザリしながら始めた皿洗いは意外に早く終わった。
しかも冷静になって周りを見回してみると、どうやらもうやる事は残っていないらしかった。
(な、なーんだ…あの二人それなりに出来るんじゃないか…)
考えてみれば僕が雇われる前、2人で店を切り盛りしてた時期もあったはずだし、そもそも料理人なら下積みだってしっかりあるはずだ。
…それでも僕を雇ったのは、新料理の開発に時間を割きたかったからだろうか…。
今日一日お客さんをさばいていたのは2人で…そうだ、料理をテーブルまで運ぶのもやらなくてはいけない。ともすると唯一残っていたこの仕事は、久々の重労働で力尽きた事を物語っている?
そう思考を巡らすと、少し申し訳ない気持ちになった。
まだ眠くならないし、散歩にでも行こうと、時計は見ずに外へ出ることにした。
時間の感覚を曖昧にして過ごしたい気分だった。
ドアを開けると、雪が降っていた。
ふわふわと漂うように、やわらかく、ぬくもりを感じる景色。
そう、例えるなら羽毛のような………
「シマエナガだ…………。」