入学編 第五話
―――シャアアー
水が跳ねる音とともに、湯気が浴室を満たしていく。気持ちよさそうに目を細めながらシャワーを浴びる百合。日頃の訓練の賜物か、鍛え上げられた身体は無駄がなく引き締まっている。それでいて、しなやかな丸みが女性らしさを際立たせていた。しかし、その身体に刻まれた無数の傷跡が、彼女が普通の少女とは違う世界を生きてきたことを如実に物語っていた。
しばらくシャワーを浴びたあと、脱衣所へと向かい、体に残った水滴を丁寧に拭き取る。
「そういえば、さっきのゴタゴタで着替えを持ってくるのを忘れてたな」
ふと、そんなことを思い出す。だが、汗まみれの服は現在、脱衣所の洗濯機の中で洗剤とともに回転中である。しばし考え込んだ百合だったが――
「まあ、いいか」
ここには同性しかいないし、仮に異性がいたとしても、今さら羞恥心を抱くほどのことでもない。そう結論づけると、
「さて、冷える前に部屋へ戻るとするか」
そのまま脱衣所の扉に手をかける。
―――ガチャッ
「あっ、ちょうどよかった。今、他の二年生たちを紹介し……す……る……ね」
「……」
「……」
「……」
扉の先、ちょうど廊下では他の二年生たちと一緒にいた心が声をかけてきたのだが――
「ああ、そうでしたか。今年からお世話になります、一年の龍徳寺百合です」
百合は丁寧な口調で、全裸のまま挨拶をした。しかし、誰からも返事は返ってこなかった。
「?」
皆が固まったまま無言でいることに小首を傾げつつ、
「とりあえず、部屋に戻りたいので失礼します」
と一礼し、彼女らの脇を通り抜けようと歩を進める。
「あ、ああ、あんたっ!何やってんのよ!?」
そのタイミングで階段を下りてきた薫と鉢合わせしてしまう。
「何とは?私はただ部屋に戻ろうとしているだけですが?」
「だからっ!そういう意味じゃなくってっ!」
「?」
薫は顔を真っ赤にしながら声を荒げる。
「だから、朝から寮内で騒ぐのは禁……し……だと……」
騒ぎを聞きつけて食堂から顔を出した洋子だったが、百合の姿を見て言葉を失う。
「えーと、何かあったんですか……ちょっ!?百合!?」
さらに、同じく騒ぎを聞いて恵も駆けつけ、彼女の姿を見るや否や慌てて近づく。
「なんで裸なの!?」
「あー、着替えを持ってくるのを忘れたんでな」
「着替えって……じゃあ、着てきた服は?」
「ん?そろそろ脱水に入る頃だな」
「えーと……じゃあ、着替えがないのに、脱いだ服を全部洗濯機に入れたの?」
「そういうことになるな」
「下着も?全部?」
「ああ、もちろん」
「はぁ~~~」
恵は大きくため息をついた。
「ふむ……とりあえずこのまま立ち尽くしていても風邪をひくだけなので、部屋に戻りたいのだが」
至極真っ当な意見ではあるが、問題は彼女が全裸だということである。
「そ、そうね。とにかく、薫さん?百合さんをお部屋まで連れて行ってください」
正気を取り戻した心が、指を指したまま固まっていた薫に助けを求める。
「え?なんで?あたしが……」
突然の指名に戸惑う薫。
「いいですから、お願いします」
普段は穏やかな心には珍しく、語気を強められたため、仕方なく従うことにする。
「わかったわよ。はい、これ羽織って」
「む、感謝する」
自分の上着を百合に渡すと、そのまま彼女の部屋まで付き添っていった。
「あ、あはは……えーと、彼女はちょ~っと変わってまして……」
百合が去った後、恵が乾いた笑いを浮かべて場を取り繕うが、他の二年生たちはまだ固まったままだった……。
……
…………
自室では、百合が着替えを探す様子を、つまらなさそうに眺める薫の姿があった。
「あんたねぇ、なんで裸で廊下に出ようと思ったのよ?露出狂?」
「む、だから着替えがなかったと説明したはずだが?忘れたのか?」
「そういうことじゃないの!着替えがないからって、裸でいいって結論がおかしいのよ!」
溜息混じりに答える百合に、イラつき気味に指摘する薫。
「しかし、着替えは部屋、着ていた服は洗濯機の中。では他にどんな選択肢が……はっ!」
ふと何かに気づいたように、百合は手をポンと打つ。
「あんた、その思いついたときの仕草、古いわよ?」
「うるさい。……なるほど、お前の言う通りだな。確かに裸はまずかった」
「そう、わかればいいのよ」
「そうだな……忘れていた。この国には“全裸でも手ブラ”という伝統的な隠し方があると――」
「シャラッップ!!」
満面の笑みで乳房を隠そうとポーズをとる百合の両手を、薫が力強く下げさせる。
「何故に英語?」
「はあ~……あんたって、ほんっと変なやつね」
「初対面の相手に失礼な奴だな」
「うっさい!そっちだって初対面から不審者扱いしたでしょ!?てか、いつの間に敬語じゃなくなってるし!?あたし先輩よ?」
「ああ、それは失礼しました。それでは、お姉さま」
「な、何よ?」
「いつまで手を握ってるつもりですか?これではまるで、無理やり乳房を見せさせられているように見えますが」
「なっ!?」
怪しい笑みを浮かべる百合に、顔を真っ赤にして手を放す薫。
「あんた……やっぱ最低ね」
「すまん。しかし、お前も口調が素に戻っているが?」
「あたしはいいの。どうせお嬢様って柄じゃないし」
「そうか。私は美人だと思うぞ?それに、綺麗ではないか。最初に見たとき、見とれてしまったからな」
百合は薫の髪を手に取り、しみじみと見つめる。
「な、なななっ!」
顔を真っ赤にしながら後ずさる薫。
「な、何を考えてるのよ!?」
「ん?だから、綺麗だと……」
「違うわよ!?いきなり髪を触んないでよ!」
「それは悪かった。しかし、何をそんなに焦る必要がある?女同士だろう?」
「同性でも、いきなりは驚くの!」
「……了解した。次からは気をつけよう」
「次は無いわよ!?」
頭をかきながら悶える薫をおかしそうに見つめつつ、百合は着替えを始める。
「さて、これでよし」
「よくないっ!」
下着姿で腰に手を当てる百合に、薫が鋭く突っ込む。
「いい加減に服を着なさい!どこにあるのよ、もう!」
「ああ、確かここに……」
苛立ちながらクローゼットを探る薫に、百合は答える。祖母が生活に必要だからと送ってくれたパジャマや普段着があったはずだった。
「……これ、あんたの趣味?」
「……」
薄い紅色のシルク製、バスローブ風のパジャマ。それは部屋の灯りに照らされ、うっすらと透けていて、かなりアダルトな印象を放っていた。百合は眉間にしわを寄せ、しばらく沈黙したあと――
「……祖母の趣味だ」
「そ、そう……すごいおばあさまなんだね。ってことは、この部屋の内装も?」
「……ああ、そうだ……」
気まずそうに答える百合に、薫は思わず苦笑いする。
「ま、まあ、気にしないで。……可愛いと思うよ?」
「慰めはいらん……」
「そ、そう」
結局、それは着る気になれず丁寧にしまい込み、着慣れた上下スウェットに着替える百合。
「すまん。手間を取らせたな」
「いいわよ。っていうか、もう敬語使う気ないでしょ?」
「そうだった。つい……これからは気をつける」
「もういいってば。あたしもそういう上下関係は嫌いだし。ただ、周りの目もあるから、皆がいる時は敬語使いなさいよ?」
「了解した」
「本当にわかってるの?」
「ああ、その辺りは得意分野だ」
「そう。今さらだけど、あたしは二年の六峰薫。これからよろしくね」
「ああ。一年の龍徳寺百合だ。よろしく頼む」
お互いに改めて自己紹介を済ませ、握手を交わす。ちょうど階下から心の呼ぶ声が聞こえたので、二人は食堂へと向かうのだった。